39、カルチャースクール
一日置きに、スーパーガスター王都南店の買取コーナーに通ってたら、三回目にして応接室に通された。
「いつもお世話になっております」
「こちらこそ、いつもお世話になっております」
商人として当たり前に油断ならないタイロンだけど、遣うべきところできちんと気を遣うから、こっちはストレスフリーで付き合える。
持ち込んだ素材は、少しとはいえ冒険者ギルドより確実に高く買ってくれるし、ペコペコ頭を下げ合うのが懐かしいっていうか…なんか落ち着くんだよね。
「今日お時間をいただきましたのはほかでもない、マーサさんがお使いの荷車と保冷機能を持たせた箱。あれらと同じものを生産、使用、また販売するご許可をいただきたく。もちろん、タダでとは申しません。それによって生じた利益の何パーセントかを毎年お支払いするか、一括でそれなりの金額を納めさせていただくか」
これから交渉というわけだ。
うーん。私としてはそういう手間をかけてお金を貰うより、別に欲しいものがある。
いや、もちろんお金だって欲しいけど。
この世界でより手に入れづらいのは、知識だったり経験だったりする。
なにしろスマホも、インターネットもない。
本は貴重で、誰でもが教育を受けられるわけじゃないし、技術の流出には各ギルドや貴族が目を光らせてる。
「あの。あれらはもともと私が考えたというより、こう使いたいと伝えたところ、魔法使いや職人が知恵をしぼってくれたものです。そうして彼らも頑張ってはくれましたが、本来の仕事とは違うことをさせられて、たいそう不満だったようで。『二度とやるか』と捨て台詞を吐いていたくらいですから、同じものを作って売ったところで、どこからも文句はでないでしょう。ただ、私としてはできるなら、金銭よりも一つお願いしたいことがありまして」
「なんでしょう?」
にこやかな表情でうまく隠してるけど、警戒心がないわけないわね。
「乗馬か、御者の技術か、教えていただくことはできないでしょうか」
「じょうば…馬にお乗りになりたい?」
「はい」
あっけにとられたような、ほっとしたような気配をただよわせるタイロン。
これは「馬が欲しい」と言っても、現役を引退した老馬なら譲ってくれたかもしれない。
でも、乗れない車…いや、馬をもらっても仕方がない。維持管理にかかるお金や手間暇を考えるとね。
そもそも馬は王侯貴族のものだ。超高級車であり、軍用車両だ。
領地の生産性を高める農耕馬はトラクターで、経済を回す荷馬車はトラック、乗合馬車はバスだ。
彼らからすると、貸してやっているって感覚みたいで…
もともと高価な上に、平民の場合は所有者とその所在を明確にし、毎年バカ高い税を納めなければならない。
生き物だから当然餌が必要で、運動もさせなきゃならないし、蹄鉄一つ打ち変えるにもお金がかかる。
馬車はもちろん、馬具もとても高い。
王都の場合、城壁の外に放し飼いと言うわけにはいかないから、厩舎はもちろん、放牧場が必要で、そこには魔物に対応できる牧童を雇わなければならない。
すでにある施設に預けるって手もあるけど、当然料金が発生する。
愛馬と共に世界をめぐる冒険者もいるにはいるらしいけど。
馬にしろ馬車にしろ、仕事毎に買うか借りるかして、一区切りついたら売るか返すかした方が、効率はいいそうだ。
だから、まずは技術。
「そうですねぇ。我々商人はがお教えできるのは御者の方ですかね。でも、本当にそれでよろしいのですか? あれらの商品は莫大な利益を生みますよ?」
「もし、足りないとお考えでしたら、乗馬をお教えくださる方をご紹介ください。もちろん、そちらは紹介だけで結構です。交渉はこちらでいたします。一度お願いして断られたらすぐ引き下がって、こちらにはご迷惑が掛からないようにいたしますので」
「いえいえ、そこまでお気遣いいただけるマーサさんですから、心配はしていませんよ。はい、心当たりを当たってみます。御者の方はいつからはじめますか?」
その日はしっかり契約書を交わして、翌々日から、ガスター商会所属の御者、なかでもベテランの老人が、付きっきりで指導してくれた。
めっちゃ厳しかったけどね。
馬の世話からはじまって、馬具の取り付け方…馬車との連結にしても、付けて外してを何度も繰り返して、それからやっと馬の御し方。
でも、よくよく考えれば馬車って、前世でいえば大型トラックみたいなものだから、事故ったらどうなるか。
そう考えると厳しいのは当然って気にもなる。まして馬は生き物だし。
おかげで一週間ほどで、なんとか形にはなった。
初心者も初心者で、ベテラン御者に言わせれば「尻の殻も取れとらん」わけだけど。
「馬にはやさしく、しかし必要とあらば厳しく、あんた自身も精進せい」って、励ましてくれたんだよねぇ?
