27、前室にて
「さて。残念なことではあるが、儂にも仕事があるのじゃ。今日のところは、こんなもんでよいかのぅ」
中身を知ってしまえば、胡散臭いだけのしゃべり方。
なぜにわざわざ老人だって主張するんだろうね?
髪や髭の色もちゃんと白に戻してる。
「人の求めに応じるのも、そう悪くなかろう。儂はサービス精神旺盛なのじゃ」
まさか、思考を読めるわけ!?
「まだまだじゃの。フーの表情は読みやすすぎじゃ」
「…精進します」
「そうせい。ホホッ」
ロスは素早い動きで侍女をもとのように立たせ、スムーズに覚醒させる。
「…そうは言っても、実際の年くらい儂も心得ておる。ここは一つ、茶でも入れてもらって我慢するとしようかの」
「は、はい、閣下。お任せください」
いきなり間近に現れたように見える将軍の姿に驚きはしたものの、侍女は明らかに時間が飛んだことを認識してない。
これは見事すぎる。
私だったら、確実に立ち眩みとか、一瞬すごい眠気に襲われたとか、自覚させることになるだろう。
ちなみにこういう時は、侍女が卓上ベルでメイドを呼んで湯を持ってこさせる。
茶器は部屋の隅にあるのがふつう。
本来、壁際に控えてるはずの侍女やメイドも、普段から主人がここにいないのなら不要なわけで。
従者もいない公爵様なんて稀だろうけど、あちこち気ままに歩き回るには邪魔なんだろう。
必要とあらば「おい」「そこの」と誰にでも用事を言い付けて、断わられるのを見たことがない。
気付けば、部屋の外の気配も戻ってる。
盗み見、盗み聞きの防止だろうけど、ここだけが隔絶した空間という感じだったからね。
一服したところで、控えめに響くノックの音。
「将軍、お時間です」
「では、参ろうかの。ちょうど良いから、フーも付いておいで」
「はい」
どう考えても部外者を伴っていい場所じゃなさそうだけど、誘われたのだからいいんだろう。
案の上、私を抱えて歩いていた侍女は、重厚な扉の前で止められる。
「これより先は私がお供いたしますので、ご安心を」
キャリアも身分も明らかに上の女官にこうもきっぱり言われては、いち侯爵家の侍女が逆らえるわけもない。
「…こちらでお待ちします」
「お願いね」
扉が閉まると、ロスの執務室で秘密の話をしていた時と同様、一枚膜を張ったように外の気配が遠くなる。
「どれ、爺が抱っこしてやろうかの」
「お願いします」
手を伸ばす姿は、客観的に見れば可愛いと思う。
《身体強化》してサカサカ歩いても構わないんだけど、たぶん見た目が不気味だし、女官の手前おとなしくしてることにした。
ロス爺の腕は見た通りがっちりしていて、抱っこも上手だ。
「お手数をおかけします。重くはないですか?」
「なんの、これしき。爺といえど、それなりに鍛えておる。子供は素直にはしゃいでおればよいのじゃ」
きゃっ、きゃっ!
