異世界召喚された勇者ですが、パーティーの心理的安全性が最悪です。
異世界に召喚されたサラリーマンが、勇者としてパーティーの心理的安全性の向上を目指す話です。
「おお、勇者よ死んでしまうとは情けない」
ここ数日で何度も何度も聞いたその台詞に俺は小さく舌打ちをして、言葉の主を睨みつける。今拠点にしている国の王。決まってこの台詞の次には、パーティの次のレベルに上がるための経験値を話し始める。もううんざりだ。壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す王様をじとりと睨みつけて、踵を返した。
俺は異世界に召喚された勇者だ。あ? どういう経緯で異世界に召喚されたかって? そんなものはもうどうでもいいんだよ。犬にでも食わせてしまえ。そんなに気になるなら流行りのWeb小説でも読んでろ糞が。死ね。氏ねじゃなくて死ね。
棺桶が三つもあると流石に重い。ずっしりとした重量を感じさせるそれらをゆっくりと引きずりながら、「教会に行かないと」と、踏みしめるように一歩一歩進んでいく。HPは1だ。ステータス画面が真っ赤になっているだろう。正直歩くのも辛い。
ポケットから財布を出して舌打ちをする。金が半減している。何度も経験したことではあるが、実際に軽くなった木綿の財布を手に取ると、ため息も吐きたくなるってもんだ。全員分の蘇生費、足りるかな、と財布の中身を立ち止まって確認する。手持ちの金で全員蘇生できることが分かって、胸をなでおろす。
俺は数時間前の戦いを思い出す。
相手は所謂中ボスだ。トロールとか言ったか。こんな雑魚に負ける要素がない。最初はそう思っていた。しかし、何度戦ってもこの中ボスに勝てなかった。数時間前も、勿論負けるなんてことは考えていなかった。道具も揃えた。武器も防具も揃えた。パーティのレベルも十二分にあげている。
そう、負ける要素が無いのだ。そのはずなのだ。
始まりは、パーティのアタッカーである戦士がトロールの攻撃をもろに受けたことだ。
「僧侶! 戦士を回復だ!」
「承知しました、勇者様!」
僧侶が、戦士の元に駆け寄っていく。早く回復しないと。パーティのメインアタッカーであり、盾でもある戦士の役割はこの戦いで最重要だ。俺は、トロールに向かっていき、剣を袈裟懸けに振り下ろす。
「魔法使い! 攻撃魔法だ!」
「分かったわ! 勇者!」
魔法使いが、爆発魔法を唱える。魔法には発動までタイムラグがある。詠唱が完了するまで、俺が戦士の代わりをするしかない。トロールの棍棒による打撃を剣と盾でいなし、棍棒を振り切った隙を見て、返す刀で斬りつける。
「僧侶! 回復はまだか!」
「もう少しです!」
トロールが、頑張ってヘイトを集めようとしている俺を無視して、僧侶と戦士の方をギラリと睨む。あ、やばい。そう思ったときには、中ボスはその棍棒を僧侶と戦士に向けてぶん投げていた。僧侶が吹き飛ばされ、戦士の身体からぷちっという音が聞こえた気がした。あ、戦士死んだ。
武器を失ったトロールに、これが好機とばかりに斬りかかる。しかし、一方的に攻撃しているのにも関わらず、こいつがダメージを負っている様子がない。
「こなくそー!!!」
僧侶が何やら僧侶らしくないことを叫びながらトロールに突っ込んでいくのが視界の端に映った。やめろ、なんでお前は危機が迫ると肉体言語で語ろうとするんだ。俺のそんな思いは言葉にはならなかった。僧侶が大きく振りかぶった拳をトロールに叩きつける。ぽふん、と音が鳴った気がした。いや気がしただけだ。実際に音なんて出ていない。
トロールがその太い腕を振り回し、僧侶を打擲する。僧侶の首がおかしな方向に曲がる。あ、僧侶死んだ。
「あはははは、あはは、あはは! もう皆灰になっちゃえばいいのよ!」
魔法使いが狂ったような笑い声を上げながらめちゃくちゃに魔法を連発し始める。というか、そんなスピードで連発できるんなら最初からやれよ。ってか当たってる。俺にも当たってるから。痛い、熱い、冷たい。
そして、俺は自分のHPがゼロになったことに気づいた。はい、俺死んだ。
多分その後すぐに魔法使いも死んだだろう。非力な魔法使いが力自慢のトロール相手に太刀打ちできたとは到底思えない。
そんなこんなで、全滅した俺たちは一番近い城の王族との謁見室まで飛ばされ、冒頭に戻るのであった。
何度目かわからない舌打ちをして、棺桶を三つ引きずりながら教会へ入る。またお前らか、みたいな目で見られるがそんなことは気にしない。気にしたら負けだと思っている。だって仕方ないだろ、全滅したんだから。
神父が、三人を生き返らせるのに、これだけの寄付が必要だ、などとほざいてくる。黙れ、この守銭奴が。とは口に出さずに、神父をひと睨みした後言われたとおりの金を支払う。どこから聞こえてくるのかよくわからない壮大な効果音と共に、棺桶から三人が生き返る。本当ふざけた世界だよ。金を払えば死人が生き返るって、まだゾンビ映画のほうが見どころあるわ。地獄の沙汰も金次第ってか? 笑えねぇ。
