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わがままな義妹なんて荷が重い  作者: 御重スミヲ
45/63

45、スーザン


 女官サンダー隊長のお仕事は、王の表向きの仕事を補佐することらしい。

 ただ、マールスの一件があって、特別にそっちの警護と調査を任されたから、王の事務処理能力が格段に落ちてたのは周知の事実。

 でも、このほど決着がついたらしい。

 王太子夫妻は基本的に、ものごとを穏便に収めるたがるタイプ。

 でも、さすがに今回は我が子のこと。特に王太子は、だいぶ感情的になってたようだ。

 犯人を処刑したいんだけど、それが自分の側室ってなると情がないわけじゃないし、その実家との政治的問題にもなる。

 第二王子はあえて憎まれ役を買って出て、大鉈を振るうよう進言。

 決断を下すのは王だけど、王家内のことは表沙汰にせず、王太子の側室は保養地で静養…という名の幽閉。その実家は大幅に発言権を失うかたちに持っていくのが無難だと考えた。

 ある意味、暗殺や毒を盛られることに慣れてる魔窟の住人たちは、それで解決って認識らしいんだけど。

 それにしても、今回のマールスの当初の様子は異常だった。

 彼らは毒殺される以上に、同じ状況がくり返されることを恐れたようだ。

 そこで、王都でそれなりに名の通った薬師が登場する。

 彼女の作る懐妊促進薬なるものを、王太子妃キャサリンが愛飲していたからだ。

 もちろんこっそりとだけど、彼女を責められる貴族の女性はいないだろう。

 なにがなんでも次代を産むべし。

 私が見てるかぎりでも、彼女たちに圧し掛かるプレッシャーは前世の比じゃない。

 当然のように、王太子の側室も愛飲してた。

 ここまではまだいい。

 でも、この薬師、同時に避妊薬や堕胎薬も作って売っていた。娼館向けってことだけど、貴族にしろ平民にしろいろいろあるからなぁ。

 このことを前々から、教会や一部の貴族たちは問題視してたらしい。自分たちだってこっそりお世話になってることは脇に置いて。

 生命体としての忌避感もあるだろうけど、自分たちの財産が増える機会を奪われてるって本能的に思うんだろうね。

 私も気持ちとしてはすべての命が健やかに育ったらいいと思うけど、気持ちだけじゃ子供は育たない。

 現状では必要悪で、そもそものことを言えば、そういうふうに世の中を治めてる王侯貴族が悪いってことになる。

 にもかかわらず彼らは、スケープゴートを求めた。

 この薬師のつくる薬には確かに効果がある。

 でも、それはあくまで薬草から作られた薬、そのままの効果。

 薬効に波があり、服用する方の体質もタイミングも違う。

 つまり、効くこともあれば効かないこともある。

 ところが彼女の弟子が作ると、絶対に効く。

 私が見たところ、スーザンっていうこの少女は、師匠に教えられるままに薬を作る過程で、「痛いの痛いの飛んでいけ~」くらいの感覚で、無意識に魔力を注ぎ込んでたみたい。

 こっちの世界の人たちはそんな知識も認識もないけど、魔法薬の誕生だ。

 でも、マールスがああなった真因は、王太子の側室の陣営が、正室キャサリンの口にする懐妊促進薬の瓶から半分中身を捨てて、避妊薬を足したこと。

 そのどちらもが魔法薬だったから、あんなことになったんだと思う。

 さしものサンダー女史もそこまではわからない。わからないからこそ、事実を王に報告した。

 彼女は、その戦闘能力はともかく常識的な人だし、本質を理解してたはずだけど、自分の立場も理解してる。

 私情を交えず、綿密に証拠固めした上での、偏りのない報告。

 それを要約するとこうなる。

 スーザンの作った薬によって、王孫が害されるところだった。

 だからって、スーザンが裁かれるなんておかしなことだ。

 傷害事件の犯人として、ナイフや包丁を痛めつけたりする?

 でも、権力者なんてものは理不尽で、尻馬に乗る教会に、我が身可愛さにいっさい弟子を庇わない薬師。

 …胸くそ悪い。

 私だってもともと、都合の悪いことは見て見ぬふりするタイプだけどね。

 砂上の楼閣みたいなこのファンタジー世界。どこを突いても、あっという間にしっちゃかめっちゃか。アマンダすらも憎むことになりそうだ。

 まあ、さすがに今回は、彼女も蚊帳の外なんだけど。

 だから、私はシンプルに考えることにした。

 スーザンを助けることだけ考えよう。

 彼女にすべてを押し付けて殺してしまうなんて、どう考えたってひどすぎるし、それがなくても、彼女の才能を埋もれさせるのは惜しい。

 だって、魔法薬だよ!?