想像してたような加齢臭でも、男の脂っ臭さでもなく、爽やかな花の匂いをさせてるあたり、モテると豪語するだけある。
もちろん同じ抱き上げるにしても、大人の女と子供じゃ違うに決まってるから、どちらにも優しいって自己申告に偽りはないとみた。
「うむ、くるしゅうない」とか言いたくなる、この視座の高さは癖になるな。
一歩一歩の幅が大きいから、予想以上に早く背景が流れていく。
そのくせ揺れは最小限。
楚々としてるように見えるのに、付いてこられる女官の技術が謎だ。
長々と続く廊下の右手には、大きな格子付きの窓ガラス。左手には、絵画だの彫像だの花瓶だの。
馬車を二台、横に並べて走らせてもまだ余裕がありそうな幅で、もう縦長の部屋ってことでいいんじゃないかって広さでも、廊下は廊下だ。
その突き当り。
月と欅をモチーフにした扉が開かれ、豪奢な色違いの部屋を三つ通り過ぎる。それぞれ青、緑、黄色を基調としていて、どんな意味があるのはわからないけど、面白くはある。
次の扉がまた、きっちり閉まっていて、傍らに少し猫背になりかかった年配の女官が立っていた。
ここまで付き添ってくれた女官は、静々と下がっていく。
互いにうなずき合うわけでもなく、でも、引継ぎは済んでるって感じがいかにもプロフェッショナル。
「これは、儂の弟子のようなものだ」
ロス爺は、悪戯を咎められて開き直った少年のような風情で、堂々と告げる。
私の方は見もしないけど、すまんなとでもいうように頭を一撫で。
あ、仲間だって言ったのに、ってことか。
意外に繊細で、気にしぃなんだなぁ。
こっちは全然気にしてないことを、ごく軽い二度のタップで伝える。
むしろ、貴族と平民の間でふらふらしてる四歳女児にとって、将軍の弟子 ( のようなもの ) なんて、これ以上の身分保障はないだろう。
「…少々お待ちください」
するりと扉の向こうに体を滑り込ませた女官が、一人の中年男を連れて戻ってくる。
服の生地はそこそこ高級、仕立ては二流。一応は貴族だって主張してるようなちょび髭。
前世、終電でよく見かけたくたびれきったおじさんとシルエットが重なる。目の下の隈も痛々しい。
「閣下、困ります」
「儂だって困っとるわ。平民の母親たちはえらいのぅ。数時間ごとに赤子に乳を与える。しかし、儂は爺じゃ。一人くらい交代要員を用意しても、罰はあたらんじゃろが。儂がおっ死んでしまったら、お前はどうするつもりじゃ」
「し、しかし、陛下のご許可がありませんことには…」
「ならば、すぐ取ってまいれ。早く、速く、疾く行け」
「は、はい!」
大声をださないのは、扉の向こうに配慮してか。
それでも鋭い語気には、疲れたおじさんを駆けさせるだけの力がある。
あの調子だと、どこでけつまずいてもおかしくないけど。
「まったく下はやわいくせに、頭はカッチカチじゃのう。あないな小僧の守りなんぞつまらんじゃろう。儂のところにくれば、悪いようにはせんぞ?」
「オホホッ。こんな枯れ尾花相手にご冗談を」
「何を言う、花は花だ」
「ならば、向きたい方を向きます」
「むぅ…」
めっちゃ簡単にあしらわれてますね、師匠 ( のようなもの )
「まあ、やつがそなたを離すはずがないわのう」
「もったいないことでございます」
いまロス爺が助けてるのは王様だから、その直属の女官ってことだよね。
絶対に裏切らないって確信が持てる部下を置くからには、この先には王家の秘密的なものがあるに違いなくて、そいうのは必ず注意書きがしてあるんだ…触るな危険!
なんてところに連れてきてくれるかな。
床に降ろされた私は、ロス爺の足を支えにする振りをして、服の上からギューッと抓る。
筋肉ガッチガチで抓れませんね。
そうこうするうちに、疲れたおじさんがさらに疲れて帰ってきた。
「ご、ご許可がおりました。ただし、後で執務室までその弟子を連れてくるようにと」
「ほ~れな。結局、こうなったではないか」
煽っても、怒る気力もなさそうな男を指差し、笑う。
「これでこやつは医師としてはなかなかなのじゃ。患者を診て、治療する時だけは判断が早いでのう。王子妃が早産するとわかった時点で、即、儂を呼んだのは英断だったぞ。その後の人使いの荒さはいただけんが。サイモンじゃ。こっちはフローラ」
「恐れ入ります。無学で非力ゆえ、これからも頼りにさせていただきます。…先程は、あいさつもせず失礼を。サイモン・グレイ・ガードバンドです」
