22、恵み袋
自分でいうのもなんだけど、私は辛抱強いというか…気が長い方だと思う。
見た目より長く生きた記憶があるだけに、時間が解決することは意外に多いって知ってるだけなんだけど。
ダメな時はいくらがんばってもダメだとか、屁理屈こねて努力をしない、省エネ型とも言う。
幸い、機会は向こうからやってきた。
私と弟の関係は微妙だ。
半分血のつながった姉弟でも、片や、平民なんだか貴族なんだか微妙な存在。片や、未来の侯爵閣下だ。
しわくちゃおサルな弟との初体面では、正直、可愛いとは思えなかった。
ちっちゃな指に爪が生えそろってるのには感心したけど。
「かわいくな~い」
姉のことをおバカだの、姉らしくないだの思ってたけど、私もあんまり人のことは言えないみたい。
「何を言うのエリザベス。みんな生まれた時はこうだったの…ですのよ?」
その頃はまだ、言葉遣いがぎこちなかったカトリーヌ。
「ふ~ん」
あれから数ヵ月がたって、ダンテと名付けられた赤子は、だいぶ人間らしくなってきた。
「あ~」
いっちょ前に声を上げて、こちらをじっと見るので、指を差しだすとそれを力いっぱい握る。
あ、なんかじんわりくるものがあるなぁ。
情が湧くには、接する時間の長さも関係あるのかも。
ろくに顔を見せないエリザベスに、ダンテは当然懐かないし、そんなダンテにエリザベスも興味を示さない。
私の場合は、もともとはカトリーヌが側にいてほしそうにするので、最低でも日に一度は弟と母に会いにくるようにしてる。
「ダンテ君はいい子ね~。お乳を飲んでねんねして~、早く大きくなってお姉様と遊びましょうね~」
「うぅ、だぁ~」
私は適当に話しかけてるだけなんだけど、母曰く、私がいる時は機嫌がいいらしい。
私が見るに、スキンシップが足りないだけだと思うよ?
つけられた乳母は穏やかな気性の人で、なんの心配もなさそうだけど、貴族家の習慣なのか、常に側にいるカトリーヌへの遠慮なのか、お乳をあげる時以外はダンテに触れようとしない。
カトリーヌは下町の母としてはベテランなわけで、自然とエリザベスや私を育てた時のようにふるまおうとするんだけど、行儀の指導も兼ねてる侍女に首を横に振られて断念することも多いみたい。
雨風はしのげるし、食うにも困らない身分だけど、別の意味で不憫な子だ。
額をそーっと撫で、おなかをごく軽くぽんぽんしてると、ダンテはすやっと眠ってしまった。
う~む、この寝つきのよさに、血のつながりを感じるね。
「ありがとうね、フローラ。…よかったら、お茶を飲んでいかない?」
伺うようにこちらを見る母。
「いただきますわ、お母様」
常に侍女の目を気にしないとならないってのも厄介だけど、私はわりと彼女に気に入られてる。
エリザベスは論外。
カトリーヌも批難の目を向けられることが多いけど、これでもその回数は減ってきてる。
まあ、本来、貴族の御夫人が我が子に付きっきりでいるなんてありえないらしいから、それだけでもカトリーヌは厳しい目で見られちゃうわけだね。
個人的には、ずっと愛情深い母であってほしいけど。
「お待たせして、ごめんなさいね」
カトリーヌの部屋には、居間や寝室や衣裳部屋、侍女の控室、さっきいた子供部屋のほかに客間があって、そこに客が待っていた。
「とんでもございません。無理を申したのはこちらです。本日はお時間をいただきありがとうございます」
シスターの格好をした中年女で、特徴はボインと張り出した胸。おなかもデンと突き出てるけど。
「まずはお茶をお召し上がりになって。そうそう、こちらは下の娘で、フローラといいます。フローラ、こちらはシスター・ジャンヌさん。貴族の義務? えーと、教会への寄付をもらいにきているの」
おおぅ、ママン。ボロボロだ。
まず、紹介する順序が逆。そして、敬称が間違ってる。止めに、オブラートに包むべきものを、堂々白日の下にさらしてしまってる。
侍女の深い深い心のため息が聞こえてきそうだ。
私は控えめな笑みを浮かべて、向こう様があいさつするのをじっと待った。
入信したシスターは本来、身分は捨ててるはずなんだけど、やっぱり俗世とのかかわりが完全に断たれることはないらしくてねぇ。
特に、高位の貴族家にあいさつに来られるシスターは、もともと良いお家…つまり高位の貴族家出身だったわけで。
「ただいまご紹介にあずかりました、シスター・ジャンヌと申します。お噂はかねがね。どうぞよろしくお願いいたします、フローラ嬢」
プライドを傷付けて申し訳ないです、ええ、うちのママンが。
「お初にお目にかかります、シスター・ジャンヌ。フローラと申します。若輩者ゆえ、日々、神の導きを必要としています。お恥ずかしながらまだまだ勉強不足ですので、神の恵みに感謝を申し上げる作法など、お教えいただけますと幸いです」
「もちろんです。お任せください」
にこりともしないけど、鼻息荒くうなずいてるから、第一関門はクリアしたかな。