 一瞬で傷が治る塗り薬とか、飲んだら体力とか魔力が回復するポーションなんかも夢じゃない。

 まあ、冷静になって考えれば、私にはまったく必要ないものなんだけどね。

 王宮の地下にある石造りの牢は、暗いし狭いし、冷たいし…トイレ用の壺と、乾いたパンが乗った木皿があるだけだ。

 どうせ食べられないだろうけど、最後の晩餐がこれってどうよ?

 スーザンは震える手で木のコップを抱えて、さっきから水をこぼし続けてる。

 別に飲もうとしてるわけじゃなくて、ほかに縋るものがないって姿。

 もっと早く来ればよかった。

 ただ言い訳をするなら、王太子妃キャサリンが彼女の処刑に反対してたから、それが叶うならと思って様子を見ちゃったんだよね。

 私がここにいる時点で、結果はお察し。ロス爺に付いてくことにして正解だよ。

 「長いものには巻かれろ」は私の座右の銘でもあるけど。

 牢番は《スリープ》で寝てるし、私は気配を極力薄くしてるし、スーザンの目はうつろだし…

 まず《結界》を張ろう。

「スーザン」

「…あ」

 コップを落した彼女と目が合った。

「こんばんは」

「こ、こんばんは…」

 条件反射にしても、こんな時まで礼儀正しくて偉いね。

「驚かせてしまって、ごめんね。はい、お水」

 《念動》でコップを立て、《水魔法》で水を注ぐ。

 服も《ドライ》で乾かしておこう。

「天使様ですか? もう、迎えにきちゃったんですか?」

 いや、それはない。

 だったら羽を生やして、神々しく登場するだろう。

「私、まだ死にたくありません。どうせ、明日処刑だっていうなら、明日まで待ってもらえませんか?」

 指を組み合わせた手を震わせながら、蒼白な顔で訴える。

 本人至極真剣だし、すごく悲惨な状況なんだけど、なかなかしぶとくユニークな子みたいだ。

 彼女が恨みつらみに囚われてたり、すでに生きる気力をなくしてたら、私も少し考えたかもしれない。

 でも、「生きたいか」って尋ねる必要すらなかった。

「天使じゃないけど、いいよ。あと、明日と言わず、ずっと生きてたらいいじゃない」

 《解錠》して牢に入る。

「あ、触れる」

 差し出した手をぎゅむぎゅむと、痛いくらいに握ってくる。

「ふぁ…ぅえぇぇぇ?」

 彼女を私の魔力で満たして、そのまま《コピー》するイメージ。

 隣に現れた自分のそっくりさんにぎょっとして、距離を取ろうとするスーザン。

「こんなものかな」

 いくら《アバター》でも処刑を経験するのはごめんだ。あのひどい車酔いみたいな感覚も。

 魔力線で外部から操るから傀儡…《マリオネット》でいいか。

 多少、動きがぎこちなくても処刑前の抵抗か、委縮してるせいだって思われるだけだろう。

「こっちが処刑されるから。あなたは死んだことになっちゃうけど、大丈夫?」

「あ、はい。生きてられるなら、なんでもいいです」

 瞬きもせず軽く手を振る身代わりを、気味悪そうに眺めてる。

 めそめそグズグズする子じゃなくて助かるよ。

 いまだ体の震えは残ってるけど、それは当たり前のことだと思う。

 十三歳くらいかな? 大の男だって耐え難い状況なのに、十分以上にしっかりしてる。

「私はフローラ」

「あ、はい。スーザンです」

「じゃあ、行こうか」

「は、はい。フローラ様」

「…呼び捨てでいいよ」

「そうはいきません、命の恩人ですから」

 まだ、牢から出てもいないけどね。