三人分の蘇生費を払ったことで、めっぽう軽くなってしまった財布を右手で振って、俺は盛大に溜息をつく。数日分の宿代くらいはありそうだ。っていうか、魔王の城に近づくにつれて宿代が高くなっていくってどういうシステムなんだよ。こちとら勇者だぞ? 割引しろや。世界の命運かかってんだぞ。
生き返った三人が申し訳無さそうにこちらを見る。
「勇者、すまない。俺が最初にやられなければ」
戦士。お前は良いやつだ。だけど本当にその通りだよ。
「私がもっと早く戦士様を回復していたら」
僧侶、お前はなんで肉体言語で語ろうとする。回復するのが役目だろう。
「勇者! 次こそは絶対倒せるわ! すぐにリターンマッチよ!」
魔法使い、お前は最終的にキリングマシーンに変身するのをやめてくれ。しかもキリングしてるのは敵じゃなくて俺だ。
俺は三人へかけそうになる言葉、いや文句を飲み込み、大きくため息を吐く。
「一旦宿へ帰ろう。事故対策会議をするぞ」
俺たち勇者御一行は、教会を後にし、宿屋へ向かった。
「さて、何度目かわからない事故対策会議を始める。何度も言っているが、この会議は本音で話し合わないとなんの意味もない。だから何でも言ってくれ」
俺は事故対策会議の開始を告げる。ここは宿屋の一番大きな部屋。会議室代わりに借りたのだ。他の部屋と比べて嫌に部屋代が高く、また軽くなった財布に俺は少し悲しい思いをした。あの店主、足元見やがって、いつか絶対ぶっ殺す。
「あー、では戦士君。意見はあるかね?」
「今回の敗因は俺が最初にやられてしまったことだ」
「そんなことありません。私が戦士様をもっと早く回復していれば」
僧侶がすかさず戦士のフォローをする。うん。フォローするのは別にいいんだ。でもな? この会議は本音で話し合えなきゃ意味がないんだよ。
「今回はみんな、いい線いっていたと思うの。次こそは絶対勝てると思うわ」
魔法使いが夢物語みたいなことを言い出す。貴様の頭の中はお花畑なのか?
「そうですね、皆様本当に頑張っていました。その頑張りこそが、本当の宝なのではないでしょうか」
僧侶さん? 今は綺麗事を言っている場合じゃないんだよ? どうやればトロールを倒せるか。というか全滅しないか、という大事な会議なんだ。
「おう! 次こそは俺がパーティー皆を守ってやる!」
それが出来なかったから、全滅してるんじゃねぇか。
駄目だ、こんなんじゃ。俺は特大のため息を吐く。
「勇者、なんか不満があるのか?」
「勇者様、なにかご不満が?」
「勇者、何が不満なのよ」
うるせぇ。不満だらけだよ馬鹿野郎ども。野郎だけじゃなかったな、女もいた。馬鹿野郎に馬鹿女郎ども。俺はもうこれ以上の話し合いは無意味だとばかりに椅子から立ち上がると、自分の部屋に戻った。
ベッド横のテーブルに置かれている水差しを持ち、それを直接口に運ぶ。コップを使うなんてご丁寧な真似なんてやってられねぇんだよ。荒んだ俺の心に、少しぬるめの水が満ち渡り、少しだけ癒やしを与えてくれる。訳ねぇだろ。ぬるい水なんて飲んで何が美味しいんだよ。冷たい水を寄越せや、冷たい水をよ。あぁ、日本が懐かしい。早く帰りたい。でも駄目だ。魔王を倒すまでは日本に帰してもらえない。それは転生されて最初に言われたことだ。
ベッドにごろんと寝転がり、俺は先程の数分で終結した事故対策会議を思い返す。なんだこのパーティーは。本音で喋るやつは誰もいない。お互いに遠慮しあって、本気でぶつかりあえない。こんなんじゃ、チームワークなんて生まれない。いつまでたってもあの中ボスに勝てやしない。
そこまで考えて、ふと日本にいた頃に読んだビジネス書を思い出す。なんだったか、あの単語、えーと、そうだ、「心理的安全性」だ。
察しろよ。俺は日本では典型的なブラック企業のサラリーマンだった。あのクソ上司がいきなり、「これからの時代は心理的安全性だ! うちの課も心理的安全なチームを目指す。なんでも言ってくれ」、なんてほざき始めて、心理的安全性について書かれた本を課員に配り始めた。昨日の事のように思い出せる。
俺は不承不詳ながらも、渡されたビジネス書をプライベートの時間を削って読んだ。仕方ない、これも給料のうちだ、と自分に言い聞かせながら。
当然、課長が言う心理的安全なチームなんてできるわけが無かった。「なんでも言ってくれ」で、何でも言えるようになったら苦労しねぇんだよ、バーカ。それから先も、あのクソ課長は心理的安全性を高めるための具体的な施策を打ち立てず、特に何を変えるわけでもなく、最終的には、「なんで皆本音でぶつかりあえないんだ!」、なんて言って、心理的安全性なんて言葉はゴミ箱に投げ捨てられた訳だが……。
あれ? あの状況すごく見覚えがある。っていうか、今の俺達の状況ぴったりじゃねぇか? おうしっと(Oh Shit!)! 知らず知らずの間に俺はあのクソ上司と同じ轍を踏んでやがったのか。畜生!
