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わがままな義妹なんて荷が重い  作者: 御重スミヲ
28/63

28、マール


 そこは白い部屋だった。

 無機質に見えないのは、壁や天井、床それぞれのトーンが変えてあって、置かれた家具類もすべて優美な曲線を描いてるからだろう。

 大きな窓に引かれた薄織のカーテンから差し込む、やわらかな日差しもそれに一役買っている。

 繊細な彫刻が施された、ベビーベッドまで白く塗られてるあたり、徹底してるけど。

 その柵から枝のように伸びるベビーメリーは、その支柱以外、対照的にカラフルだ。

 デフォルメされた赤いリス、青い象、角のあるピンクの兎。

 合間でキラキラしてるのは本物の宝石のようで、さすがは王家というか、やりすぎって気がしなくもないけど。

 重要なのは、それが私の下げてるイヤリングの石と似てるってこと。

 違うのは、そこに魔力が込められてるってこと。

 つまり、これはロス爺の手によるものなんだろう。

 傍らのやはり凝った装飾が施された、白いテーブルに置かれたガラガラ各種や、たくさんのぬいぐるみ、起き上がりこぼしのような人形などは、その限りじゃないけど。これらは子供部屋にあって当然のものだ。

 異質なのは、部屋の脇に寄せられたソファーに乗ってる、ぐしゃぐしゃに丸められた毛布。

 その周りの床に乱雑に積み上げられた書物と、アレコレ描き込まれた紙の束。

 こちらはサイモン先生の巣穴で間違いない。

「よしよし、いい子じゃ」

 ロス爺は、私を抱き上げて対象をよく見られるようにし、片手でベビーメリーに魔力を流し込む。

 一定量の魔力が溜まって…おそらく満タンになったのだと思う。

 すると、宝石の部分がやわらかく光り、ベビーメリーはゆったり回りはじめた。

 そこから淡く、やさしく降り注ぐ魔力。

 でも、それを受ける対象は、色の乱舞を目で追うことも、シャラ~ン、チリ~ンと小さく響く、澄んだ音色に声を上げることもない。

 寝返りは…打つんだろうか?

 そこにあったのは肌色の塊。

 毎年、神社に奉納させられた、直径三十センチの丸餅を思い出す。

「色白な子ですね…」

 ほかにどんなコメントが?

