31、八つ当たり
お手本は、十一歳のアマンダ。
どんな心持ちだろうと令嬢然と…ふるまおうとしても、やっぱりパチモンは化けの皮が剝がれやすい。
「私も幼い頃は、精霊児だなどと言われていたものだから、それほど深い意味があるとは思っていなかったの。いまも、じつはそれがどんな存在なのかよくわからないわ。それでも、ロス卿が何の意味もなくあのようなお話をされたとは思えないし、フローラはマールス様の遊び相手にもなったのだから、用心できるところはきちんと用心しましょう」
「はい。アマンダ姉様。私のために、いろいろ考えてくださってありがとうございます」
アマンダはグロリアとも話し合って、王宮に行く際の私のお供に、もとは侍女一人だったところ、護衛騎士を一人追加してくれた。
「本日よりフローラ様の護衛を務めさせていただきます、ローラン・スパイクと申します」
きれいな立礼を見せてくれたけど、ちょっと口元がゆるんでるかなぁ。
それもそのはず。最初に私に稽古をつけてくれた ( 接待 ) クロムウェル侯爵家の衛兵だ。
互いに気心が知れていて、付いて歩かれてもよけいな緊張をしなくてすむ。
もとより、そういったことも考慮に入れて選ばれたわけだ。
「よろしくお願いします」
そうして、ちょっとは気持ちが浮上したんだけど…
マールスは順調に育ってる。
キャサリン妃殿下はおっとりやさしそうで、実際そうなんだけど、マールスのこととなるとなかなか引かない。
まあ、あれだけのことがあったらそうなるか。
もちろん王太子妃としての仕事もあるから、いつもというわけにはいかないし、貴婦人の習いとして授乳は乳母に、おしめの交換はメイドに任せてるけど、自分が居合わせた時にマールスがぐずれば、さっと抱き上げて、あやしながら部屋を延々歩き回る。
たくさん話しかけて、歌を歌ってあげたりもしてる。
…王太子妃が音痴だったことに衝撃を受ける私に、「なにも言ってはいけない」というように、乳母や侍女が目配せしてくる。
そりゃ、言わないけどさ。
マールスも音痴になったらどうするの?
あー…あんなふうに愛情を注がれるには、多少のリスクはやむなしってことかな。型通りに育てられて歌がうまくなるより、絶対こっちの方が幸せだと思うし。
私は小一時間ほど控えていて、宇宙語を話しはじめたマールスとおしゃべりしたり、手で鳩や狐をつくって動かして見せたり、本の読み聞かせをしたりする。
女官や侍女たちが、上手に時間調節してくれるので、私が行った時にマールスが寝ていたことは一度もない。
「フローラ様がお見えの時は、いつもご機嫌でいらっしゃいます」
そう言うあなたたちのフォローあってのことだね。
私もさすがに、マールスの存在が王孫として公式に発表されたいま、人前では「マールス様」と呼ぶ。
するとマールスは、微かに眉根を寄せて、次いで唇をむにゅっと軽く突き出す。
その「不満だけどしょうがない。わかってるぜ」とでも言いたげな表情が、なんとも言えずおかしくて、癒されるんだなぁ。
あとの空き時間は、相変わらずの図書館通いと、ロス師匠の魔法講座。
でも、ロス爺っていつも決まった場所にいないから、探すついでに別のところが気になって見学し始めてしまうこともある。
本気で《結界》を張られたり、光度一状態に魔力を調節されると、私の《探索》では探し出すことができない。
《気配察知》も右に同じ。
でも、まるで訓練だとでもいうように、微かに気配は残していたり、突然魔力を発したり。
短気を起こして、向こうから探しにくることもある。
今日は、近衛騎士団の訓練場かぁ。
