10、勘違い
ある日、うちに一人の衛兵がやってきた。
チャールズとは既知のようで、その礼儀は明らかに目上の貴族に対するものだ。
たとえ実家と疎遠でも、まわりが忖度するほどの生まれってことだね。
「突然の訪問をお許しください」
「それも君の役目だと理解しているよ。それで、なんだい?」
私は注目されてないのいいことに、さっと魔法で湯を沸かす。
さすがに《身体強化》をしないとうまく道具を扱えないし、それらをトレーに乗せて中身をこぼさず運ぶなんてできない。
「それが…」
気まずそうに言いよどむから、割って入るのにちょうどいい。
「粗茶ですがどうぞ」
「これは…」
青年が反射的に顔を向けた先に私の顔はなく、空ぶった視線が下におりてくる。
私は素知らぬふりで手製のクラッカーをのせた皿を置く。
奮発して、これまた手製の木苺のジャムを添えてある。
もちろん、材料から自分で調達したものだ。
客は戸惑ったようにチャールズと、その斜め後方に立ったまま控えた私を見比べる。
いや~、なかなか刺激の少ない生活を送ってるから、何の話をするのか聞きたかっただけなんだけど、チャールズの顔を立てることにもなったようだ。
「私の連れ合いの娘でね。…フローラ、彼は衛兵としてこの街の住人を守ってくれている人だ。ご挨拶を」
「お初にお目にかかります。チャールズ様には文字やマナーを教えていただくなど、大変お世話になっております」
ようは貴族とは血筋的にも法律的にも繋がってないし、いまも平民として勉強中だから捨て置いてくださいと言ったわけだが、それで正解だったようだ。
「よくできた子だろう?」
「そうですね。私も多くの人に接し、話を聞く機会がありますが、さすがにこの年頃でというのは…驚きました」
聖典を読み進めていくと、妙に大人っぽい話し方をする子供が登場して、周囲に幸福をもたらす説話がある。
そのせいか、子供が賢しらに話すのを生意気だと咎めるより、歓迎する風潮があるみたい。
少しずつ様子をみながら話し方を変えたり努力してた身としては、少なからずがっくりきたけど。
あまり自重しなくて済むなら楽だ。
…母よ。内心、鈍いとか決めつけててごめん。
転生って概念はないようだから、その辺は用心しないとならないけど。
あとスキルは、生きるのに苦労していた人間に、神様が与えた恵みって解釈らしいから、「あ、アレってなんの意味もないから」なんて言ったら叩き殺されそうだ。
「いただきます」
この場で求められてる通り私をないものとして扱いながらも、チャールズが口を付けるのを待って、わざわざ言葉にしたのは青年のやさしさだろう。
家主に合わせてクラッカーとハーブティーの組み合わせを楽しんだ後、言いよどんでいたのが嘘のように話し出す。
まあ、そのために来たわけだけど、それなりに口に合ってリラックスできたなら、なけなしのおやつを提供したかいがあるというもの。
「本日おうかがいしましたのはほかでもない、チャールズ様がご結婚なさいましたカトリーヌさんの娘エリザベスのことについてです。二つ隣の区画にデイビスの息子ロキという少年がおりまして、彼と彼女は旧知の仲であるとか」
「そうなのか?」
端正な顔がわずかに横を向き、その視線がこちらに流される。
「…はい、チャールズ様。姉と彼は幼馴染で、こちらに身を寄せさせていただいてからも頻繁に会いに行っている様子です」
告げ口するつもりはないけど、すでに公的機関が把握してることを誤魔化しても悪印象を与えるだけで益がない。
「ふむ。続けてくれ」
「はっ。先日、ロキは武器屋にて窃盗をしました。ナイフを一本。すぐに見つかり取り押さえられましたが、その折、その…無礼にもチャールズ様の名前を出しまして…」
自分が言ったわけじゃないんだよと言い訳するかのように、胸元から手帳を出して捲り、読み上げる。
「このように申しました。『オレはクロムウェル侯爵家のチャールズ様の娘と付き合ってる。将来結婚すれば、オレが侯爵家の跡取りになる。そのオレに因縁をつけるってのはどういうことかわかってるのか』と」
腐っても貴族の子息。本物はどんな時も喚かないし、顔色一つ変えない。
それでも室内の温度が数度下がったような気がする。
彼が口を開く前に、慌てたように衛兵は捲し立てる。
「もちろん! ロキの存在すらチャールズ様がご存じなかったことは、ただいま私が確認いたしました」
「…そもそも子供の戯言以前に、私自身が継嗣ではないしな」
苦い笑いされて、青年の額に冷や汗が滲む。
「そのロキとやらはどうなる?」
「はっ。平民として法に則り、もろもろについて処罰することになるかと」
「うん」
それでよしと肯く相手に、ほっと胸を撫で下ろした様子。
わかるよ、その気持ち。
この調子だと不敬罪的なものも追加されるんだろう。
「わざわざ報告ご苦労。手間をかけさせたな」
「とんでもありません」
「手が空いたら、また久しぶりに呑もう。ローリーの奴ともどうせ腐れ縁が続いているのだろう? 奴も誘おうじゃないか」
「はっ。ありがとうございます、彼もよろこびます。…では、失礼します」
敬礼し去っていく青年を鷹揚に見送って、しかし、扉が閉じればめずらしく眉間に皺を寄せる。
「フローラ。客は帰ったから、もう敬称はつけないくていいよ」
「はい」
ただ、じゃあ、なんと呼んだらいいのか?