 私もそうだけど、いかにも前世でいう白人タイプの、しかもろくに外に出ない貴族の、肌理が細かく、下に通る血管が青く透けて見える肌。

 いわゆるブルーブラッドというやつで、それはまあ、この際どうでもいいんだけど。

 問題は、この塊には手もなく脚もなく、頭もなく、従って、指も、目も鼻も耳も口もないし、髪も生えてないってこと。

 でも、ゆったり呼吸するかのように、わずかに上下運動をしていて、特に太い血管が時々、脈動する。

 生きてるわけだ。

 正直、キモイんだけど…そう感じるのは、この子が本当に赤ちゃんだとすると可哀そうすぎる。

「ロス…師匠。この子に触れてもいいですか?」

「おお、おお、触れてやれ。ただし、絶対に魔力を流してはならんぞ」

「…わかりました」

 珍しく真顔で念押しされたことだ。

 私はできる限り魔力を捨て去る。空気中に放出して、赤ちゃんに影響があると困るから、近場にあったちょうどいい器…つまり、ロス爺にぐいと押し込んだ。

 霊力を取り込めるんだから、魔力の《譲渡》も、もっと言えば《吸収》もできるだろう。

 木や草花、食べ物や、置物なんかではできた。人でやったのは初めてだけど。

「グホッ…年寄り相手に無茶をしよる」

 いきなりのことに驚いただけで、顔色は悪くないし、いつも通り余裕の表情だし大丈夫だろう。

 ロス爺が自覚してないだけで、まだまだ魔力を溜め込む余地はある。しかも、たくさん。

 あまり空腹でうっかり魔力を吸うことのないように、軽い空腹を感じる一歩手前の状態で、手を伸ばす。

 私の体は、ロス爺が軽々と支えてくれてるから、何の心配もない。

 ベビーベッドの中身に集中していても、サイモン先生や女官の、大きな不安や小さな不満、ほんのちょっとの期待が混じった表情もちゃんと見えてる。

「いい子だねぇ、可愛いね~」

 弟のダンテと接する時と同じ気持ちで、やさしく撫でる。

 そういえば、名前を聞いてなかった。

 でも、名付けられてない可能性が高いから、怖くて聞けない。

 この子だって傷付くと思うし…まあ、聞こえないし、聞こえても理解できる年齢じゃないから、あくまでこっちの気持ちの問題なんだけど。

 あの時期にロス爺が王都に入ったとすると、生後三ヵ月ってところかなぁ。

「まん丸マールちゃん? たくさんねんねして、おっきくなるんだよ~」

 話しかけながら、ゆっくりゆっくり撫でてるうちに、塊…うん、マールと呼ぼう。マールの上下運動もゆっくりになった気がした。

「寝ちゃったみたい」

「…では、起こしてしまうのは可哀そうですね」

 立ち直りがいちばん早かったのは女官だ。

 促されて前室に戻る私たち。

「はぁ~、やってくれたのう」

 いや。連れていったのはロス爺、あなただろうに…しかも、なんかさせるために。

「どういうことですか!? あの状態で、あの存在には意志があるのですか?」

 サイモン先生が興奮して詰め寄ってくるけど、ロス爺に抱っこされてる私は、あまり脅威を感じない。

「お茶をお入れしますので、ひとまず落ち着いてください。そちらへどうぞ」

 爽やかなレモンイエローのソファに腰を下ろす面々。

 私はロス爺の膝の上だ。

 普通に座ってもローテーブルには十分届くんだけど、ここは私にとってアウェーだから、なんの文句もないです。はい。

「…おそらく。フローラが名付けを行ったことで、存在がこの世に定着したのじゃな」

「あれは単なる呼び名です。正式な名前が付けられる前に、愛着をもって接するためのベビーネームというもので…まずかったですか?」

「いや、むしろ助かった。そうじゃな、サイモン?」

「はい。確かに。もとより、大変に不安定な存在なので。意識も希薄と申しますか、あるのかすらもわかりませんでした」

「それは仕方がないのではないでしょうか。まだ、生まれたばかりなのですから、そんなものでは? いえ、私は出産も育児も経験ありませんが、弟がマールの少々年上くらいなので」

「マール…マール様ですか。大変お可愛らしい。これまでなんとお呼びしてよいか、正直困っておりましたので。仮の名とはいえ決めていただいて、本当によろしゅうございました。それがまた、マール様のお為になったのでしたら重畳です」

 おー。陰の実力者って感じの人に肯定してもらえると、安心感が違うね。

 慣れた手付きでお茶と茶菓子を用意してくれた女官に、ロス爺が声を掛ける。

「サンダー夫人も自分の茶を入れて、共に掛けたらどうじゃ。これはちょいと腰を据えて話し合わねばならぬぞ」

「…はい。では失礼して」

 まずは情報の共有からだ。仕切るのは当然、ロス爺。

「ここで見たこと聞いたことが他言無用であることは、いまさら言うまでもないことじゃが、あえて念を押しておく」

 見回された全員が深く縦に首を振る。

「このフローラは見ての通り、大人顔負けの思考力を持っておる。ただ、見ての通りまだ子供。当然、知識に不足がある。ゆえにフローラ、疑問があれば素直に口にするのじゃ。可能なかぎり答えよう。そなたらもそうしてくれると助かる」

「もちろん、そのようにさせていただきます」

「承知いたしました」

 まるで話の中心に私を据えているようだけど、そうすることでいま一度情報の確認、及び共有をして、自分たちが見逃していること、問題点などを洗い出そうってことだろう。

「では、さっそく。マールは王家のお子ということでよろしいですか?」

「うむ。正確には王太子の第一子じゃな」

「王太子殿下にはお二人の妃がいらっしゃいます。マール様は正妃様との間に生まれたお子です」

「そのことに間違いはないのですか?」

「む? やけに念をおすな」

 それに意味があることに、ロス爺はちゃんと気付いてくれてる。

 でも、ここにはサイモン先生も、女官のサンダーさんもいるからね。

「いえ、疑っているわけではなく…まだ推測の段階ですが。もう一つ、確認したいことが」

「なんじゃ?」

「マールは体の中まで均一ですか?」

「む? うむ、そうじゃ。あのわずかな魔力が均一に染みていく。つまり、皮の内に赤子が入っているわけでもなければ、手足や臓器、それに類したものがあるわけでもない。こう言っては何だが、じつに見事な肉の塊だ。もう、生まれてから百日にもなるのにのう。まるで大きくならん」