ロス爺に紹介された時点でカーテシーをしていた私は、思わず視線を上げて手を打った。
「『自然の摂理と魔法~医学への応用~』をお書きになったサイモン・G・ガードバンド先生ですか!?」
「え、ええ」
「ご著書を拝読し、大変感銘を受けました。偶然にもお会いできるとは感激です。ああ、ごあいさつもせず大変失礼を…フローラ・シャムロックと申します。よろしければ、ぜひ、握手をしてください。お恥ずかしながらまともにあいさつもできず、ずうずうしいお願いをするなど、重ねてお仕事の邪魔をして申し訳ありません」
「いえ、ええ、はい。シャムロック嬢」
「ガードバンド卿。彼女に、これから《クリーン》の魔法をお掛けしますので、握手をするのでしたら、その前にお願いいたします」
女官がさりげなくとはいえ急かすくらいだから、ある程度余裕をみてるにしても、スケジュールは決まっているんだろう。
ロス爺の先程の少々うらめしげな説明によれば、この先にいるのは乳児だ。
「こちらこそ。あなたのような、その…お子さんに、このように喜んでいただけるとは思いもよらず。う、うれしく思います」
女官に汚いもの扱いされたサイモン先生は、おずおずと私の手を握ってくれる。
「光栄です」
「いえ、その、はい」
「儂の時は、そんな態度じゃなかったがのう」
なんか文句を言ってる人がいるけど、それはヘンタイさんの日頃の行いのせいだから。
まあ、こっちの彼については、その人間性さえ知らないわけだけど。
なんといってもサイモン・G・ガードバンドはその著書で、「自然の摂理」つまり科学と、ながらく発展を見ない魔法に、互いの欠点を補い合わせることを提唱してる。
まだ前世科学にはおよぶべくもなく、「たとえば、火に風を送り込むとよく燃える。従って、《火魔法》の使い手と《風魔法》の使い手が協力し合えば、凄まじい火力を生みだせるはずだ」とか、「氷も、湯気も、水と同じものである証拠に、《水魔法》で氷、また霧をつくることに成功した」とか、その入口にやっと立ったくらいのレベルだけど、教会に糾弾される時は矢面に立ってくれるだろうし、私のなんちゃって魔法の隠れ蓑としても最適!
もちろん、チートなしにこんなことを考えつく人もいるんだ、って感心したのは本当だ。
そもそも彼は医師だから、専門分野の話ともなれば、私はまるで理解できないわけで。
「手術と《治癒魔法》の併用」については、興味本位で聞いてみたいけど、いまはそんな場合じゃないようだから、楽しみは後にとっておこう。
「では、魔法をお掛けます。よろしいですね」
「うむ、頼む」
「お願いいたします」
まず、目に魔力を集めて、ロス爺に掛けられる魔法を観察。
次いで《知覚》を全開に、また脳にも魔力を集めて《高速思考》を開始。
「《クリーン》」
…なるほど。
本物は《水魔法》の一種で、正確には《ウォッシュ&ドライ》と言えそうだ。
魔法は一瞬で終わる。なのにスッキリ爽快。
いちばん知りたかった点、汚れがどこに行ったかはまるでわからなかったけど。
相当に修練を重ねたんだろうなぁ。
そう。私も試行錯誤をしたことはしたのだ。
下町に住んでた時は、行水だってめったにできなかったからね。
その時は、まず水の冷たさにヒヤッとして、べちゃと濡れた感触が不快だった。ブオーッと熱風を吹きつけた後は、当然、お肌はカサカサ、髪はパサパサ。そして、汚れは落ちなかった。
私の《クリーン》は、余計な角質ごと汚れを引きはがすかたちに落ち着いた。同時に衣服の汚れを抽出し、付着した埃を払い落とす。
だから、胡麻~豆粒大の汚れの塊がコロンと落ちる。
乙女の意地で、なんやら綺麗な黒真珠みたいになってるけど、もとは垢で脂で埃だ。
何かに使えるかもしれないから、取って置いてはいるけど。もちろん《収納》に。
「ガードバンド卿も。外出されたのですから、いま一度」
「は、はい」
「《クリーン》」
私の思い付きや、小手先の魔法とは全然違う。
何万回? 何十万回? 一つの魔法に打ち込んだがための技術の高さ、そして、その安定感。
いかにもプロって感じの魔法使いに尊敬の眼差しを向けると、相も変わらず毅然としながらも、どことなく面映ゆそうに見える。
「それでは、奥へお進みください」
それはすぐに消えちゃったけど…可愛い。
私も、こんな可愛いお婆ちゃまになりたかったなぁ。




