51、荒野
宮廷魔法局のデモンストレーション当日。
「おはようございます、フローラ様」
朝日とメイドの笑顔が眩しい。
「…はよ」
起き上がりもせず、体を丸めてぼそぼそしゃべる私に、メイドの顔色が変わる。
「どうされました?」
「…お腹が痛いの」
「それは一大事です。ただいま治癒師を…」
わーっ、それは困る!
うっかりしてたよ。こっちの世界には《治癒魔法》があるんだった。
おちおち仮病も使えないわ。
「大袈裟よ。たぶん、きのう調子に乗って果物を食べ過ぎたせいだわ。手間を掛けさせて悪いけど、薬湯をお願い」
力なく、長くしゃべるってむずかしいなぁ。
「こんな時まで、私たちへの気遣いなど不要ですよ、フローラ様。おつらいなら、そうとおっしゃってください。それに素人判断はいけません。まず、お医者様をお呼びしますね」
「わかったわ。ああ、アマンダ様に、今日はお城にご一緒できませんとお伝えしないと」
「お任せください」
「王太子妃殿下やマールス殿下にもお詫びを」
「大丈夫です。アマンダ様が万事良いようにしてくださいますよ。フローラ様は、まず、よけいな心配をなさらず安静になさることです」
「そうね。でも、もし風邪などが原因でアマンダ様に移してしまっては大変だから、お見舞いは不要だとお伝えしてくれる?」
「承知しました。では、すぐにでも」
さほど間を置かず執事のクライブがやってきた。メイドに吸い飲みを運ばせてる。
「白湯でございます。フローラ様、少しでもお飲みになれるようでしたら」
「…いただくわ」
「失礼します」
日頃から、着替えに入浴にと世話になってるメイドだから、こういうことも安心して任せられる。
「医師はすぐに参りますが、本当に治癒師でなくてよろしかったでしょうか?」
「ええ。こんなことで貴重な魔法を使わせるなんて申し訳ないわ。もっと大変な思いをなさっている方たちの為に取ってかなければ」
あまり表情を変えることのないクライブが、ほっとしたような感心したような様子で目礼する。
あー、わがままな令息・令嬢だと、擦り傷ひとつでも治癒師を呼ばせるらしいからね。
死ぬか生きるかの時は当然必要なことだけど、そんな些細なことでいちいち治癒師を呼んでたら、教会にどれだけ寄付を分捕られることか!
「きのうの晩、私、二度もデザートをお代わりしてたでしょう? そのせいだと思うの。あまりにもおいしかったから、ついつい。これからは気を付けるわ。こんなことで騒がせてごめんなさいね」
「どうぞこちらのことはお気になさらず。お体を大事にしてくださるならば、それでよろしいかと存じます」
気を利かせたクライブが退出して、メイドの介添えでトイレに行ったり、寝巻やシーツを変えてもらったりしてるうちに医師が到着。
クロムウェル侯爵家の掛かり付けは、枯れ木のようなお爺ちゃん医師だ。
眉毛だけが真っ白ふさふさで、髪はわりと黒味の多いグレー。
「ふむふむ。少々おなかを冷やしましたかな」
コンポートを三つも食べたのは事実だし、実際おなかは緩めだし。
「こちらを一日三回、煎じて飲ませるように。食事は刺激の少ない味付けで、やわらかいものを。あとは温かくして安静にしていることですな」
「はい」
侍女がしっかりうなずいている。
自業自得とはいえ、ラッパのマークな薬と同じ匂いのする薬湯を飲むのはつらかったよ。
パン粥もあんまり好きじゃないし…でも、まったく悪くないのにすまながってるらしいシェフのためにも残さずいただいた。
朝食には、アマンダのお見舞いの手紙が添えられててね。
本気で心配してくれてるけど、仮病ってわかってるような気もする。
お互いにそういうことは口にしないけど、「よい休暇と思ってゆっくりするように」って、十一歳児が四歳児に送る言葉じゃないよね?
でも、実際、あとはアマンダにすべて任せて安心。うまいこと言い訳してくれるだろう。
今日の、宮廷魔法局のデモンストレーション。貴族の観覧席は当然のようにボックス席になっていて、本来ならクロムウェル侯爵家専用のところで見学するわけだけど。
「マールスもフローラと一緒がいいのですって。ね~?」
「うぅ~!」
王太子妃キャサリン妃殿下に、王族専用席に招かれていたから。
「喜んでお供させていただきます」
その場ではそう返したけどね?