 答えにくいことを正確に答えてくれてありがとう。

 でも、ここで確信を得ておかないと、次に話が繋がらない。

「…ならば。マールは、いまだまっさらな状態なのではないでしょうか」

 ちょっとわかりづらかったかな。でも、曖昧な表現になっちゃうのも仕方ないよね。

「ふむ。ことは重大であるからこそ我々も話し合いに参加し、最終的には国王が判断を下すのじゃ。そなたに責任を負わせるようなことはさせんから、思うままに話してみよ」

「はい。ありがとうございます。まず、ご説明するのに必要なので、いくつか質問を追加しますが。先程、ロス師匠が行っていたことは、皆、承知なのですか?」

「ふむ、ふむ、フフフッ」

「そうだと思っていました。フローラ嬢、閣下はあのそ…マールをあやし、健やかな成長を促すために必要なのだとおっしゃっていた。しかし、どう考えてもそれだけではありませんね」

「まあ、よい。それを話さなければ始まらぬでな。その代わり、フーのことも話さなくてはならなくなるわけじゃが、よいのか?」

「他言無用、なのですよね?」

「うむ。やつ…国王には話すことになるやもしれぬがのう」

「それも、かまいません。もちろん、そちらも…」

「うむ。他言無用とさせよう。任せるのじゃ」

 なら、安心だ。

 視線で話し手を譲り合う、なんちゃって師弟。

「フー、話の続きを」

「はい」

 弟子の成長を促すかのように装って、それを他の二人は微笑ましそうに見てるけど、単純に面倒くさいだけでしょ。まったく。

 本で読んだだけの常識じゃ不安で、盗み見、盗み聞きをくり返してたのが役に立つ。

 でも、王宮内には、見えない《耳目》も侵入不可な場所があったわけで。

 それがここ。ここでの常識は知らんのよ?

 先程の会話でゴーサインは出てるけど、それがおよぶ範囲は当然、全部じゃない。

 どこまで話すかが問題なんだよなぁ。

 まあ、必要なだけっていうのが答えなんだろうけど。

 そういう整合性を求められることは苦手だから…《高速思考》でもしますかね。

「魔法で石や土塊を飛ばせることはよく知られています。つまり、それに適したスキルがあれば、魔力を使って物を動かすことができるわけですね。ロス師匠はそこからもう一歩踏み込んで、どの魔法でも結局のところ魔力を操って魔法を起こすのだから、極めれば自在に魔力を扱えるようになるはずだとお考えになり、それを成されました。そうやって、あのベビーメリーを回していたわけですが。そこから、わずかに魔力を放出するようにもしていました。おそらく、マールの生命維持に必要なだけの魔力を譲渡することが必要で、しかし、直接ふれて行ってはマールに負担になるとお考えになったのだと思います。ここまでよろしいでしょうか?」

