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ラストの仕掛け

 今言った所が作品の一番優れた部分だと思います。「ルックバック」という作品そのものが、漫画志望の少女が机に向かっている後ろ姿のイメージで貫徹されています。私は、藤本タツキはこのイメージを最初に思いついたのではないかと考えています。自分にとって大切な心象風景が現れ、そこから作品の構造を展開していったのではないか。そんな風に推測しています。

 

 今度は、それ以外の要素を考えてみましょう。ネットの考察では、殺されるのが「京本」という名前、また通り魔が美大生を殺す動機が「自分の作品をパクられたという妄想」である事などから、実際に起こった京アニの事件を下敷きにしている、という事でした。京アニの悲惨な事件と確かに類似点は多いです。

 

 そうした事はたしかにありうると思います。ただこうした事も、作品の本質的な分析に結びつかなければならないと私は思っています。(ネットの考察が表層的なものにとどまるのは、作品の核にメスを入れて、神性が失われるのを恐れている為ではないかと私は睨んでいます。表層をなでさすり、作品そのものの神秘性は保存したまま、「信者」の情感を満足させる事。そこに多くの「考察」の目的はあるのではないか)

 

 いずれにしろ、藤本タツキという人は「暴力性」というものを作品の中に多く含んでいます。「チェンソーマン」でもそうでした。「ルックバック」そのものは「チェンソーマン」よりも、芸術的に見れば格段に優れた作品だと言えます。というのは、「チェンソーマン」はあくまでも漫画らしい漫画、ポップな少年漫画のノリを引き継いでおり、空想的な要素も強いので、その中での暴力性は現実とは違うものとして見られるからです。

 

 「ルックバック」はより映画に近づいたというか、リアリズムが増しました。それ故に、暴力性も「チェンソーマン」よりも深刻なものとして描かれる事になりました。その為に、それを乗り越える感動は現実の我々に強い波動を引き起こすと言えましょう。

 

 ただ、ここからが問題です。作品全体を通読した人は、私が「ルックバック」をリアリズム的作品に分類した事に疑問を感じたでしょう。

 

 問題にしたいのはラスト近い所で現れるある構造です。ここではパラレルワールドのような要素が使われています。

 

 まず、京本が通り魔に殺されたという事実があります。しかし、その後に、京本が通り魔に殺されずに済んだ、もうひとつの世界線が描かれます。そこでは空手を習っていた藤野がやってきて、通り魔を蹴り倒し、京本を救うのです。

 

 救われた京本が、家に帰って、ふと4コマ漫画を描きます。すると次の場面では4コマ漫画が風で吹き払われて、京本が殺され、絶望している、元の世界線の藤野に何故か届きます。世界線を超えて4コマ漫画が移動する。藤野は4コマ漫画を見て、再び漫画を描く勇気を貰い、机に向かいます。それで作品は終わります。

 

 正直に言うと、この処理の仕方はまずいと思います。作品全体はリアリズムで貫くべきだったと思います。ただ苦言は後に回して、構造的分析を時代との関連でやってみたいと思います。

 

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