さて、思い出せ。あのビジネス書。何が書いてあった? 俺は一年以上前に読んだビジネス書の内容を思い出そうとする。普通思い出せるはずねぇよな。だけど何故か本の要点がすらすらと頭の中に浮かんだ。あぁこれはあれだ。クソ課長のやることなすことが、あのビジネス書と真逆のことをやっていて、「ここはこうするべきだろ」とか「なんでこの通りにやらねぇんだよ」とか思いながら何度も読み返していたおかげだ。
まず、今のパーティの何が問題かを考えろ。今のパーティーは権力の勾配が急すぎるのもあって、「ぬるい職場」、いや「ぬるいパーティ」だ。戦士は平民出身、僧侶は神官、魔法使いは俺を召喚した国のお姫様、そして俺はこの世の何よりも尊いとされる勇者。くっそ、こんな身分がバラバラなチームで心理的安全性なんて実現できんのか? 皆遠慮しまくるに決まってるだろ。
そもそも、心理的安全性の高いチームって何がいいんだ。なんだっけか、確か自ら学習していくチームになっていくとかそんなんだった気がする。あとは、ちゃんとルールの意味を理解して遵守するだったか? あぁ、俺たちに決定的に足りてないものばかりじゃないか。
俺は硬いベッドの上をゴロゴロと転がりながら、ビジネス書の内容を思い出していく。それにしても、このベッド硬ぇなぁ。こんなクソ品質な宿であんな代金とりやがって。ぼったくりだ、ぼったくり。魔王を倒したら、この宿を真っ先に潰そうと心に決める。
確か、心理的安全性は、主に対人関係のリスクから損なわれるって書いてあったな。
一つ、「無知」だと思われたくない。これによって、必要なことでも質問をせず、相談をしない。
二つ、「無能」だと思われたくない。これによって、ミスを隠したり、自分の考えを言わない。
三つ、「邪魔」だと思われたくない。これによって必要でも助けを求めず、不十分な仕事でも妥協する。
四つ、「否定的」だと思われたくない。これによって是々非々で議論をせず、率直に意見を言わない。
やばい、大体全部当てはまってる。ほーりーしっと。
そもそも心理的安全性が日本で有名になったのは、某大手検索エンジンを運営する天才企業が過去の論文みたいなものを引っ張り出して、推奨し始めたのがきっかけだったはずだ。天才が集まる企業だ。当然管理職よりも、部下の方が優秀だったりする。そんなわけで始めたのが心理的安全性、ということだったはずだ。部下の優秀な意見が管理職によって握りつぶされないように、つまるところそこにつきるのだと思う。
ビジネス書には、まず己を見直しなさい、と書いてあった。あのビジネス書を信じるとして、まず己を見直してみよう。マインドフルになることが重要だ、とのことである。マインドフルと言い始めると、なんだかスピリチュアルな感じがするのは俺だけだろうか。だが、あのビジネス書にはものすごく噛み砕いて書かれていた。今、この瞬間に気づき、そして集中すること。それには、自身の歴史やバックボーン、肩書などを捨て去って、客観的に周囲と自分を観察し、気づかなければならない。
よし、まずはこの世界にやってきてからの俺の行動を振り返ってみよう。
この世界に召喚され、この俺を召喚したというなんか偉そうなおっさん――実際にその国で一番偉い王様というおっさんだったのだが――から、貧弱な棒っきれと、数日の宿代にしかならなそうな金を渡されて、魔王を倒せ、そのために酒場へ行けと言われた。当然、いきなりよくわからない場所に誘拐されたと思った俺と、無意味に偉そうなおっさんの間で激しくも無駄な言い争いになったのだがそのことはあまり思い出したくない。
ともあれ、俺は王様に言われたとおり酒場へ向かうことにした。なぜかわからんが酒場が人員派遣斡旋業も兼任しているというのだ。胡散臭さ満点のその酒場へ行く途中、魔法使いが「私もついていくからね!」と言って、無理やり着いてきた。聞けば、その国のお姫様であり、冒険に憧れていたらしい。おいおい、本当に良いのかよ、と思いながらも、鼻息を荒くしている美人な女に気を良くした俺は、なんとなく同行を許可した。
酒場に着くと、バニーガールの格好をした姉ちゃんが、受付をしていた。その時点で俺は回れ右をして帰りたくなったものだが、魔法使いが腕を掴んで無理やり受付に向かうので、抵抗をやめ、おとなしく受付まで行った。
「お望みのご職業はどれですか?」とバニーガールに聞かれたのだが、バニーガールのおっぱいに夢中でそれどころじゃなかった。「あの」、とバニーガールが少し怒気を孕んだ声を出し始めたので、慌てて、差し出されたメニュー表のようなものを覗き込む。そこにはいろんな職業が書かれていた。ツッコミどころ満載だった。
俺の目的はなんだと言われた? 「魔王を倒す」、この一点だ。それでこの酒場へ一緒に旅をしてくれる仲間を探しに来たはずだ。なのになんで、職業のメニュー一覧に「盗賊」だとか「商人」だとか、果てには「遊び人」なんて書いてあるんだ。遊び人に関して言えばもはやそれは職業でもなんでもないじゃねぇか。要はニートだろニート。
俺は王様との激しい言い争いに疲れていたこともあって、もはや突っ込む気力もなく、無難に戦士と僧侶を選んだ。屈強な身体に鎧を着込んだむさ苦しい兄ちゃんと、ピッチピチの全身タイツを十字架の描かれたサンドイッチマンスタイルで隠したエロい姉ちゃんが現れた。イカレてやがる。あぁ、この世界は最高にクレイジーだよ。俺は世界を呪った。魔王の前に、この世界が滅びれば良いんじゃないかと本気で思った。
そんなこんなで俺は旅の仲間を手に入れ、ようやっと旅立ちを迎えたのであった。
ところで、俺はRPGが好きだ。この世界も見慣れたRPGの世界みたいで最初はワクワクしたもんだ。RPGをやる時の俺のスタイルは「レベルを上げて物理で殴る」だ。
序盤で上げれるだけレベルを上げて、一気にラスボスまで踏破する。それが俺のスタイルだ。当然、この世界でもそーする。このスタイルを取るゲーマーなら誰だってそーする。俺だってそーする。
俺は超スパルタ式で、パーティのレベルを上げることに腐心した。怒声を飛ばし、叱責を飛ばし、死んだらネチネチと文句を言った。「なんでお前はこんな敵も倒せないんだ」、「なんでお前はこんな動きもできないんだ」。そんな文句を百回も千回も繰り返した気がする。
この世界の時間で、約一ヶ月かかった。どんな敵にも負けない最高のパーティーが出来たと思った。どれぐらいかというと、一番膂力に乏しい魔法使いですらこの国の近くに出現するモンスターをオーバーキル気味に一撃で物理で粉砕できる、その程度にはパーティーを鍛え上げられたはずだ。そして、俺たちはようやく、始まりの国から世界を救う旅に出たのだった。
そこまで思い出して、俺はふと気づく。あれ? まずくね? 俺最悪じゃね?