すでに第二王子の隣にはアマンダが座ることになっていて、これ以上クロムウェル侯爵家が王家に近しいって見せつけるのはマズイ。
人の妬みって怖いんだ、特に貴族のは…ほんと前もって言ってくれてよかったよ。
どの道、宮廷魔法局の魔法に期待はしてなかったし。
日頃の訓練にしろ、予行演習にしろ、彼らの魔法は攻撃が主流で、そのいちばんの花形が《火魔法》…バスケットボール大の《ファイアーボール》が五十メートルほど飛ぶ。
確かに、そんなのが飛んできたらたまったものじゃないし、自分がまだ魔法を使えない時期だったら「おお~!」って歓声を上げたに違いない。
でも、魔法局を名乗っておきながら、魔法を体系化することさえしてなくて、従って魔法陣、魔道具、魔法薬なんて欠片も存在しないんだよ?
がっかりだ!
そりゃ、自分の得意魔法を磨くのは大事だろうけど。
前世、日本古来の水芸を見た時の、びみょ~な気持ちを思い出す。一応、こちらは噴水規模だけどね。
これだったら、《土魔法》の使い手と工兵が力を合わせて、たった一週間で円形闘技場を造ったことの方が断然、派手ですごいよ。
私なんか毎日《耳目》で、嬉々として観察してたもの。
なのに、周囲の誰もまったく関心を持ってなかった。
価値観の違いか。たんに発展途上なだけか。
これはもう、大規模魔法が見たかったら、自分で使うしかない。
当然、やたらの場所じゃチャレンジすらできないことだから、歴史書や地図をひっくり返して候補地を探す。
数千年もの間、どこの国でもなく、でも、どんな大国に負けない広さがあって、人っ子一人いない場所。その名もエンプティーエッグ。空っぽなのはわかるけど、卵って規模じゃないなぁ。
地形は山あり谷あり、でも、ろくに草木も生えてない荒野だ。
生息してるのは、そんな環境に適応した高ランクの魔物だけ。それを資源って考える冒険者や周辺国の軍が、たまに外縁部に侵入するみたいだけど、中央部ともなればまず間違いなく人などいない。
ここにしよう!
それで、行き方なんだけど。
まず、遠い。最短距離を行っても、国を二つは越さなきゃならない。
これは夢の二大魔法の一つ《転移》の出番かな。ちなみに、もう一つは《飛行》だけど、錐揉み状態で飛んでくことをそう呼んでいいのかどうか。
…理屈なんかわからないから適当なイメージで、最後は力業になっちゃうのは《転移》も同じだ。
物や体を一度分子レベルにまで分解して、指定した先で再構築ってタイプはおっかなすぎるし、技術的にも絶対に無理だって自信がある。
となったら、残るはワームホールタイプだね。
私の感覚としては《収納》とかなり近い。
状態を維持し続けるためのエネルギー源として、霊力の線を所々で引き込みながら、ただひたすら長く長く魔力製のトンネルを作っていく。
建造物はもちろん、地形も無視して、目的地まで一直線。
ようは次元がずれてるようなもので、トンネルもそこを通ってる私も、山の中や渓谷の上空、建物や人や魔物の体内も難なく透過していく。
私はもちろん、向こうにも何のダメージもないし、気付いてもいない。
《アバター》も、《耳目》と同じように物質化する一歩手前の状態にすれば、人目に付かず、壁抜けもできれば、風に乗ってフワ~ッと飛んでくこともできる。
まるきり幽霊だけどね。なかなか楽しくはある。
でも、本体はそういうわけにいかないし、他の人や物を運ぶにはやはり《転移》…私の場合はそのためのトンネルが必要だ。
もっとも丁寧に意識して作ってたのは最初の数十分で、コツを掴んでからは自動化したから、遊覧してる間に終わってたって感じ。
出発点と目的地に青いドアを設置して、開いた瞬間にドアからドアまでの空間を圧縮するイメージ。
一応、ドアには認識阻害の《結界》を張り付けて、魔力識別式のキーも付けておこう。
ガチャ、きぃ~…
ドアを開けると、そこは荒野だった。
当然、トンネルの繋がってないところには行けないし、出られる先はあらかじめドアを設置した場所に限られるけど、トンネルのある所ならどこでも出発点および到達点にすることが可能だ。ドアを作って置けばいいわけだからね。
これはもう、トンネルを張り巡らせるしかない。
「お疲れ様。問題は…なかったみたいね。次はどこにしよっか?」
「我ながら人使い荒いなぁ。楽しいからいいけど。とりあえず海かな。そこで一回ドアを設置して、そっから船旅を楽しみつつ他大陸まで、なんてどう?」
「いいね」
この《アバター》、当分の間トンネル作り専用になりそうだから、モグとでも名付けておこう。
ってことは、森にいる私はモリか。
「では、さっそく。せっかくだから、モグもやってく?」