 恐怖と冷えで体が固まてしまってるスーザンをゆっくりゆっくり歩かせる。

「抱っこしてあげようか?」

「うふふっ、フローラ様ったら。私なんか抱っこしたらフローラ様がつぶれちゃいますよ」

 ソバカスの可愛い、わりに骨太な女の子。こういう働き者体型、私は好きだけどね。

「さて、こっからは一応用心して静かに行こう。くしゃみくらいならしても平気だからね」

「なら、安心です」

 王宮の不寝番すべてに《スリープ》を掛けることも可能だけど、それだと後々不自然だって気付かれるよね。

 認識阻害の《結界》ごと移動してくから、気配を消せないスーザンがいても平気。

 宙に浮いて付いてくる《ライト》を、不思議そうに眺める彼女。サービスで次々色を変えたら、目を見開いてた。

 正門から堂々と出してあげたいところだけど、比較的近くて、配置人数や大きさの面でも面倒の少ない通用門を目指す。

 《念動》と《身体強化》を使えば、閂はもちろん門扉の重さも関係ない。

「はい、お疲れ様。もう、おしゃべりしてもいいよ」

「…いえ、はい。緊張しました。あらためてありがとうございます、フローラ様」

 足は止めず小声で話す私に倣うズーザン。

「どういたしまして。くわしい話は落ち着いてからするとして。とりあえず、森に拠点があるんだ。そこにスーザンを連れて行こうと思うんだけど、なにか持っていきたいものとかある?」

「…いえ、ないです」

 あるけどあきらめるって感じ?

「あなたが住んでたところにも寄れるけど」

「いえ! いいです。全部、師匠…あの人に与えられたもので、もともと孤児の私のものなんてないんです。あ、でも、着替えくらいないとフローラ様に迷惑をかけることに」

「それは気にしなくて大丈夫」

 全部、魔力でつくるから。

 体をこわばらせた少女と、手も足も短い幼女が貴族街から出るには、それなりに時間がかかった。

 平民に比べれば宵っ張りの貴族たちも、さすがに寝入ってる時刻だ。

 各邸の門は固く閉ざされ、でも、動き回る気配が少なからずある。

 放たれた番犬は、不用意に吠えたりしないし、それは人も同じだけど、庭園や、窓の向こうを灯火が移動してくのが見えることがある。

 それなりに鍛えられた私兵の中には、勘のいい者がいるかもしれない。

 大丈夫だろうとは思いつつ、魔法を過信しきれない理由だ。

 防衛の観点から、また、身分なんてものもあって、王都の中は玉ねぎみたいに、いくつもの層に分かれてる。

 結果的にいくつもの門を通ることになるわけだけど、やることは変わらない。

 認識阻害と音漏れ防止を兼ねた《結界》に、通常の景色を張り付けてるだけなんだけど、ちょっと通り抜ける間くらいは誤魔化せる。

「ヒェッ!」

 物陰からぬっと現れた女に、スーザンが悲鳴を上げかけ、自分で口を押えてる。

「大丈夫、仲間だから。マーサだよ。こっちはスーザン」

「よろしく」

「よ、よろしくお願いします、マーサさん」

 他に選択肢がなかったとはいえ、いままでよく疑問一つ口にせず、四歳児に付いてきたよね。

 いかにも冒険者然とした大人の登場に、スーザンは緊張しつつも肩の力を抜くって器用な真似をする。

 最初からマーサでもよかったんだけど、子供の方が相手を警戒させないだろうし…まあ、怪しさって点ではなんとも言えないけど、万が一見つかった時、王宮や貴族街では私の方がまだ言い訳がきくかと思ってね。