俺は考える。そう。この世界は俺のよく知るゲームとそっくりだ。そっくりすぎてゲームかと思ってしまっていた。だって死んでも生き返るし、何故か金が半分になってるし、そう考えるのも無理はないだろ? でも大事なことを忘れていた。この世界はこの世界で確かにリアルなのだ。
同行しているパーティーメンバーに対しても、単なるNPCだろ、ぐらいの意識でしかなかったことに気づく。いやいや、これはだめだ。彼らも人間なんだ。この世界があまりにも現実離れしすぎていて、人として大事なものを失っていた。これじゃまだ日本で務めていたブラック企業のクソ社長の方がましだ。戦士も僧侶も魔法使いも、同じ人間。生き物なんだ。生きているんだ、友達なんだ。
ビジネス書には、「なぜ」や「どうして」から始まる質問をしてはならないと書いてあったな。やべぇ、俺しまくりじゃん。「なんでお前はこんな敵も倒せないんだ」、「なんでお前はこんな動きもできないんだ」。言いまくってるよ俺。ベッドの上を転がりながら頭を抱える。
そうだよ、レベルを上げまくって旅を始めた時のパーティーの雰囲気は最悪だった。俺は全員NPCかなんかだと思っていたからそこまで気にしていなかったが、今思い返すと最悪な仲だった。雑談はない、敵を倒しても褒め言葉もない、無言でただ作業のように次の目的地へ進んでいく、そんな旅だった。
でもそれも最初の内だけだった。一緒に長くいると人間ちょっとずつ仲良くなっていくもんだ。あとあれだ、吊り橋効果。モンスターに襲われるっていう緊張感が、一緒にいる仲間に対するドキドキだと勘違いして、仲良くなっちゃうやつ。あれ? これって恋愛心理学だったよな。その理論だと戦士も俺にドキドキすることになるな。撤回撤回。
まぁ、兎にも角にも、旅を続ける中で、なんとなく信頼関係ができてきて、なんとなくちょっとずつ仲良くなってきて、そんなこんなで今に至っている。今思い返せば、不幸中の幸いだ。あの雰囲気のまま、心理的安全性を高めようなんて無理ゲーすぎる。
さて、今後の方針を決めよう。まずは心理的安全宣言だ。このパーティーを心理的安全性の高いチームに変えていく、それを宣言する。それと同時に俺の今までのやり方や言動も謝らなければならない。リーダーとして最悪だったと。これからは、決して頭ごなしに叱ったり、怒鳴ったりしないと。メンバーと同じ目線に立って、一緒に困ってあげられるような、そんなリーダーになる、と。
そして、次にやることは、心理的安全性が感じられる状況を作り上げることだ。
一つ。話しやすさを作る。パーティーの全員が同じ方向を向いている時、それでも反対意見があれば、それをシェアすることができるか。問題やリスクに気づいた時、感じた時、声を上げられるか。知らないことやわからないことがある時、それをフラットに聞けるか。
二つ。助け合いができるチームを作る。問題が起きた時、誰かを責めるのではなく、建設的に解決策を考える雰囲気があるか。リーダーやメンバーは、いつでも相談にのってくれるか。減点主義ではなく加点主義か。
三つ。挑戦できるチームを作る。挑戦することが損なことにはならず、得になることだと思えるか。前例や実績が無いものでも取り入れることができるか。多少非現実的でも、面白いアイデアを思いついたら、共有してみよう、やってみようと思えるか。
四つ。新奇歓迎できるチームを作る。役割に応じて、強海や個性を発揮することを歓迎されていると感じるか。常識にとらわれず、様々な視点やものの見方を持ち込むことが歓迎されるか。目立つこともチームにおいてリスクではないと思えるか。
うむ、考えてみたが、全てを網羅する必要はなさそうだ。そもそも「魔王を倒す」という試み自体が挑戦だからな。挑戦はいらないだろう。新奇歓迎。これは必要か? 判断できないな。
そんなことを考えているうちに、俺の意識は睡魔に誘われて、暗闇に落ちていった。
次の日、メンバーを事故対策会議をした大部屋に集合させる。俺はまずパーティーをぐるっと見回して、言い放った。
「これからは、心理的安全性の高いパーティーを目指していきたい。そのための努力を俺は惜しまないつもりだ。
そして、今までの俺のやり方や、言い方、それらに問題があったことも認める。お前達にはさぞ肩身の狭い思いをさせてきてしまったと反省している。すまなかった。
これからは、お前らがどんなことを言っても、どんなことを相談しても、頭ごなしに怒鳴ったり、叱ったり、ため息をついたりは絶対にしないと約束する。
だからお前たちも、気になったことや、これは間違っているんじゃないかということがあれば、是非言ってほしい。一緒に考えて、一緒に困って、そして成長していこう。
俺はそう思っている」
勇気ある発言をした俺に、パーティーのメンバーはポカンとした表情で俺を見つめている。やめろ、俺だって恥ずかしいんだ。そんな顔で見るな。
「勇者様」
「何だ、僧侶」
「心理的安全性というのはなんですか?」
あぁ、そもそもそこからか。心理的安全性という単語は日本ではそれなりの知名度になってきているが、この世界では存在しない言葉だった。
「うーん、簡単に言うと、メンバーが忌憚ない意見を出し合っても、対人関係のリスクを気にすることがなく、議論が活発に行われ、個人の尊厳が損なわれない状態のことだ」
メンバーの目が点になっている。そんなに変なこと言ったか?