「うむ。合っとる」

「…質問をよろしいでしょうか? 話の内容に不審はありません。なるほどと思うことばかりです。ですが、なぜ、フローラ嬢がそれに気付けたのか、うかがっても?」

「はい。じつはロス師匠は、わずかばかり魔力を感じ取ることができるのです。私もその指導を受け、いまだ未熟ではありますが、その感覚を理解しつつあります」

「それは、素晴らしい…誰でもできるようになるのでしょうか?」

 ああ、魔力の流れが見えれば手術とかもより安全にできるのかもね。

 これは私は答えられないぞ。ロス爺がどこまで情報公開する気なのか、単純にわからない。

「うむ。理屈ではそうなのじゃが。これまで成功したのはフーだけじゃな。その才能を感じたゆえ、弟子にしたともいえる」

「そうですか…」

 事実上、お前では無理だと言ったも同然。

 がっかりするサイモン先生には悪いけど、いきなり常識をひっくり返してしまうと、こちらは命を狙われる危険性が十分にあるから。

 そんな時はとんずらするって宣言してるロス師匠も、暗殺者を跳ね除けながらの逃亡は嫌なんだろう。面倒くさくて。

 戦うことは嫌いじゃないとは思うんだけど。「将軍」とかよばれてるくらいだし…

「話を元に戻しましょう」

 サンダーさんが軌道修正してくれる。

「はい。マールのことでしたね。マールは食事ができません。この場合は授乳ということですが…そういうことでよろしいでしょうか?」

「はい。その点でとても苦労していました。多くの文献を漁り、これまでの経験とも照らし合わせてみましたが、なかなかこれといった有効な手段がなく。思いつく限りのことを試そうにも、それによってマール様の体を損なうわけにはいきません。私はただ無為に時を過ごし、閣下の『儂に任せるのじゃ』の言葉についつい甘えて…」

「だから、お主は頭が固いと言うのじゃ。できる者ができることをやる…これ、戦場でも日常でも同じこと。そうして世の中は回っていくのじゃから、それでよいではないか」

 うんうん。よい言葉だ。

 ロス爺のことだから含蓄ありそうで、適当なことを言ってる可能性も無きにしも非ず。

 よく似た師弟だね。

「医学には素人の私からみても、マールは健康そうです。それは、サイモン先生や、サンダー夫人をはじめとした方々のご尽力があってこそと推察します。栄養を与えるだけでは子供はまともに育ちません。…栄養と言えば、魔力で代わりになるとは初めて知りました」

「うむ。苦肉の策ではあるのじゃがな。先にフーが申したとおり、マールがまっさらだからこそ、それでなんとかなったのかもしれんと、いまは思っておる」

 この世界の子供は、前世に比べて死にやすい。

 その上、早産ということで、それを助けるためにロス爺が呼ばれたって言ってたよね。

 城内の噂では、「将軍」は強力な《火魔法》とこれまた強力な《治癒魔法》のスキル持ち。

 それが事実なら、無限に魔法が使えることと合わせて、まさに戦場の申し子だ。

「治癒しようとはなさらなかったんですね」

「うむ。これは真に国王とサイモンの英断だ。教会の阿呆どもを侍らせていたらと思うとぞっとする。やつらはひたすら強く《治癒魔法》をかければ、なんでも治ると思っておるのじゃ。何事も加減が必要…よい塩梅というもがあるというに! フーはもう薄々気づいておろうが、マールはか弱き存在じゃ。この状態で強い魔力を浴びせ続ければ、このまま固定化されてしまう恐れがあったのじゃ」

「そ、そんな! 閣下、聞いてませんよ!?」

「言っておらんかったからのう」

 飄々としてるけど、ロス爺も綱渡りだったことがわかる。

 そうか。そうだよね。

 私、ちょっと勘違いをしてた。

 霊力を取り込んだから成長が止まったのかと思ったけど、厳密に言えば、霊力っていう膨大なエネルギーは体内に取り込む段階で魔力に変換される。

 その魔力の濃さと量が問題だってロス爺は考えていて、私もそれが正しいと思う。

 私の成長が本当に止まったかどうかは、まだ信じたくない気持ちもあるし、数年の観察の結果を待とうと思うけど…じつのところ、自身の《知覚》に集中した時の体感でも、《高速思考》で考えても、そしてなにより何の根拠のない勘で、すでに覆らないことだってわかってる。

「せめてお主くらいまで育っていればまだしも、この状態でというのは不憫でのう。手をこまねいていたのは、サイモン、お主だけではないのじゃよ」

「閣下…」

「では、マール様を成長させる方法があるならば、それは早ければ早い方がよいということですね」

 的確な位置に差し込まれる、女官サンダー様のお言葉。目的を見失わない人が一人いると助かるね。

 感情に振り回わされたり、知識欲から脱線しがちな我々はおとなしく座りなおす。

「そういうことじゃな」

「でも、どうすれば…」

「たぶん、情報が足りないのです」

「ふむ」

「情報とは?」

「サイモン先生のご著書『人体を知る~自然界からのアプローチ~』によれば、人でも動物でも、その子供は必ず親の特徴を有しています。どちらか片方だけに似るということはないと。そして、その似るという理由についても言及されていましたね?」