私としてはもう少し教わりたかったけど、タイロンから急かすように紹介状を渡されて、やってきました街門脇の詰め所。
「失礼します。こちらに、ターナー・オルソン様がいらっしゃると聞いて、お訪ねしたのですが」
「はい、私がターナー・オルソンです」
さっと立ち上がったのは、気配を薄くしてた私をあっさり見抜いたあの日の門番だった。
まあ、毎日ではないけど、冒険者として門を通過してるわけだから、それまでもそれ以後も、何度も顔は合わせてるけどね。
もっとも、私が彼を認識してても、向こうにしてみれば日に何百、場合によっては何千って通る人のうちの一人なわけで。
「冒険者をしておりますマーサと申します」
紹介状を渡すと一通り目を通して、にこりと微笑んだ。
「話は聞いてます、少々お待ちを。また、堅苦しい作法は不要ですので、あしからず」
だいぶ融通のきく人みたいでよかった。
冒険者の大半は、ちょっと丁寧に話したり、お上品に飲み食いしただけで舐められるって思ってる。
貴族からの依頼を受けたり、また本人も貴族相当に扱われるAランク以上になると別だけど。
門番を務める彼が「不敬罪だ」って言い出したら大変だろうな。
ファミリーネームの存在と金色の拍車だけが、彼が士爵だってことを示してる。
「見学者の案内に」
気さくな青年騎士は、仲間に一声かけて詰め所を出ていく。
門番を担当してる衛兵仲間も、不思議そうに私を眺めはしても嫌な雰囲気じゃない。
なんとなく会釈をし合ったところで、外から声が掛かる。
「お待たせしました。行きましょう」
外に出ると、騎士オルソンが一頭の馬を引いていた。
私は目を見開いたまま、促されて門を出る。
「素晴らしい馬ですね。オルソン卿の馬ですか?」
「はい、サニー号といいます」
王都をぐるりと囲う城壁に沿って、少し歩く。
「この辺でいいですかね」
街道を通る人たちの目は届かず、森からも離れているから魔物の心配もさほどない。
「あの、乗馬を教えてくださると」
「そうですよ?」
「よろしいのですか?」
「もちろん」
「でも、あの私、重いですよ? 騎士様の馬に乗るなんてとんでもないことですし、サニー号に気の毒で…」
「僕より重いなんてことはないですよ」
二十代後半と思しき青年騎士は、快活に私の心配を笑い飛ばす。
「大丈夫です、サニー号は人見知りしません。節操がないともいいますが、女性には特にやさしいですよ」
そうだ、そうだと言うように首を振るサニー号。
持ち主に促されて、その鼻面を何度か撫でる。
これ以上遠慮する方が、馬も人も気を悪くしそうだ。
「よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
明るくやさしそうなのに、この青年もまたスパルタで、いきなり馬に乗れときたもんだ。
いや、確かに馬の乗り方を習いに来たんだけどね。
「さあ、私の手を足場にして」
くっ。短い足をなんとか鐙に掛け、もう一方の足を両手を組んだオルソンに押し上げてもらう。
御者台も高かったけど、より不安定だからか馬の背はさらに高く感じる。
「今日のところは、私が轡を引いているから大丈夫ですよ。腿の内側にぐっと力を入れて、背筋は伸ばして、前を向く!」
パッカラ、パッカラ。サニー号はのんびりご機嫌に歩いてくれるけど、こっちは全身がっちがっちだ。
なぜか「笑って~」と言われるが、その笑顔も引き攣っていたことだろう。
ぐるぐると馬と騎士が歩き回って、その日は終了。
降りる時が、乗る時より怖かった。ベタッと上体をサニー号の背に…というか鞍に押し付け、無様に足から滑り落ちたよ。
こんな太いおばちゃんのウエストを、さっとキャッチしてくれた衛兵の筋肉は伊達じゃない。
でも、キュンなんてする余裕はなかったよ。
膝はガクガクするし、本来 《アバター》にはないはずの筋肉痛がはじまってて…脳が錯覚してるのかな?