「それなら、勇者。このチームはもう心理的安全性が高いんじゃねぇのか?」
戦士がクエスチョンを頭の上に目一杯浮かべたような顔で俺に問いかける。
「今の皆は遠慮しあって、他人の悪いところを指摘しようとしていない。知らないことや分からないことをお前らは、遠慮なく聞けるか? 人間はお互い心の中を読み合うことができるように生まれていないんだ。
疑問を持った時、問題意識を持った時、それをちゃんと発信できているか?
俺はそんなパーティーを作っていきたいんだよ。ただの仲良しパーティーじゃ、この先魔王を倒すなんて絶対に無理だ。
認め合い、ときにはぶつかり合い、そして共に成長していく。それこそがチームワークだ」
あ、ようやくなんとなく納得したような顔になった。
「言いたいことは分かったけど、勇者。具体的に何するの?」
うん、全然考えてなかった。どうしよう。俺は足りない頭を必死で回転させる。
「まずは、一対一の面談をする。戦士、僧侶、魔法使いの順で、俺の部屋に来てくれ」
とっさに出てきた言葉がそれだった。間違っていないはず。
ワンオンワン面談の時に聞けば良いのはなんだっけか。確か、良いニュースと悪いニュースと、不安や不満だ。思い出した!
「じゃあ、戦士から。俺と話をしよう」
戦士を俺の部屋に上げ、コップに水を入れ、差し出す。戦士はそれを一口飲んで、俺の出方を待っているようだ。こころなしか緊張しているようにも見える。
「さて、何でも言ってくれ、といってもそうすぐには何でも言えないのは分かってる。だから雑談から始めよう」
「お、おう」
「最近あった良いニュースについて教えてくれ」
戦士は少し考え込むと、ゆっくりと話し始めた。
「今使ってる武器、新しく買ったやつなんだけど、なんと五割引きで買えたんだ」
「なに? 何だその店。俺知らないぞ!」
「今度勇者にも紹介してやるよ。あそこの鍛冶屋は気も良くて、気持ちのいい仕事をしてくれるんだ」
ほう、いい情報を聞いた。副次的効果ではあるが、早速いい情報が手に入った。
「じゃあ、今度紹介してくれな」
「勿論だ」
戦士は少し雑談したおかげで、緊張がほぐれた様子だ。
「じゃあ、次に最近あった悪いニュースを教えてくれ」
「悪いニュースか……。思いつくのは、トロールのことばかりだ」
「……確かにな。何回もやられたもんな」
戦士は少しばかり、こんな事を言って叱られるんじゃないかと思っていたらしく、その意見に同意した俺に目を白黒させている。
「俺も正直、参ってるんだ。どうやればあいつをやっつけられるのかって、ずっと考えてる。なぁ、戦士はどうすれば勝てると思う?」
よし、これはポイント高いぞ! 弱みや困っていることを自己開示するのは、メンバーの心を開かせる有効な方法だ。
戦士はうんうん唸りながら考える。
「俺は、今の役割分担に問題があるんじゃないかと思ってる」
「お? それはどういうところでだ?」
「俺ばかりが攻撃と防御を担当していて、正直つらいんだ」
「うん、確かにそうだよな。謝るよ。ごめん」
「いや、勇者のせいじゃないんだ。俺の気持ちに原因があるというか」
おや? 役割分担の話じゃないのか? でもいい雰囲気だ。自然と、不安や不満なことを言い始めようとしてくれている。
「俺さ。本当は小心者なんだ。モンスターの攻撃が来る、って思った瞬間に身がすくんでしまうんだよ」
その気持ち、めっちゃわかる。俺もあんな気色悪い生き物がこっちに全力で向かってくるの、怖くてたまんないもん。
でも、致命的だろ。お前の役目はパーティーへの物理的攻撃を受け止め、攻撃の要として動くことだろうが。でも、そんなことを言うことはできない。ここで戦士の言葉を否定してしまったら、二度と心を開いてはくれなくなってしまうだろう。
「わかるよ。言葉だけじゃない。俺もモンスターが怖い」
「勇者も?」
「あぁ。だってあんな気色悪いんだぜ? そんな生き物が死にものぐるいで俺らを殺そうとしてくるんだ。怖くないはずがない」
勇気を出してカミングアウトした戦士が、俺に同意する言葉を投げかけられて涙ぐんでる。正直むさ苦しい野郎の涙なんて見たくもないが、ここでそんなことを言ったらおしまいだ。
「なぁ、一緒に考えようぜ。どうやったらモンスターが怖くなくなるのか」
「おう」
「そもそも、戦士はモンスターの何が怖いんだ? 俺は単純に気色悪い生物が猛スピードでこっちに向かってくるのに生理的嫌悪感を感じるんだ」