武官といってもいろいろな職種があるし、所属してる団体も違えば、訓練する場所も違う。
近衛騎士が悪いってわけじゃない。
礼儀正しく、穏やかに見守ってくれる人の方が圧倒的に多い。
ただ、この時の私は心がささくれ立って、ピリ付いた空気を発してたと思う。
だから、ごく一部の似たような奴を引き寄せちゃったんじゃないかな。
ダンテやマールス、無心に生きるベビーたちに癒されようって思ったり、いつも通りにって考えてる時点でもう違う。
理由は、ロス爺のことに決まってる。
誰が悪いわけでもないことって、ほんと感情の始末に困るよね。
「ローラン・スパイクか?」
擦れ違いざま声をかけられたのは、私の護衛騎士。
職務に忠実な彼は、軽い会釈でその場を切り抜けようとした。
たとえば護衛対象が高位貴族家当主その人だったら、完全無視してもよかったし、今回だって正しくはそうすべきだった。
でも、私の身分やら立場やら、相手の性格やら、状況やらを加味して、これがいちばん面倒がないって、とっさに判断したローランを責める気はない。
私が彼の立場でもそうしたろうし。
そもそも勤務中の人間に、知り合いだからって、ずけずけ声をかけることの方が問題だ。
「おう、ずいぶんなご挨拶だな。平民出が。幼児のお守りとは、ずいぶん出世したじゃないか」
ローランが平民だったのは彼のせいじゃない。
むしろ、そこから努力をかさねて騎士になったことを褒められこそすれ、貶されるいわれはない。
でも、ここは王宮で、相手はあきらかに高位貴族の子弟。
歴然とした身分が存在する封建社会の中に私もいる。
本当に腹の立つことだけど、建前上は平等をうたった前世でさえ、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そこでは、ぐっと堪える私がいた。
喧嘩すればそれだけ時間を取られるし、気力も体力も使う。だからって仕事が減るわけじゃないし、自分が悪いと思ってなくても、相手に逆恨みされたくないから、浮かべたくもない笑みを浮かべて表面上は仲直りをしたり、まわりに迷惑かけたって頭を下げてまわったり。
いつもの私だったら我慢した。ローランにも我慢をさせた。
あとで二、三言フォローを入れて、愚痴を聞いてあげれば済むことだ。
私の何が変わったんだろう。
たぶん、ちょっと魔法が使えるようになって自信がついた。うん、これは大きい。
それから、いまをときめく第二王子殿下のご婚約者の義妹 ( みたいなもの ) で、王孫マールス殿下のご学友 ( 予定 ) で、「将軍」の異名をもつラビット公爵の弟子 ( らしい ) って肩書。
しかも、国王陛下の内々のお声掛かりで、女官はじめ侍女やメイドが何かと気に掛けてくれる。
虎の威を借る狐みたいでみっともないけど、少しは調子にも乗るよね。
そして、いちばんは八つ当たり。
「むしゃくしゃしてやった」なんて、いい年した大人が何を言ってるんだと思ってた私がね。
箍が外れるってこういういことだ。
私が足を止めれば、ローランも止まらざるをえない。もちろん侍女も。
「ええーっ!?」って、二人の心の声が聞こえてきそうだ。
ある意味、冷静なんだか、たんなる興奮状態なんだがわからないテンションで、私は上空を指差す。
「あっ!」
まさか、居合わせた全員が引っかかるとは思わなかった。
だって侍女はまだしも、近衛騎士に、護衛騎士だよ? ギャラリーだって、ほとんど同じ業種だよ?
でも、その隙に私は《収納》から杖を取り出し、間髪入れずにスネー! コテー! メーン!
