1、転生
その日私は、見合い相手の運転する車に乗っていた。
じれったくなるほどの安全運転。
でも、安心感はある。
なにかにつけて「政子さんのお好きな方で」って言うのはどうかと思うけど、好きでもないものを押しつけられても困る。
こういう人の方が夫婦としてはおさまりがよいのかも…
妥協しつつも「まあ、いっか」と思わされた時点で決まったようなもの。
「孝さん…」
次の約束を取りつけようと話しかけたところで、二人して声にならない悲鳴を上げる。
対向車線からはみ出したタンクローリーが、この車めがけて突進してくる。
彼は必至の形相でハンドルを切ったけど。
こりゃ、あかん。
関西出身でもないのにそう思ったのが、私の覚えている前世の最期だ。
気がつくと私は、古びた集合住宅の一室で遊んでいた。
よだれまみれの積み木を口から取り出す小さな小さな手。
その持ち主が私だ。
「うぇ?」
びくんと体が跳ねたのは、死に際の衝撃を思い出したから。
自己防衛本能が働いたとみえて、その追憶に痛みは存在しなかった。
それでも、乱れた脈拍と呼吸を、深呼吸をくり返すことでもって整えなければならない。
幼児には酷だよ。
逃避するように、いま現在のことを考える。
つらつら思い返してみても、おっぱいの柔らかさと母乳の甘さ、漏らした時の不快感くらいしか思い出せない。
あ、母親らしき人の顔はわかる。
姉と思しき子供の顔も。
金髪美人に金髪美少女。
これは私も期待していいかな。
でも、いまその二人はおらず、狭い古ぼけた部屋で私は一人きりだ。
簡素としか言いようのない木製の棚とテーブル、日に焼けたカーテン。
窓の外には薄汚れたアパートがみっちりとそびえ立っている。
実際に見たわけでもないのに、中世ヨーロッパの下町という印象。
「ただいま~」
「マ・マ~」
「あらあら、フーちゃん。いい子にしてた~?」
抱えてた荷物をテーブルに置いた母親は、私をさっと抱き上げあやすけど、まとう雰囲気がちょっと怖い。
「まったく、フローラを見てってあれほど言ったのに。エリザベスったらどこ行ったのかしら」
ぶつくさ言うその内容からすると、私に対して怒ってるわけじゃないらしい。
ひとまず、ほっ。
普通の幼児なら、ピリピリした空気に泣きだしたことだろう。
母親は片手で私を抱っこしたまま、食材や日用品をあるべきところへ納めていく。
「今晩はフーちゃんの好きなお芋を煮ようね」
「おひも~」
「そう、お芋よ~」
貧乏そうだけど、愛はあるようだ。
父親らしき姿を見た覚えがないのがかなり不安。
とはいえ、ままならぬことについてとやかく言ってもはじまらない。
これがいわゆる転生ってやつかと、私はのん気に考えていた。