 あとは、王侯貴族が追い詰めた彼女を意地でも、棺桶ならぬ貴族に片足突っ込んでる私が助けたかった。

 だからあえて髪や目の色も弄らず、地味めとはいえ令嬢らしいドレスを着てる。

 まあ、スーザンからすれば、どうでもいいことだろうけどね。

「私の足に合わせてると夜が明けちゃうから、コレに乗って行こう」

「はい!」

 この時のために人力車っぽいものを作ってみた。引くのは当然マーサ。

「わぁ、ふかふか」

 スーザンは小声ではしゃいだ後、居住まいを正す。

 どこに連れて行かれるのか、何をさせられるのか、何も考えないはずがないのに。

「すみません、マーサさん。よろしくお願いします」

「任せて」

 夜の街を直走る人力車。

 月のない晩で、歓楽街をのぞけば谷底みたいに真っ暗な道だけど、《ライト》は明るいし《マップ》があるから、魔物を避けながら森を行くのと大差ない。

 街門をこっそり開けて出る時は、さすがにちょっと緊張したけど。

 再び門が閉まる音に続いて、スーザンのため息が聞こえる。

 ここから拠点まで《身体強化》したマーサなら十五分ほどだ。

「ふぉぉぉっ…」

 スーザンは掠れた悲鳴を上げてるけど、スピードを感じるのが嫌いなわけじゃないみたい。

 街道を外れてからは歩きだけどね。

 遠慮するスーザンごと、マーサが抱える。

 《ライト》で十分な明るさを確保してるし、足場もそれほど悪いわけじゃないけど、いまのスーザンは間違いなく転ぶ。

「あ、あの~、だ、大丈夫でしょうか?」

「人とか魔物が寄らないようにしてるの。だから、嫌な感じがするだろうけど、すぐ抜けるから」

「は、はい」

 実際、第一の《結界》に入れば、何となくの忌避感は感じなくなる。

「着いたよ」

 スーザンが通れるように設定し直した、第二の《結界》を抜けてはじめて拠点が認識できる。

「わっ!」

 声を上げて見入ってるスーザンは、地面に足が付いたことにも気付いてないみたい。

 《結界》がどこまであるかわかるように、境目のすぐ手前に簡単な柵をつくってみた。

「ここから出なければ、魔物にも襲われないし、人にも気づかれないよ。まあ、木に目印のリボンが結んであるところまでは、出ても大丈夫だとは思うけど。初めは不安だろうから、マーサといっしょに行ったらいいよ。そこから先も行きたかったら、マーサに頼んでね。もちろん私でもいいよ」

