32、ロスロス
現在、ロス爺ロスに陥ってるのは私だけじゃない。
王宮に勤める女たちはもちろんのこと、騎士団や魔法局に所属する戦う男たちにも人気があったからなぁ。
百五十年以上前の英雄が、ながらく姿も変えず自分たちの前をうろうろしてることに、なんの違和感も抱かない人たち。
はじめは《洗脳》でもしてるのかと思ったけど、ロス爺曰く「そんな便利で恐ろしい魔法などない」そうだ。
うーん、そうかな? 《スリープ》や《覚醒》の一歩手前で…いや、やめとこう。
実際の仕掛けは簡単。
ロス・ノート・ラビットは、いま大陸ではとんと見かけなくなったエルフの血を引てることになっている。
確かに、若い頃はさぞやって目鼻立ちではあるけど、あのガタイでエルフの血とか言われても…
ちなみに、エルフとかドワーフとか獣人とか、本の挿絵を見る限り、私の持ってるイメージと乖離はないようだ。
ただ、魔法が得意ってことで皆、納得しやすいんだろうとは思う。
昔々のその昔、この大陸では教会がいまよりずっとずっと力を持っていて、それに対抗するため五つの国が連合し、十五年に渡って戦ったり、停戦したりをくり返していたそうな。
いまは「将軍」なんて呼ばれるロス爺だけど、当時は小さな傭兵団の団長でしかなかったらしい。
不利とみれば即、戦線離脱することから、ついたあだ名がラビット。
逃げ足が速い臆病者ってことらしいけど…意外に兎って強いよね。蛇と戦ったりするし。
多産のイメージもあって、恋多きことを理由につけられた呼び名って気もする。
その真偽はともかく十五年、彼と彼の傭兵団は生き抜いた。
そして、最後の最後で戦況をひっくり返し、戦争を終わらせたのが彼らの魔法だった。
神兵を名乗る負け知らず、恐れ知らずの教会側の軍団を青い炎の壁で覆い、その炎は三日三晩燃え尽きることがなかったと言われている。
その炎は実際に熱く、炭になったり、それ以前に倒れる兵が続出。
それについて歴史家は言及してないけど、地形を見るに、メタンか何かが発生する沼地に、敵をおびき寄せての作戦だったんじゃないかと私は思う。
ロス爺は戦争のことは話したがらなかったから、これは本で読んだり、人に聞いた話。
その後も、忘れた頃に派手にやらかして、人の記憶に残ることをくり返してきたロス・ラビット。
目立ちたかったわけじゃなく、好きに行動した結果そうなっただけらしいんだけど。
本人曰く「人との殺し合いにはうんざりした」ので、冒険者になった。
グローブ王国の公爵位を与えられたのも、ほんの十数年前のことで、それも自由に王宮に出入りするための通行証代わりに、強引に押し付けられたんだとか。
ロス・ノート・ラビットを名乗るようになっても、それによる実入りがゼロであることは、ロス爺も言っていた通り。
まだまだ謎は多いけど、いまの私でもわかることは、彼は身も心も自由だってこと。
いまも、意外に人を気遣いつつ、好き勝手やっているんだろう。
さて。三年なんて長いようで短い。
三年後、またそれまでの時間、私はどうするつもりなのか?
ロス爺のことは信頼してるけど、彼の言うことが百パーセント正しいとは限らない。
人間誰だって間違うし、嘘を吐くつもりはなくても、そう思い込んでるだけってこともある。
まあ、九割九分そうなるとは私も思ってる。
もし残りの一パーセント、体が成長し続けて、このまま貴族社会で生活していくにしても、それから家庭教師について学び、王立貴族学院に行って…と、十分間に合う。
そもそも私が、ロス爺に出会う前、想定してた職業は侍女。
それなら貴族家で生活したことや、教育を受けたことが活かせるでしょ?
前世で「将来、何になるの?」「う~ん、OL?」ってくらいに、ふんわりした将来設計ではあったけど。
もともと気配り上手ってほどではなかったし、勉学にかんしてもそれほど優秀じゃなかった。
そんな私に、たとえば王宮勤めの女官なんてハードルが高すぎる。
いいところまで行って高位貴族家の侍女。それが駄目でも、下位貴族家のメイドくらいにはなれるかなと。
いや。メイドさんに「舐めんな」って言われそうだけど、それなりに頑張るつもりだったし、じつのところコネがものをいう世界だ。
恐ろしいことに、その頃には第二王子妃になってるだろうアマンダや、王太子妃であるキャサリン妃殿下にお願いすれば、王宮の侍女にだってなれてしまう…いや、本当の話。
でも、このまま体が成長せず、ロス爺と一緒に行けるなら、それはもう冒険者一択だ。