「はい! 動物でも植物でも、生き物はすべからく種の保存を目的としていると私は考えます。しかし、個体が生きる長さには限界がある。それが寿命というものですが、それでは種はあっという間に失われてしまいます。それを防ぐのが遺伝です。しかし、なぜか一つの個体のみでは種も子もなすことができません。大抵の生き物が雌雄を持つ、その理由についてはこれからも研究を続けてゆきますが、一先ず、ここで必要なのは、植物の小さな一個の種が、なぜ、その実を育んだ個体とそっくりに育つのかということです。動物の場合は母体の中で起こっていることをいまだ観察するに至らず、はっきりしたことは不明ですが、植物のそれと同じようなことが起こっているのではないかと推察できます。では、なぜ、子は親に似るのか。親から子へなんらかの形で情報伝達がなされていると考えるのが自然です。このように育つのだと、建物でいえば設計図のような指定がなされているはずなのですが、それがどのような方法をもって行われているのか、長きに渡って謎でした。しかし、我々はすでに気付いていたのです。経験によるものでしょうか。それとも、精霊の囁きでしょうか…じつに素晴らしい! さらなる知識があるならばどうにかして」

「サイモン先生」

「ハッ! すみません、サンダー女史」

「お気になさらず、続けてください。肝心要の話を」

「はい。…古くから使っている言葉に、血筋という言葉があります。これは世界中のあらゆる言語に存在しています。この血こそが、我々を親に似せているのではないかと、私は考えたわけです」

 私は小さく拍手していた。隣の部屋はロス爺によって、ここよりさらに音や気配、魔力まで遮断されてるけど、マールの存在を思うと自然とそうなる。

「ありがとうございます、フローラ嬢。私は馬鹿です。閣下のおっしゃる通り、頭がコチコチです。自分で自信を持って提唱している説と、今回のことがまるで結び付けられなかったのですから。これではいくら考えをこねくり回しても、無為、無駄…」

「そんなことはありませんわ、サイモン先生。サイモン先生が調べ、考え抜き、書物にまとめてくださっていたからこそ、私のような者でも学びの楽しさを知り、また、こうして答えにたどり着く機会を得られるのです」

「そうですよ。それで? その血をどうすればよいのでしょう」

「それは、いろいろ試してみるしか…安全性を考えれば、直接触れさせることで取り込まれるのが理想ですが。マール様を傷付けるというのは、なんとも」

「教会の反対を押し切り、国王の手術までしておいて何をいまさら。まったく、根性があるのかないのかわからん奴じゃのう。とにかく、血をもらってくるのが先じゃろう」

「そこで、当初の確認なのですが」

「ああ、なんという…」

「そういうことか、フーよ。これはなんとも頭の痛い問題じゃのう」

「どういうことですか?」

「サンダー夫人。そなたは医学…この場合は、サイモンの提唱している血統学か。どちらにせよ門外漢であるからピンとこないのであろうが。フーの仮説の通りであるとするならば、マールは誰の血も受けずに生を受けてしまった状態にあるということじゃ。それが人為的なものであるが、偶発的なものであるかはこの際置いておく。置いておくのだぞ、サンダー」