身を守るために使うって約束したのに、こんなことに使って、杖をくれたダウンコート侯爵はがっかりするかな…
不意打ちはしっかり決まって、でも《身体強化》をしてるわけでもないから、相手は多少痛い思いをしただけだろう。
ふつうに立ってるし。
でも、プライドはズタズタだぁね。不意打ちとはいえ、幼女に滅多打ちにされてさ。
顔を真っ赤にして、一歩踏み出した近衛騎士を見て、我に返ったローランが、私を庇うように前に出る。
「きっさま、ぶ、無礼な…」
「馬鹿者! ダウンコート、無礼なのは貴様だ!」
野太い声の持ち主は、たしか近衛騎士団長。
それより、気になるのは件の青年騎士のお名前。ダウンコートか、そっかぁ…妙なご縁ですね。
「事情はだいたいわかっているが、くわしい話を聞きたいので、ご足労願えるかな?」
「はい。お騒がせしてすみません。お手数をおかけします」
なんだなんだとさらに集まってくる野次馬の中で、ぬっと頭が飛び出してるロス爺。
たったの数歩で距離はなくなる。
「何をやっているんじゃ、フー?」
あきれたように言って、当たり前のように私を抱っこする。
「私が付いていながら…いえ、むしろ私を庇ってくださいました。ありがとうございます」
感動に打ち震えながら立礼したローランドの純な目が、やましい心に痛い。
うん。もちろん「うちの護衛をバカにしやがって」って怒りがきっかけではあるんだけどね。
「気にしないで。団長さんと話してくるから、ちょっと待っててください」
「はっ」
ロス爺より背は低いけど、ムッキムキの団長さんを追いながら、ロス爺が含み笑いする。
「ほんとのところはどうなんじゃ?」
「腹が立ったからやった。後悔はしてない。…でも、騒ぎを起こしたのはごめんなさい」
よしよしと頭を撫でられて、これでいいのかなぁと釈然としないながらも、ほっとする。
聞いてたらしい団長の肩も、なんか小刻みに震えてるし。
私をにらんだところで、「将軍」や団長に逆らえるはずもない騎士ダウンコートは、渋々といった体で付いてくる。
近衛騎士の詰め所はそれなりに広く、壁の両脇に木製のロッカーが並んでる。
梁に申し訳程度の飾り金具が打ち付けられ、装備品が時代がかってるほかは、前世運動部の部室といった雰囲気だ。
掃除は行き届いてるけど、徹底して《クリーン》を掛けて回りたいって言えばわかるかな。
近衛といっても、他と大して変わらない。
勧められ、促されて、中央のテーブルを囲む面々。
「さて。私は国王陛下より近衛騎士団長の任を拝命しているクリス・ターナー・ノーマットである。ラビット公爵閣下臨席のもと、此度の騒動の調書を取る。当事者、三…あれ、二名しかいないな」
「あ、申し訳ありません。勝手に待機を命じてしまいました」
「まあ、よいではないか。どの道、形式上のこと。はじめからノーマット殿が見ておったようであるしのう」
もとよりぐだぐだなところに、ロス爺が止めを刺す。
「はい、まあ。…頃よいところで止めようとは思っていたのですが、先を越されました。そちらは、フローラ嬢でよろしいかな?」
「はい。申し遅れました。フローラ・シャムロックです」
どちらかというと不名誉なことなので、なるべく自己紹介は短めに。
無駄な足掻きではあるんだけどね。
「こちらはアリエル・オルト・ダウンコート。我が団員がご迷惑をお掛けした。責任者としてお詫び申し上げる」
私はロス爺の腕をタップして、膝から下ろしてもらう。
「こちらこそ、短慮軽率に事を起こし、お騒がせしたことをお詫び申し上げます」
物理的に頭を押さえ付けられてるわけじゃないけど、上司の視線に負けて頭を下げるアリエル。
「…無用の口を利き、フローラ嬢とその騎士の名誉を傷つけたこと、お詫び申し上げる」
なんだ、自分のやったことちゃんとわかってるじゃないか。
納得してるようには、とても見えないけど。
カリカリと一応なんか書いてる団長さん。
「…なぜ、祖父の杖を持っているのか訊きたい」
アリエル青年の腫れた額を「冷やそう」と言い出す者はいない。
私も、彼の恨めしそうな目を見てると、そのこぶたんを押したくなるわ。
「…ダウンコート侯爵閣下からお譲りいただきました。もしもの時はこれで身を守るようにと。よろしかったら、このようなことに使用して申し訳ございませんと、フローラが申していたとお伝えください」
「そんなことをしたら、私が叱られる」
「叱られろ」
「そんな、団長…」
「結局のところ、どういった関係なんじゃ?」