「俺は、も、元々気が弱くて。いじめられっ子で。それでいじめっ子を見返すために身体を鍛え始めたんだ。でも、根っこの部分は何も変わってない。モンスターが俺を攻撃しようとするたびに、いじめっ子たちの意地悪な目が脳裏にちらつくんだ」
わーお、現代的ー。いじめとかこの世界にもあるのか。こんなゲームみたいな世界しといて、世知辛いったらありゃしねぇ。
「そっか。いじめられるのって辛いよな。俺も昔はいじめられてたんだ」
「勇者も?」
嘘だ。俺はどちらかというといじめっ子側の人間だ。
「あぁ、でも、戦士はその時のいじめっ子を見返すために強くなったんだろ?」
「あぁ……」
「その努力を俺は貴重なものだと思うよ。今でもいじめっ子が怖いか?」
「いや、あの時のいじめっ子は今はもう怖くない。でも、俺の頭の中のいじめっ子が怖いんだ」
うーむ、どうしたものか。いや、答えは出さなくても良いのかもしれない。とにかく、戦士の本音を聞き出せた、それが成果だ。
「言い出しにくかっただろ。話してくれてありがとう」
「勇者」
なんか、戦士が感動したような目でこっちを見つめている。こいつホモとかじゃねぇだろうなぁ。俺にそっちの気はないんだ。諦めてくれ。むさ苦しい貴様の感涙の涙なんて見たくはねぇ。
「ちょっとずつ克服していこう。一緒に」
「あぁ、ずっと話せなかったんだ。今日勇者に話せて、少しだけスッキリした気がする」
うむ、戦士のメンタルケアはTODOリストに入れておこう。
「じゃあ、また次の面談で、具体的にどうするかを一緒に考えていこう」
「あ、ありがとう、勇者」
おいおい、大の男がメソメソ泣くんじゃねぇよ。気持ちわりぃな。勿論そんなことは言葉には出さない。
「じゃあ、次、僧侶を呼んできてくれるか」
僧侶が控えめなノックをしてから、部屋に入ってくる。こいつも若干緊張してやがる。そんなに俺が怖いか。いや、仕方ないか。あんなスパルタ式の特訓をさせたんだからな。
「さて、戦士にも同じことを言ったんだが、何でも言ってくれなんて言って、すぐに何でも話せないのは分かってる。まずは雑談でもしよう」
「はい、勇者様」
しかし、この姉ちゃん。なんでこんな色っぺー服装してるんだろう。以前聞いたときは、神官の制服ですとか言ってたけど、神官がこんなエロい格好してちゃ駄目だろ。この世界の常識というものを疑いたくなる。
「最近、あった良いニュースってあるか?」
「良いニュースですか?」
「あぁ、小さなことでも何でも良いんだ」
僧侶はちょっとだけ考えると、控えめな笑顔で語り始めた。
「この国で、可愛い猫を見つけたんですよ。餌をあげたら懐いてしまったみたいで。最近撫でさせてくれるようになったんです」
おいおい、野良猫に餌を上げるっていうのは無責任が過ぎるんじゃねぇのか? 日本ではちょっとした問題になってるぞ。あ、増えてもモンスターが狩るから、増えすぎて困るってはないのか? 保護団体とかも聞いたことねぇな。
「そりゃいいニュースだな。猫って可愛いよな」
俺はそんな考えをおくびにも出さず、ニッコリと笑って同意した。
「勇者様も猫は好きですか?」
「猫も好きだし、犬も好きかなぁ」
嘘だ。ペットという存在が嫌いだ。金持ちの家でのうのうと惰眠を貪る犬畜生や猫畜生を見ると無意味に殺意が湧く。
「動物がお好きなんですね。勇者様のそういう面って全然知りませんでした」
「あんまり、自分のことを話すの得意じゃないからなぁ。ここに召喚される前も、そのことで良く波風を立てたよ。でも、そこから自分のことを話すタイミングみたいのが分かってきてさ、それで今の俺がいるんだよな」
俺は困ったように笑う。よし、ここも高ポイントじゃないか? 自分の苦手なことを敢えて正直に伝える! そして、その失敗から学んで今の自分がある、って感じ。いい感じじゃないか?
「じゃあ、次に、最近起こった悪いニュースとか、教えてくれないか?」
「……えっと、これ言って良いのかわからないんですけど……」
「いや、ここで言った話は全部俺の胸の中にしまっておくよ。安心してくれなんて言葉で安心できないかもしれないけどさ」
僧侶がちょっとだけ困った顔をし、その後で意を決したように話し始めた。
「最近、戦士様の視線が、怖くて」
「ん? どういうこと?」
なんかガンつけられてるとか、そういうことか?