「は、はい」

「じゃあ、部屋に上がって見て」

「はい!」

 梯子を危なげなく登ったスーザンは声を潜めて、歓声を上げてる。

「ここをスーザンに使ってもらうけど、大丈夫そう?」

「はい! 可愛いです。ほんとにいいんですか?」

「うん。気に入ってくれたならよかったよ。他にほしいものがあったら、私にでもマーサにでも言ってね」

「はい。でも、十分だと思います」

 防水布をタープのように張ってあるだけで、半野外空間どころの騒ぎじゃないけど。

 そこから下げてある虫除けのポプリは飾りだね。《結界》は虫も通さないから。

 ベッドにはキルトカバー。

 小さなチェストの上に鏡をおいてドレッサー風にしてある。

「間に合わせで悪いけど、ここに着替えとか寝巻が入ってるから使ってね」

「はい。なにからなにまでありがとうございます」

 スーザンは本気で喜んでるみたいだけど。

 あとは木目調の小さなテーブルと椅子。ホウロウの水差しとカップ、盥があるくらいだ。

 ツリーハウスの背面を板壁にして、ほかはカーテンを引けるようにもしたけど。

 あ。あとで忘れず、櫛を作っておこう。

「トイレはあそこ、井戸はそこ」

 柵から身を乗り出すようにして指差すと、隣で同じようにしながらスーザンが大きく頷く。

「竈まであるんですね」

「うん。あ、でも薪がないや」

「それくらい拾いに行きますから」

「うん。慣れるまではマーサと行ってね」

「はい」

 明るく振る舞ってるけど、やっぱり目の下の隈が気になるな。

「…疲れてるよね。とりあえず休んで、話は明日にする?」

「いえ。フローラ様さえよければ…いろいろ気になって眠れそうにありません」

「そうだね。とりあえず、座ろうか」

 遠慮するスーザンをベッドに掛けさせ、私は木の椅子に座る。

「えっと、どこから話そうか。スーザンは自分がなんで処刑されることになったか知ってる?」

「はい。避妊薬と堕胎薬を作ってたからだって言われました」

 あー、一般向けにはそっちを前面に押し出すわけね。これも教会が嘴を挟んだ弊害かな。

「おかしいと思ったでしょ?」

「…はい。おし…パメラ薬師は何十年とそれを作ってきました。なのに、なんで私がって思いました」

 この子はちゃん話を理解できるだろう。理不尽なことを受け入れて、でも、へこたれない力強さもある。

 でないと、処刑まででも生きてたいなんて言えないよね。

「うん。発端は王家で起きたことなんだ。王孫のマールス様が生まれたのは知ってる?」

「はい。私たちも夕飯のおかずを奮発してお祝いしました」

 そっか。

「彼はね、いまは健康だけど、生まれた時はあまり良い状態じゃなかったんだ。生きてるのが不思議なくらいのひどい状態なのに、それでも命があってね」

「はぁ…?」

「じつはスーザンの作った懐妊促進薬を、王太子妃様が飲んでたって言ったら信じる?」

「え? そ、それはありがたいというより、怖いですね」

 うんうん。バランス感覚も正常だね。

「当然、彼女は子供を望んでた。でも、それを望まない人たちもいたんだ。で、その人たちは王太子妃様が飲む懐妊促進薬に、やはりスーザンが作った避妊薬を混ぜたの」

 ひゅっと息を吸う音がする。スーザンは顔を真っ白にして、両手で口を覆ってる。

「そ、それは、私に話しちゃっていいことなんですか?」

「あまりよくはないけど、スーザンは知っていいと思うよ。でも、やたら人に話すと命がないから気を付けてね」

 無言でコクコクうなずく少女。

「ふつう、そんなことしたらどうなる?」

「そうですね…」

 恐れながらも、真剣な顔つきになる。いかにもプロって風格に、年は関係ないんだな。

「まず、妊娠しません。それから少しは体調を崩すかもしれませんが、それほどひどいことにもならないと思います」

 ふむふむ。薬が打ち消し合って、でも完全に合致しない部分が悪さをするって感じなのかな。

「それがね、妊娠しちゃったの。その上、避妊薬の薬効も合わさっておかしなことになったみたい。マールス様は手も足もない、目も鼻も耳も口もない、ある意味完全な肉の塊として生まれてきたんだ。なのに生きてたの」

「え…」

「ちょっと想像つかないだろうけど、それが事実。でも、マールス様のことは大丈夫だよ。私の師匠に当たる人が、魔法でなんとかして、いまはふつうの赤ちゃんだから」

「そ、そうですか。なら、よかった。よかったんですけど…あの、それって私のせいですか」

 これははっきりさせておかないといけないことだ。

 私は力を込めてはっきり言う。

「いいえ、違います。スーザンのせいじゃありません」

 スーザンはじっと縋るように私を見てる。

「たとえばスーザンが料理をしていて指を切ってしまったら、それはその包丁を作った鍛冶師のせいだと思う?」

「まさか。私の不注意です」

「そういうこと。悪意を持って使った人が悪い。スーザンは悪くないの。わかった?」

「はい。私は悪くありません…でも、あの、本当に私の作った薬でそんなことになったんでしょうか?」

 これは薬師としての疑問かな。

「スーザンって、薬を作る時なんかしてる? たとえば歌をうたって聞かせるとか、薬草にお願いするとか」

 ソバカスの散った頬がすぅっと赤くなる。

「はい。あの、よくは覚えてないんですけど、すっごく小さかった時に、たぶん母だと思うんですけど、転んだ私の膝におまじないをしてくれたんです…つけてもらった名前も覚えてないのに、こんなの、おかしいですよね」

「そんなことない、素敵な思い出じゃないの。大事にしなさいよ」

「はい。えへへっ…なので、それとおんなじ調子で、傷薬だったら『は~やく治れ~』とか…堕胎薬とかはさすがに気が咎めるので『神様のところに行けるといいね~』って話しかけるっていうか、歌うっていうか、はい、お薬にお願いしてて」