「親戚です」
確か、チャールズの曾祖母の一番下の妹がダウンコート侯爵家に嫁ぎ、そこで生まれた子の従妹がクロムウェル侯爵家に嫁いできたとかなんとか。
「先のクロムウェル侯爵閣下の葬儀に、ダウンコート侯爵閣下自らおいでくださいました。その折に、この杖をいただいたのです」
「それを先に言ってほしかった…」
「ということは、親族間でのちょっとした行き違い…兄妹喧嘩のようなものというわけですな」
出たよ。けして言質をとらせない便利表現「のようなもの」
でも、それで団長さんは肩の荷が下り、私は無罪放免。
アリエル君は、先輩たちにこってりしぼられたそうな。
ローランに突っかかったこと、それ自体より、私の背後関係を把握してなかったことが、近衛として大問題だったみたい。
誰にも教えてもらえなかったなんて、そうとう嫌われてるのかねぇ。
どれだけ話して聞かせても、「聞いてない!」っていう人もちょくちょくいるけど。
後日、ダウンコート侯爵から、「よくやった」と御褒めの言葉をいただいた。
意外と言ったらなんだけど、流麗かつ読みやすい字を書く方だ。
その手紙は、翌日から私の書写のお手本になった。
ちなみに、私の護衛騎士ローランは、近衛騎士アリエルの腹違いの兄なんだそうだ。妾腹とかで、平民だったのは確かだけど。
なんだ、本当に兄弟喧嘩だったんだ。兄の方はまったく相手にしてないけどね。
王族も貴族も、親戚、家臣の相関図が入り乱れすぎてるよ。
皆もっとシンプルに生きられんものか。
「運がよかったということもわかっているな?」
「うん」
ロス爺にはちくりと言われたけど、それも私を心配してのことだとわかってる。
でも、私の中ではそもそもの原因はロス爺なんだよ。
彼にしてみれば、因縁つけられてるレベルの駄々こねだけど。
「ロス爺。これ、あげる」
「なんだ」
先日から、しこしこ内職するようにつくってた石?
いわゆる勾玉だけど、ロス爺にすれば見慣れない形状らしく、不思議そうに眺めている。
「牙とも、少し違うか」
魔力を物質化して、思うものをつくりだす。ロス爺ならほんの一瞬。
私の場合は、そんなすんなりいかなくて、いびつな形を整えようと四苦八苦してたら…いや、最初からこの形にするつもりだったんだ!
「なんの効果もないけど、いちおうお守り。失くしたら失くしたでいいよ。次はもっと上手につくる」
何を選んでも本人に負けちゃいそうで、ロス爺に似合うアクセサリーって、ちょっと想像がつかなかった。で、行きついたのがこの形。
「ベルトにでも挟んておいてよ」
根付なんて言ってもわからないだろう。
なんとなく青い石…実際は、宝石なんだかガラスなんだが、つくった本人もよくわかってないけど。
そこに銀箔を少しまぜ込むイメージで、試行錯誤すること三時間。
約束を破るような人じゃないのはわかってるけど。その時はすごく大事に思っても、日常に紛れて薄れていくことも少なくないって、私は知ってる。
形は歪だけど、思い通りの色にはなった。時々これを見て思い出してほしい。
「うむ。魔力の残滓もなく、よくできている。ありがとうな」
…よかった。
多すぎず少なすぎず、ロス爺みたいに魔力操作が完璧なら、成形した段階でただの石になっただろう。
でも、私の怨念がこもったような勾玉は、魔力満タンで、たぶんあのままでは魔物は引き寄せるし、強い人ほど何かを感じる。
それでは、持ち主がいくら気配を消したところでなんの意味もない。
自分の未熟さを噛みしめながら、魔力を《吸収》しての強引な帳尻合わせ。
当初、通信機能を兼ね備え…とか考えてたなんて、とても言えない。
相変わらず、無線でどうのっていうのが、うまくイメージできないわけだ。
魔力線でつながった《耳目》は、いまのところ、王都近郊が限界だからなぁ。
トンボを飛ばした時のように霊力を利用すれば、いいところまでいけそうではあるんだけど。
それだと方向と距離が限られる。
…たとえば、霊力の源と同義らしい精霊の里をハブにすれば、全方向どこへでも通信可能になるんじゃないかって、なんとなくの構想はあるんだけど。
それ以前に魔力操作だ。そして、魔力量をもっと増やそう。
これからも精進あるのみだよ。
「本日も、ご指導ありがとうございました」
「気を付けて帰るのじゃぞ」
執務室同様、王宮内に部屋を与えられてるはずなのに、どこに寝泊まりしてるのか、最後まで悟らせないロス爺なのだった。
まあ、自由時間に何をしようが勝手なんだけどね…