「えっと、嫌らしい目で見られているのを感じると言うか、なんというか……」
おーい、戦士。お前のやらしい視線バレてるぞ。まぁ、そこに関しては仕方ない。こんなエロい格好した美人な女が常に近くにいるんだ。エロい目で見たくもなる。今度俺のサラリーマン時代に培った、こっそりと後輩の女性社員を視姦する離れ業を教えてやらないといけないな。
「そうか。女性からすると、そういう視線って怖いよな」
「勇者様は分かってくださるのですね? ちょっと前に教会の神父様にも相談したのですけれど、それは私の心に邪な思いがあるからだって取り合ってもらえなくて」
おぉ、おぉ。そんな悲しそうかつ嬉しそうな顔をするんじゃねぇよ。俺じゃなかったら勘違いして、襲ってるぞ。だが、男の嫌らしい視線は立派にセクハラだ。この世界にセクハラなんて概念があるかどうかなんて知るか。
「実は、私男の人が怖いんです」
「男嫌いってことか?」
予想外のカミングアウトに、俺は目を白黒させる。だってこんなどエロい格好した姉ちゃんが、男嫌いだぞ? 始めてみたときは痴女かと思ったぐらいだ。
「はい。特に男性になにかされたというわけではないのですが……」
「うーん。パーティーには、俺も含めて男が二人いるからな。心休まる暇がなかっただろう。気づけなくてすまなかった」
「いえ、そんな、滅相もない」
痴女アジテーターみたいな格好をしてることを除けば、僧侶はメチャクチャいい子だ。こんな子が、なんでピンチになると肉体言語に走り始めるんだろう。
「あと、実は……勇者様は異世界の方ですよね? 意見を聞きたいことがあるのですけれど」
「えっと、この世界には無い価値観とかの話をしたいってことか?」
「そうなんです。私……男性ではなく、女性に恋をしてしまうんです。これって病気なんでしょうか」
おおう。さらなる衝撃的なカミングアウトだ。いや、日本ではダイバーシティ。様々な価値観があってしかるべきだ。否定なんてしちゃいけない。そうか、そのセックスアピールは女性に向けたものだったのか。いや、そういう話でもないか。制服だって言ったたしな。知らんけど。
「うーんと、俺のいた世界では、LGBTって言ってな。社会的に認知されてる問題なんだ。
近年では同性同士の結婚も認めようとか、そういう話も出てきてる。それは病気なんかじゃない。僧侶の立派な個性だ」
「勇者様……」
感極まって、僧侶が泣き始めた。
「いいんだよ。マイノリティでも。自分らしく生きていけばいいんだ」
「私っ、私っ、ずっと自分のことを非生産的な人間なのかなって、思っててっ!」
「非生産的な人間なんていない。人間なんてものは誰しもちょっとずつ違うもんなんだ。僧侶の場合は、それが恋愛対象だったってそれだけだ」
「勇者様っ!」
っていうか、まだ二人目でなんでこんな大問題っぽいことがバシバシ出てくるんだよ。このパーティー呪われてるんじゃねぇのか?
勿論口には出さない。俺も会社ではポーカーフェイスの鬼と呼ばれた男だ。いや、ただ感情が死んで無表情がデフォルトになっただけだけど。
「男の俺じゃ、具体的な相談とかは出来ないかもしれないけどさ。まずは自分自身を認めてあげればいいんじゃないのかな。これでいいんだって。それでも自分に自信が持てなかったりしたら、一緒に考えようぜ」
「はいっ、ありがとうございます」
「俺こそ、ありがとうだ。言いにくかっただろ? 下手したら否定されるかもしれない。それでも勇気を持って俺に悩みを相談してくれたんだ。気づけなくて本当にすまなかったな」
「ゆ、勇者様……」
うん。僧侶のメンタルケアもTODOリストに入れておこう。こっちは戦士よりも根が深そうだ。
「じゃあ、この話は今度また深く話そうか。次は魔法使いを呼んできてくれ」
ノックなしに、魔法使いがずんずんと入ってくる。
「で? 一対一の面談ってなにやるの?」
魔法使いは一国の王女だけあって、堂々としている。ちょっと性格もキツい。会社にいたお局さんを若干思い出す。正直苦手な女だ。
「何でも言ってくれ、なんて言っていきなり何でも話せるわけじゃないのは、俺もよく分かってる。だから、雑談からはじめよう」
「ふぅん。雑談ねぇ」
魔法使いはつまらなそうに鼻をならす。こいつ、多分こんなことしてる暇があるなら、さっさとトロールと戦いに行けばいいのに、とか考えてるな。俺は、自分の笑顔が引きつりそうになるのを必死で抑えた。
「まず、最近あった良いニュースを教えてくれ。なんかあるだろ? ちっちゃいことでもなんでも構わない」
「良いニュースねぇ。あぁ、レベルアップして新しい魔法を使えるようになったわ」
ふむ、新しい魔法か。それは本当に良いニュースだな。
「ちなみに、どんな魔法だ?」
「対象を即死させる魔法」
それ、ボスには絶対効かねぇやつじゃねぇか。役に立たねぇ!