え、なに? って感じに小首を傾げるママン。やはり、あなたはエリザベスの母だった。
でも、こんなタイミングでそれを証明しなくても…
「今回、ご相談にあがりましたのは他でもない、秋の収穫祭に合わせて各教会で行われるバザーについてです。多くの貴族家の方々、また心ある商家の方々にもご協力いただき、今年も多くの物品が集まりました。これらを販売した売上金を、ありがたくも教会や孤児院の修繕、また、そこで行われる炊き出しなどに活用させていただくわけですが…」
シスター・ジャンヌ、いろいろ説明してくれて意外に親切?と私は思うけど。
本来ママンの立場だと、知ってて当たり前のことなんだろう…つまり、嫌味になってるわけで。
肝心のママンが気付いてないのが、いいんだか悪いんだか。
「へぇ~」っと言わんばかりにうなずく新米夫人に、いまにも舌打ちしかねないベテランシスター。
まあ、受け取り方は人さまざまってことだね。
「購入することでご協力くださる方々にも好みというものがあり、残念ながら取り残された品々が毎年少しずつ増え、各教会の収納スペースを狭めているのです。まさか、人々の好意を無にするわけにもいかず、毎年それらも人々の目にとまるよう磨き、整えるにも相応の手間が掛かっておりますので、この問題をどうするべきか、よき案がありましたらお伺いしたいものだと参った次第なのです」
侍女の顔色が心なしか青い。
なるほど。完全に予定外の話になってるのか。
私の勝手な印象だけど、クロムウェル侯爵の正室グロリアは、側室のカトリーヌに対して意地悪をするような性格じゃない。
ある程度の相手になら試すような真似もするだろうけど、いまだ同じ土俵に上がる実力のない相手には、むしろ手を引いてあげるくらいの余裕を持ってる。
今回はたんに、カトリーヌにクロムウェル侯爵夫人としての仕事をわけてくれたんじゃないかな?
それもすごく簡単なやつ。
つまり、シスター・ジャンヌが寄付=バザーで売る品物を受け取りにきて、カトリーヌはその目録を渡して「ご苦労様」って労えば、それで済む話だったわけだ。
もとはと言えば、礼儀のなってないママンが悪い。
それでもママンは、私のママンだからね。
自分のことなら我慢しても、目の前で母親をコテンパンにされるいわれはない。
その上、私にとってじつに都合のいい流れに持っていけそうなのだ。
あとあと面倒だし、あの雰囲気が嫌いだから喧嘩する気はないけど。
それさえ守れば、たとえ思う通りに話が進まなくても、困り事が増えるわけじゃなし、ここは一つ、気楽にテンション上げていきますか。
「あ、私、思い出しましたわ。お母様」
予定調和が崩れたいま、目を白黒させてるだけのママンの袖を引く。
せっかく耳打ちしても、棒読みのママン。
「そーだったわねぇ。たしか、フローラにはお話してあったわ。べんきょーだと思って、シスター・ジャンヌに聞いてもら…いただいてみたら、よいんじゃないかしらー」
シスター・ジャンヌの目がバレバレだよって言ってるけど、貴族社会は形が大事なんである。
「お母様は、こうおっしゃっていました。いくつかの品々を一つの袋に入れて、その袋の大きさによってお値段を決めたらよろしいのじゃないかと」
「…抱き合わせで売るということですね。ですが、それでもやはり買う側が選り好みすることに変わりはありません。むしろ、これまで引き取られていた類の品まで残ってしまう可能性も」
ははっ、試されてる試されてる。
「はい。ですから、袋は完全に口を閉じて、買うまで中が見られないようにします」
「まあ! なんだかわからないものを売り買いするのですか?」
シスター・ジャンヌは建前を忘れて、いまや完全に私の方を向いている。
ろくでもない話なら子供相手でも容赦しないって気迫を感じるけど、同時に興味を引かれてもいるようだ。
「…恐れ多いことですが、神がお与えになる《スキル》も与えられるまで見えなかったと記憶しています。姉が《スキル》を与えられた時はたしか、そうだったかと」
「ええ、ええ。確かに」
けして頭の回転は悪くなんだろう。
シスター・ジャンヌの目がギラギラしはじめてるような。
体形でなんとなく決めつけてたけど、どうやら当りで、お金に対する嗅覚が尋常じゃないようだ。
「《スキル》のように見えない。《スキル》は神の恵み。神の恵みのように、中身の見えない袋…恵み袋」
「なんて素晴らしいんでしょう、シスター・ジャンヌ! 若輩者の私が言うのもおこがましいですが、卓越したセンスとしか表現のしようがありません。下々の者たちにまで、あまねく神の恵みを届けるに相応しい命名ですわ」
持ち上げる気持ちも当然あるけど、正直いって感心してる。
そう、私が考えたのは福袋。
残りものには福があるなんて言い回しのない世界で、そこにたどりつくなんてナイスプレー! ナイスアシスト!