互いに判断がつかなので「すみません」とか「あの」とか呼び掛けて用事を済ませることが多い。
それで事足りるからね。
「君はまだ小さいけど、お姉さんのしたことをどう思う?」
「姉は勘違いをしています。もし、本気であのようなことを考えているのであれば、大変危ういかと…」
アホに入れ込んで、アホなこと考えて…ほんとアホだ。
庇いようがないよ。庇う気もないけど。
「うん。フローラは大丈夫そうだね。わかっていたことだけど」
貴公子の笑み、怖い。
でも、高貴な血筋の上に浮世離れしてる芸術家は、最愛の人の連れ子といえど、自ら言い聞かせたりはしないのだ。
はっきり言ってめんどうくさいんじゃないかなぁ。
仕事で疲れ切って帰ってきたカトリーヌと、しばらく話すチャールズ。
「じゃあ、私は友人と約束があるから出掛けるよ」
飲みに行くんですね?
その後、寝床から引きずり出されたエリザベスは、説教をくらっているにもかかわらずロキの心配しかせず、カトリーヌを呆れさせた。
「この子はなんにもわかってない…」
でも、だからって見捨てるわけにもいかず、適当に叱って、見て見ぬ振りできるところはしながら育てていくんだろう。
前世、犯人逮捕の報道に「なんでこいつの親は子供をしっかりしつけなかったんだ」って決めつけて、憤ってたことを少しだけ反省してる。
どうやってもどうにもできない人間もいるんだって、エリザベスという姉を持ってはじめてわかった。
前世に生息してた某専門家がいうには、本人を変えようしても無駄だ(そんな冷たい言い方はしてなかったけど要約するとそういうことだと私は受け取った)から、その人が問題なく生きていける環境をまわりの人間が整えるしかない。
それを考えると時代劇とかに出てくる座敷牢って、互いの命や生活を守るための救済措置だったんだなぁ。
今回のロキの事件にかんしては、すでに大人たちが動いているのだから、幼児の私は高みの見物だ。
大して遠くもない未来、「あいつの妹だ」って後ろ指をさされると思うとげんなりするけど、あんな姉でもいいところの一つや二つ…うん、ないな。やっぱ、ない。
さすがに故意の殺人とかは犯さないだろうけど、それくらいの信用は、人である最低条件だから慰めにもならない。
そのうちこりもせず、人が持ってる高価そうなものとか、人と付き合ってる良さそうな男とかを欲しがるんじゃないの?
八歳の女の子を捕まえて何言ってんだって話だけど…今回、本人にそのつもりがなかったとしても、結果的にロキをそそのかした形になってる。
もちろん罪を犯したのはロキで、本人が悪いに決まってるけど、彼の気が大きくなったのは、明らかにエリザベスの妄想のせいだ。
類は友を呼ぶっていうか、そうなった過程を想像することはできても、なぜそんなことしようとするのか、また、できると思ったのかさっぱりだ。
姉も、私に理解されたいなんて思ってないだろうけど。
まだまだ続く、母の言い聞かせと、姉の反論…というか「だって」ではじまる言い訳…からの、迷走少女の主張?
こういうのは、安っぽいテレビドラマの中だけで十分なんだけど。
たぶん多くの人は健全だって認めてくれるに違いない、母娘のやり取りを聞きながら、私は頭から毛布を被る。
近所の皆様、夜分遅くに宅の家族が迷惑かけてます。
はなはだ無責任だとは思いますが、お先に失礼!
成長期の子供には、睡眠が絶対に、必要なん、だ、よ。スーヤー…