《回復》するかちょっと迷って、とりあえずマーサから伝わる痛覚を鈍くする。
まったく感じないのも問題だけど、気を付けないと魔物に噛みつかれてショック死とか、ふつうに有りそうだ。
ほんと言うと、嗅覚を真っ先に切りたかった。
でも、それをしてしまうと状況の変化に鈍くなる。《魔力感知》や《鑑定》があってもだ。
馬の健康状態を把握するにも、肉のギリギリを見極めるにも、鼻って大事。
翌々日、前に比べてすんなり馬に乗った私に、オルソンが「あれ?」って顔をする。
やっぱりふつうなら、まだ筋肉痛に苦しんでる頃なんだろう。
「今日は手綱を持ってみましょうか」
手綱の握り方から、肘の曲げ方、手の角度、姿勢まで細かく指導が入る。
「そのうち意識しなくても、できるようになりますよ」
「はい」
返事だけ素直ってやつね。体力はある方だけど、ぶきっちょだから先は長いよ?
実際、隔日とはいえよく半月も、ど素人の平民に付き合ってくれたものだと思う。
でも、しばらくして雑談なんかもするようになると、なんとなくその理由も知れた。
「マーサさんが、隊長に僕のことを良く言ってくれたそうで。『よくぞ見抜いた』と珍しく褒められました」
「いえ。私は本当のことを申し上げただけで」
なるほど、それでこんな面倒なことを引き受けてくれたのか。
隊長ハーノックの口添えがあったのも確か。
スーパーガスターの買取担当タイロンによれば、馬車に武器を組み込もうとしてるとかなんとか。
最終日、「よくがんばりました」と年下の先生に褒めてもらって、おばちゃんは上機嫌だ。
「オルソン卿とサニー号のお陰で、なんとかそれなりに格好がつくようになりました。ありがとうございました」
城壁に沿って門を目指しながら、サニー号が得意げに首を振る。
自分のことを褒められてるってちゃんとわかってる。賢いねぇ。
その首を撫でてやりながら、騎士オルソンはどこか遠くを見るような目をする。
「これは僕の独り言なのですが…マーサさんはどこか良い家の生まれなんじゃないでしょうか。いえ、独り言ですからお答えいただかなくて結構です。でも、言葉遣いや仕草というものは、隠せるものではないと思うのです。…僕には五つ年の離れた姉がいました。悪い人ではなかったのですが、いろいろあって国を出ていかなければならなくなって。僕は三男なので継ぐ爵位もなく、それでもこうして騎士になれたのはありがたいことです。しかし、姉は…とても、暮らしてはいけないだろうと思っていたのですが、マーサさんを見ていたら希望が持てました。…女性というのは案外、たくましいものなのですね。いや、失礼」
「いいんですよ。私は冒険者ですから、『たくましい』は誉め言葉です」
言葉に嘘はないけど、私もきっと遠い目をしてたに違いない。
マーサの容姿については、とうにあきらめが付いてる。
でも、お姉さん、お姉さんかぁ…おばさんよりはずっといいけどね。
それぞれにそれぞれの意味で、泣き笑いしたい気分とはこのこと。
午後の日差しが眩しいぜぃ。