「失礼ですが、これまではどのように値付けを?」
「何といますか…皆様のご厚意、つまり信仰に値を付けるなど恥ずべきことという風潮がありまして。それでも売らなければ本末転倒ですから、簡単に大きさで決めておりました。常識的に折りたたんだ状態で、三十センチ×三十センチ以上のものであれば、九百イン。二十センチ×二十センチならば、四百インという具合に」
「それでは十センチ×十センチに納まる宝飾品などは、大変お買い得だったのでは?」
「まあ! フローラ嬢は掛け算ができるのですね。話には聞いていましたが、まさかと思っておりました。失礼…はい。確かにそうなのですけれど、デザインがダザ…古かったりすると倦厭されてしまいまして。次の年に持ち越したものを、半額にしたところで売れませんのよ? 買うところをまわりに見られて、センスを疑われるのもなんですし、リメイクするにもそれなりにお金がかかりますしね」
シスター・ジャンヌの態度が、わかりやすいほど変わってる。
まるで話のわかる大人と話しているかのようだ。
認められたと思えばうれしいけど、過度な期待も困るんだけど。
まあ、今回に限ってはその期待に応えられるかな?
「これは一つの意見としてお聞きいただけると助かります」
「ええ、お伺いしますわ」
「…総額四千イン相当のものが入った袋は二千インで、二千イン相当のものが入った袋は千インで売るのです。それだけの価値のあるものが入っていることは、先に告知しておきます」
「それは、確かに。買う側にとっても売る側にとってもお得ですね」
おぉー、だいぶぶっちゃけてくれるようになったね、シスター・ジャンヌ。
「ですが、見えないものに価値があることをどうやって信じさせたらよいか…」
教会のやることだから皆がみんな信用して当たり前って、思ってないところに好感が持てる。
「このような感じでものが入っていますよという見本を、一つ置く方法があります。それから、先に噂話として、主に女性たちの間に流布しておくのも効果的でしょう。また、販売当日、隣接する敷地に喫茶スペースを設けて、そこで戦利品…失礼、神より恵まれたものを互いに称え合い、場合によっては自分には合わないものでも、ご友人がお望みになることもあるでしょうから、交換することもできるでしょう。その様子を見た人たちがどんな反応をするか…」
「ええ、ええ。いまから楽しみです」
うずうずとしたように身を揺らしたシスター・ジャンヌは、何度か思いとどまりながらも我慢ならないというように手提げカバンから手帳を取り出し、カリカリとメモしはじめる。
そうそう、鉛筆もあるんだよね。
「あ、メモを取ってもよろしゅうございますか? えー…中身の見えない袋、大・中・小。半額。中身の見本。噂の流布。喫茶」
要領よくまとめていた手がぴたりと止まる。
何かに気付いたように、プルプル震え出すシスター・ジャンヌ。
「せっかくの、せっかくの極上の良案ですのに…恵み袋などと、私はなんと恐れ多いことを。このような神の威光を笠に着たような名付けを上が許すでしょうか?」
いや、いまさら弱気になられても困るんだけど。
「しっかりなさってください、シスター・ジャンヌ。その名付けこそ、この計画の胆ですよ! 私たち凡人は罪深いほど忘却が得意です。日々の糧に感謝することさえ疎かにする愚か者も少なくありません。だからといって、そんな輩を救わない神ですか?」
「いいえ、神は情け深い方々です。私のような欲深い者をも、その懐に受け入れてくださいました」
いいね。この神への純なる信仰と、俗物感が混然一体となった感じ。
「その神のご威光、その素晴らしさを世界の津々浦々にまで届けるのです。…どうでしょう? 数ヵ月の遅れをもって、そうですね。新年にでも、各商会で独自の恵み袋を売り出す許可を、教会がお与えになるというのは? 私も聞いた話でくわしくは存じませんが、どの商会にも不良在庫というものがあって、倉庫を圧迫しているとか。今回のお話ととてもよく似ていると思いませんか?」
「な、なんという発想! そうです、その通りです。あれだけ先見の明があった我が父も、どれだけ不良在庫に悩まされていたことか!」
あー、商売なさってる貴族のご令嬢でしたか…