「やさしいんだね」

「いえ。もちろん『よく効いたよ』ってお礼を言われればうれしいですけど、けっこう『お金返して』って言われることも多いので、なるべく効いてほしいって必死で…」

 薬師って想像以上に大変なんだな。

「あなたの薬、そのパメラだっけ、その人が作ったものより効くでしょ?」

「…じつはそうらしいです。そういうのもあって、役人に突き出されちゃったのかなぁって」

「…人の気持ちって、怖いね」

「はい」

 スーザンが俯いてしまったところで、梯子がキシキシ鳴る。

「お茶だよ~」

 ナイスタイミング私! いや、マーサ。

「ありがとう」

「あ、私が!」

「んー」

 顔だけ出して、お盆ごとスーザンに渡すと、マーサはまた梯子を軋らせながら下りていく。

「どうぞ」

「ありがとね。スーザンも」

「はい、いただきます」

 熱すぎず温すぎず、すぐ飲める適温だ。

「…おいしいです」

「よかった」

 自生してたお茶っぱを摘んで自作したほうじ茶だ。うん、我ながらなかなか。

「えーと、どこまで話したっけ。そうそう、スーザンの作る薬には魔力が宿ってるって話だった」

「ぶふぅ、ゲホゲホ…そんなの、聞いてないですよぉ」

 ものすごい変顔を披露してくれる。

「それ、すごいことなんだよ。誇って、大威張りしていいことだからね」

「そ、そうですか?」

「うん。これも大っぴらには言えないことだけど」

「やっぱり! だと思ったんですよ~」

 恐怖とか緊張とか驚きとか、いろいろ積み重なったものを突き抜けて、地が出てきたみたい。いいことだ。

 そこへまたマーサが顔だけのぞかせる。

「夜食だよ~」

 匂いはちょっとわからなかったけど、さっきからいい音がしてた。

「なんですか、そのおいしそうなものは!?」

「フレンチトーストっていうのよ。スーザン、召し上がれ」

「え、でも、フローラ様は?」

「私はいいの。おなかすいたでしょ? 冷めないうちにどうぞ」

「は、はい。では、遠慮なく…」

 あちっと一度口を離したけど、めげずにすぐに食い付いた。

 空腹だったことを思い出して、同時に込み上げるものがあったらしい。

「甘くって、やわらかくって、香ばしくって、おいしいです…なんなんですか、これで、パンなんですか」

 えぐえぐ泣きながら、食べることもやめない。

 木皿に口を付けるようにして、マーサが添えた先割れスプーンで手繰り込んでいく。

 鼻がつまって苦しそうだけど。

「牛乳に砂糖と卵を溶いた液に、薄切りにしたパンを浸して、それからバターで焼くんだよ」

「す、すごい、贅沢ですね」

「材料さえ揃えれば、簡単に作れるけど」

「その材料が高いんです。牛乳や卵はまだなんとかなりそうだけど、砂糖が…いったい、どれだけ薬を売れば買えるのか」

 薬より甘味が高いってなんなんだって思うけど、実際そうなんだから仕方がない。

 特に平民にとっては高値の花。

 もっとも、今回使ってるのは魔力製で、たぶんいくら食べても太らない夢の人工甘味料なんだけど。

「スーザンの腕なら、いくらでも買えそうだけどね」

「ほんとですかぁ?」

 すべてを食べきって、名残惜しそうに空の皿を見る。

「もう、薬師なんてこりごりって思ってたけど、こんなおいしいものが食べられるなら、がんばってみようかな。…フローラ様が私を助けてくれたのも、そういうことなんですよね」

 うん、鋭い。

「きっかけはそうだけど。本当に悪いやつは罰を受けて、貴族としては死んだも同然、でも生きてる。本人はすごくつらいだろうけど自業自得だし、多くの平民よりいい暮らしをいまもしてる。なのにスーザンが殺されるのはおかしい、だから。どうする? スーザン。ちょっとくらいだったら、復讐っぽいこともしてあげられそうだけど」

「や、やややめてください! あぶないですよ。いいんです、私のことは。命が助かったんだから、こうしておいしものも食べられたんだから。そういうもんなんです。だって、相手は貴族なんでしょ? 孤児院にもいました。親が貴族の馬車に撥ねられたとか、貴族に借金踏み倒されて破産したとか。どの子も恨んでなんかなかったですよ。だって、雷に打たれたとか、川に流されたとか、そういうことと一緒ですから」

 悲しいかなスーザンの言う通り、貴族って平民にとってはそういう存在だ。

 思い切れずに恨みを持ち続けた者は破滅する。

「もし、あなたが薬を作らなくても見捨てないから。とりあえずよく休んで、ゆっくり考えてから決めなさいよ。薬師が嫌なら、別の魔法を教えてもいいし。スーザンだったら、すぐ使えるようになるよ」

「そ、そうかなぁ…とてもそうは思えないですけど、お願い、しまふ」

「…おやすみ、スーザン」

 コテンと横になって寝息を立てつつも、わずかにまだ眉間に皺を寄せている。

 緊張の連続で、ろくに休めず、相当に疲労してたはずなのに、なかなか《スリープ》が掛からなかった。

 感情のふり幅が大きかったところに持ってきて、おなかがきつくなり、当面の生活を保障されて、やっと意識を手放したって感じ。

 なんて我慢強い子だろう。

 どうやら労働環境がかなりブラックで、眠気を我慢して作業することも多かったみたい。

 これから幸せになってもらわないとね。

 ゆっくり手を開かせて木皿とスプーンを取り上げ、靴を脱がせて足をベッドに上げる。

 《クリーン》を掛けてから、ベッドカバーで巻き巻き。服の皺はあきらめてもらおう。

 カーテンは引いておいた方がいいかな。

 食器を乗せたお盆をまず《念動》で下ろして、自分もそっと下におりる。

 マーサは薪を拾いに行ってる。帰ってきたら適当に休むだろう。

 私は、自立式ハンモックを作って横になる。

 明日の予定を簡単に考えて、機能を停止した。

 私は、クロムウェル侯爵邸の自室ですやすや寝てる。

 ちょくちょくメイドが掛布団を直しにくるから、たとえ《アバター》のフローラが目撃されたところで、アリバイはばっちりというわけだ。



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