「…はい」

 ブワッと膨れ上がった殺気に、チビるかと思った。

 それはすぐに引っ込んだけど。

 もしやサンダー様は、ほんまもんの戦闘メイドなのかな、な? 《水魔法》のほかに、《暗殺》なんてスキルがあっても納得してしまいそう。

 彼女、賢そうだし、いろいろ経験を積んでそうだから、それを活かしてサイモン先生の秘書兼、マールのお世話係でもしているのかな?って思ってたんだけど。

 サイモン先生が「女史」って敬称を付けるくらいだ。ロス爺に負けず劣らず奥深さを感じさせる人だなぁ。

 …少々、現実逃避しちゃったよ。

 王家の闇なんて見たくも知りたくもないけど、王太子の子を産むってことに、いろんな利害やプライド、悪意が付きまとうのはあり得ること。

 でも、ロス爺のいう通り、いま我々が考えるべきことはそれじゃない。

「つまり、ここでサイモンとサンダー夫人の血をマールに与えたとしよう」

「…なんと、恐れ多い」

 それよりもと、嫌そうにサイモン先生を見るサンダー夫人。

 それどころじゃないってわかっていても、堪えられないことってあるよね。

「容易に他者の子にしてしまえるということですね」

「うむ。…加えて、真に王太子と王太子妃が我が子とすることを望むかどうかということじゃな」

「殿下も妃殿下も、マールの状態をご存じないのですか?」

 私は、ここまでの続きの間や、さっき見たマールの子供部屋というには広すぎる部屋を思い出す。

 それが子供の養育に向いてるかどうかはこの際わきに置いて、まあ、力いっぱい気持ちは表現されているように思う。

「いえ、頻繁にいらっしゃいます。しかし、その後ひどく気落ちされ、王太子妃殿下におかれましては、時にはマール様の目の前で嘆き悲しまれますので…」

 あー、気持ちはわかるけど、どちらにとってもよくない状態だよね。

「では、最終確認をしていただいて、御意志が固いようでしたら、少々血をいただくということで」

「そうじゃの。とりあえず、話はここまでじゃ。儂ゃ、もう疲れたぞい」

「お疲れさまでございました」

「え、え? もしや、そのご意志を確かめるのも、許可をいただくも、血をいただくのも…」

「サイモン、お前じゃ」

「なんといっても血統学の提唱者ですもの。サイモン先生が適任です。そうしていただくと、私たちも安心です」

「当然ですね」

 最後までサイモン先生はぐだぐだ言ってたけど、どの道、国王陛下に日々報告する義務があるらしく、そちらから話を通すことにすると言っていた。

 いや、だから、私はそこまで首を突っ込む気はないんだって。

 まあ、いまさら感は半端ないし、明日またロス爺とここにくることを約束させられたけど、今日のところは解放してもらえた。

 ロス爺は、昼間の二回くらいは、私に魔力充填させる腹積もりだったらしい。

 今回は「よき案を出した褒美だ」とか言って免除されたけど、それ、ほんとにご褒美?

 もう、イベント満載すぎる日だったよ。

 待ってた侍女には泣かれるし。それほど長い時間じゃなかったんだけど、待ってる間緊張しっぱなしだったみたい。

 アマンダには黙ってるように頼んだけど、どうかなぁ…まあ、たんに心配かけたくないだけだから、知られたら知られたで別にかまわないんだけど。

 よい時間だったので、王宮の隠れた名所、大衆食堂にて食事。

 …どこが大衆だ!って、下町育ちはツッコミたい。

 オマールエビのホワイトソース掛け~とろけるチーズを添えて~とか、ソフトバターとジャムが二種類も添えられた、ふわっふわの白パンとか、シャッキシャキの生野菜が十育種類も乗った上に、フレッシュバージンオリーブオイルをふんだんに使ったドレッシングを掛けたサラダなんて、大衆はまず食べない!

 金回りの良い大商人なら別だけど。

 大抵は記念日に気張ってとか、それも年に一度くらいじゃない?

 職人や冒険者は稼いでも、その日のうちに酒精のガツンとくる蒸留酒やビール、味の濃い~つまみを出す、それこそ大衆酒場で飲んじゃうみたいだし。

 でも、まあ、名称詐欺以外には何の不満もない。おいしかったので、ぺろりと完食です。

 その後、図書館に戻って、サイモン先生の別の著書を探して読んで、迎えに来てくれたアマンダと帰宅。

 いや~、斜め読みしておいたのが、今回役に立ったからね。

 あの司書さんには、一言謝っておいた。

 「別にあなたは悪くない」「目上の方を無視できるわけがないのに」と逆に謝られて、互いに気にしないということに。

 また目当ての本を取ってもらったり、お勧めの恋愛小説を教えてもらったりした。…私だって読むよ? むしろ好きだよ。

「退屈しなかったかしら?」

「まったくそんなことはありませんでしたわ、アマンダ姉様。姉様はいかがでしたか?」

「そうねぇ。退屈といえば退屈だけど、必要なことですものね」

 おぉー…それはもう厳しく、スケジュールも過密で、泣かされる令嬢が後を絶たないって評判の王子妃教育が退屈か。

 どんだけスペックが高いんだ、アマンダ。

 そんな彼女の耳には、黙っていても近いうちに噂は届くだろう。

 将軍が連れ歩く弟子 ( のようなもの ) の存在を知った時、アマンダがどう反応するか、いまから楽しみなような、怖いような。



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