そういえば、あったらしいね。仮想敵国とご禁制の品までやり取りして、取り潰された公爵家が。
「新年というのもよいですね。年末にツケは回収されていますから、気持ちも新たに、つい財布の紐がゆるみがちになりますし…そうそう在庫を溜めるようでは商人として終わってますから、年に一度、ここぞという時期に当てるなんてじつに…」
ブツブツ言ってたシスター・ジャンヌが、がばっと顔を上げる。
「行けます、これは行けますよ! 倉庫代、整理整頓清掃警備に掛かる人件費を思えば、半額で売れるなど商人にとっては夢のようなもの、フフフフッ…さぞかし感謝して、教会に寄付をはずむことでしょう」
力強く差し出された手の指二本をぎゅっと握る。
ええ、まだ指が短いもんで。
「フローラ嬢。いいえ、フローラ様。此度は大変貴重なご意見をありがとうございました。これほど価値のあるお考えに、どのように報いたらよいか…」
「とんでもないことでございます、シスター・ジャンヌ。日々導いてくださる神々に、ほんの少しでも感謝の気持ちを捧げられたなら、一信者としてこれに勝る喜びはございません。もちろんこれらはすべて、我が母カトリーヌに教えられたことです」
「これは、失礼を。カトリーヌ様、ならびにフローラ様の真なるお気持ちに、このジャンヌ感じ入ることしきりです。力及ばずながら、あなた様方の思いが神に届くよう、日々祈らせていただきます」
「よろしくお願いいたします、シスター・ジャンヌ」
「よ、よろしくお願いいたしますわ、シスター・ジャンヌ」
カトリーヌを突いてあいさつさせる。
本当は、「なら、恵み袋を一つください」と言いたいところだったんだけど。
まあ、焦らなくても大丈夫なはず。
後日、クロムウェル侯爵家出入りの大商会の会頭が、私を名指しであいさつに来た。
グロリアやアマンダが自分たちの買い物ついでに、私にもいろいろ買ってくれようとするから、担当の商会員とは何度か会ってるけどね。
「ご苦労様。フローラ・シャムロックです」
あ、これは、実父ってことになってる騎士の姓。
「お初にお目にかかります。ガスター商会のガスターと申します。日頃よりご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます」
「これは、ご丁寧に。それで、私、なにか注文していたかしら?」
「いえ。お手間を取らせて申し訳ないのですが。我ら商人の救世主であるフローラ様に、心ばかりではありますが感謝をと思いまして」
侍女を介して渡されたのは、花模様の綺麗な布で作られた一抱えほどもある袋。
ピンクのリボンまで掛けてあり、厚紙で作られたウルス神とメルカ神のシンボルが下がっている。
「まあ、恵み袋ね! いただけるの?」
そう、私はこれを待っていたのだ!
「はい。どうぞ、お納めを」
「救世主だなんて大げさだけれど、お役に立てたならよかったわ。わざわざ気を遣わせて、かえって申し訳ないわね」
「もったいないお言葉です」
そうだった。貴族のご令嬢は平民に礼を言ったり謝ったりなんて、そうそうしないんだった。
でも、私ほぼ平民だし、「うむ、くるしゅうない」とか、一度くらいは言ってみたい気もするけど、確実にいまじゃない。
さすがは大商会のトップだけあって、「教会なんか通さずに、このやり口を教えてくれれば」なんてことも言わず、さっさと帰っていった。
教会がどれだけ上前を撥ねるか知らないけど、年に一度のこととはいえ、馬鹿にできない金額が動くはずだし、それが毎年続くんだもの。
私があれこれ知恵をつけるまでもなく、百万インの恵み袋を三つ、一千万インの恵み袋を一つ用意してるくらいだから、本当にやり手なんだろう。
さて。明らかに残りものじゃなく、選び抜かれた品々が入っていた恵み袋だけど、大事なのは中身じゃない。
それを私が、大商会からもらったという事実が必要だった。
表向き、何が入ってるかは秘密なわけだから、私が本来は出所不明の、透き通った緑のイヤリングを下げていても、グロリアもアマンダも、当然カトリーヌもエリザベスも不審に思わないのだ…フフフッ。
我ながら遠回りしてるとは思うけど、この不自由さを補って余りある贅沢をさせてもらってるからね。