「やるやる。やってから行く!」
「「じゃあ、《ヘルフレイム》から」」
それぞれがそれぞれに、ドーム型の《結界》の中で《火魔法》で火を起こす。さすが私、考えることは一緒だね。
「いくら魔力込めても黒くならないよ?」
「…色付けよっか」
太陽をイメージしてみたけど白い炎にしかならないので、《光魔法》で望みの色に。
「「次、《サンダーストーム》ね」」
水蒸気の発生から始めたんだけど。
「やっと雲できた。あと十分くらい?」
「上空の気温も関係あるのかな。一か八かになっちゃうね」
「風で流れて行っちゃうしね」
結局、待ってられなくなって…《水魔法》で雨を降らせしつつ《風魔法》で暴風をプラス。そこに《スタンガン》の塊を放り込む。
「スタジオ! 聞こえますか? 聞こえますか?」
「大変な雨と風! そして雷です!」
絶縁《結界》の中で、新米気象予報士ごっこをして遊ぶ。
当然びしょ濡れで、風に体が持ってかれそうになるけど、だんだん楽しくなってくるのはなんでだろうね。
でも、濡れっ放しは不快なので、《クリーン》と《ドライ》で汚れと水気を除去。
「「我らが本命 《メテオストライク》!!」」
私の魔力線はせいぜい成層圏に届く程度だから、そこに《土魔法》で岩の塊を作って、《念動》でさらに上空に投げ飛ばす。
「使用魔力量、半端ないね」
「なかなか落ちてこないね」
結局、適当な高さから炎をまとわせた岩を落すことに。
本物はさすがにすごい迫力だったけど、なんちゃっての方もなかなかだ。
前世の創作物のおかげだね。鮮明な映像が脳裏にあって、それとまったく同じに見える。
「ほわぁ~!」
「わしゃ~!」
憧れの大魔法が使えて大満足だ。
もちろんすべてがそれっぽいだけで、本物には及びもつかないのはわかってる。
加えて、私の魔法の最大の欠点は、魔力線を伸ばした先でないと現象を起こせないこと。
光の速さで到達するとはいえ、時間と手間がよけいに掛かってることは確か。
その上、たとえば戦闘中に敵の後方から仕掛けたとしても、魔力を見たり感じたりできる相手なら、どんな攻撃かまではわからなくても、確実にくる方向がわかってしまう。
そういう存在はめったにいないだろうけど、いればかなり強いに決まってるから、余計にやっかいだ。
ロス爺みたいに、空気中の魔力や霊力を直に操って魔法を行使できれば、完全無欠だろうけど、彼は彼で、自分の体に溜めてる魔力以上の魔法は使えない。
外の魔力を操るのに、同じだけ体内の魔力が必要らしい。少なくとも、王宮にいる間はそうだった。
霊力を使うとなれば、さらに燃費が悪いって話だから、それによって強力な魔法を使ってもトントンといったところ。
私から見れば、そうしないと魔力や霊力が操れないっていうのは、明らかにロス爺の思い込みなんだけど、それは有線じゃないとって思ってる私も同じこと。
まったくイメージってやつは、とても便利で、同時に融通が利かない。
そもそも一般に出回ってる「魔力は寝れば回復する」って認識も、魔力の流れを見てれば一目瞭然。実際は、食べ物や空気から補給してるだけなんだけど、いまだ、意識して魔力を取り込める人を見たことがない。
となるとこれが私のアドバンテージで、歪な魔法の最大の長所。
そう、欠点なんか汲めど尽きせぬ魔力量で押し切る!
結局それかって我ながらおかしいけど、できないことをくよくよ考えるくらいなら、得意なところを最大限伸ばすのも一つの方法じゃないかな。
魔力操作の訓練はちゃんと続けるし、外部の魔力をそのまま魔法にすることもあきらめてないけどね。
「そろそろ帰ろうか」
「うん! 帰ろ、帰ろ」
帰る前に《アースクリエイト》で、適当に地形を整えておく。
「またすぐ、ボコボコになっちゃいそうだけどね」
「気分の問題だって。立つ鳥跡を濁さずってやつ」
緑がかったガラス質や、黒光りする大岩は、何かに使えそうだから《収納》しておく。
「…色を変えたくらいじゃ、どこでも出せるドアなんてマズイかなぁ」
「異世界ってことでご勘弁を」
「誰に向けて言ってるの?」
この際だから、《アバター》に持たせてる《収納》と《収納》の間にも次元トンネルを作っておこう。
蛇腹のイメージである程度伸び縮みするようにしておいて、足りなかったらその都度足していく感じ。ポケットに手を入れる瞬間に圧縮して…どれ。
物を取り出すには一応、私の同意が必要ってことにしたけど、どれも私だから有名無実だね。
どうしてもこれに使いたい!って目的がある場合は、《並列思考》といえど譲らないだろうけど。
こっちで入れたものをあっちで取り出したり、その逆もできるから、さらに便利になった。