「それ、強そうな敵には使わないでくれるか?」
「え? なんで?」
「いや、なんか嫌な予感がするんだよ」
俺は日本で子供の頃にやったゲームを思いだす。ひたすらにボスに向かって即死魔法を唱える神官。「めいれいさせろ」ができなかったファミコン版だった。クッソみたいなAI作りやがって、と製作者に怒りを覚えた記憶がある。
「えっと、他だ、他に良いニュースは?」
「他に? そう言われても。あ! この街の民家から、『ちょっと大人な下着』を見つけたわ!」
民家を漁るんじゃねぇ。立派な窃盗だぞ。それと、どうして「ちょっと大人な下着」を盗もうと思ったんだ。誰に見せようとしてるんだよ、馬鹿。でも確かにその装備品は高価なものだったはずだ。そりゃそうだ。夜に恋人やら夫やらを誘惑するための下着だ。生地からなにまで高価なものを使っているだろう。守備力も何故か高い。なんで高いのかは知らないし、知りたくもない。
「え、えっと。それは良いニュースだな。装備するのか?」
「勇者、流石に女性にそれを聞くのはマナー違反よ」
「あ、そうだよな、すまん」
うるせぇよ。民家を漁ってる奴がマナーを語るんじゃねぇ、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「じゃあ、次に悪いニュースを教えてくれ」
「悪いニュースね……お父様から連絡が来たわ。今すぐ帰ってこいだって」
俺は納得してしまった。一国の王女が魔王打倒の旅に加わっているなんて、正気の沙汰じゃない。召喚されたその日に口汚く罵りあったあの王様に、ちょっとだけ同情してしまった。
「ま、帰る気なんてさらさら無いけど」
「そりゃありがたい。魔法使いの魔法はパーティーの要だからな」
ごめんなさい、お父様。俺は、お姫様をあんたのところへ返す気はありません。同情はするが、同情で飯が食えたら苦労はしないのだ。
「最後になるが、不安なこととか、不満なこととかってあるか?」
戦士も僧侶も、自然な流れで不安や不満を話してくれたので、この質問をするのは魔法使いが最初だ。
「不安……。不安じゃないんだけどさ」
お、プライド高めの魔法使いにしてはあっさりと吐き出してくれそうだ。
「私、モンスターといえども魔法で攻撃するのがちょっとかわいそうになるの」
ん? じゃあなんでいつも最終的に貴様はキリングマシーンに変わるんだ? おーい、魔法使いさーん。でも、なんか納得した。いつも魔法の詠唱に時間がかかっていたのはそれが理由か。
皆殺しモードの時とそれ以外の時の魔法発動までの時間の差はそれだったんだな。
「このモンスターにも、家族がいたりとか、兄弟がいたりとか、そういうことを考えると、なんかね」
「魔法使いは優しいんだな」
もう、このカミングアウトへの対応は思いつかない。とりあえず褒めよう。
「な、なによいきなり」
「俺は正直、あんな気色悪い生き物に慈悲の心なんて持てない。それができる魔法使いは、すっげぇ優しい人間なんだな、って思ったんだよ」
「ほ、褒めすぎよ」
顔を真っ赤にした魔法使いがそっぽを向く。いつもこんなしおらしかったら可愛いんだけどな。ちょっと化粧がケバいけど。
「モンスターに攻撃しにくいっていうのは、多分ずっと悩んでたよな。どうすれば良いのか一緒に考えさせてくれよ」
「うん。一緒に考えてくれるのは嬉しい……、でもどうしても躊躇しちゃうのよ」
俺はモンスターへの攻撃に一切の手心を加えることはないけどな。慈悲の心? そんなもん遠い昔に捨て去った。
「優しさ、っていうのも武器の一つなんだよ。俺はそう思ってる。魔法使いのその優しい気持ちはパーティーの大きな武器になると思う」
「あ、ありがとう」
うん、俺すげぇ良いこと言った。誰も褒めてくれないのが悲しいけどな。
「俺こそありがとう。今日俺にこうやって不安をぶち撒けてくれたその行動が、俺にとって貴重なんだよ。この話はまたしよう。今日はありがとう」
魔法使いが俺の部屋から出ていった後、俺はベッドに横になる。次の一手を考えなければいけない。思い出せ。あのビジネス書にはなんて書いてあった?
人の行動を変える、そのためには何をしなければいけないんだっけか。あぁ、思い出した。行動分析だ。
人間なんて単純なもので、何か行動をするときには、起因となる切っ掛けがある。んでもって、その行動に見返りがあって、行動の頻度が変わっていくんだ。パブロフの犬と同じだな。いや、ちょっと違うか。
ともかく行動分析だ。あいつらの問題行動はどこから起こる?
戦士に関して言えば、問題行動は思い当たらない。あいつの場合は、あんな成りして小心者ってところを除けば、いい仕事をいつもしている、気がする。あぁ、僧侶に嫌らしい目を向けてるってのは問題行動だな。でも、それを指摘されるのは辛い。同じ男だからわかる。やめておこう。戦士に関しては保留だ保留。
次に僧侶だ。なんであいつはパーティーがピンチになると肉体言語に訴え始めるんだ? 俺はうんうん唸りながら、そのきっかけを考える。そして思い出す。俺、最初のレベル上げの時に、物理で殴らせてたじゃねぇか。そんでそれを褒めてたな。「僧侶、非力なお前が物理でオーバーキルできるまでに成長したんだぞ! 喜べ!」って。原因は俺じゃねぇか。これは、ルールを作ってやらないといけないな。僧侶は物理で殴らない、って。
最後に魔法使いだ。優しすぎてモンスターに攻撃できないってのは、問題だ。でもそれ以上になんで最終的に殴っ血KILLモードになるんだろう。いや、ここまでくればだいたい予想がつくよ。原因は俺なんだよどうせ。思い出せ、最初のレベル上げの時を。「とにかく魔法を連射しろ! 貴様の存在意義はそれだけなんだ! 何もかもを塵にするんだ」って言ってたな。それで、味方に当たろうが何をしようが、魔法を連発した魔法使いを褒めてたな。あの頃は良かったんだ。魔法使いの魔法もまだ威力がそんなに高くなかったから。こんなことになるとは思っていなかった。これはどうすればいいんだ? よくわからなくなってきた。
兎にも角にも、今躓いている中ボスを倒すためには、特訓のし直しが必要だ。そのためにも、好ましい行動を増やし、問題行動を減らしていかなければならない。
ここで、見返りだ。見返りにはプラスの見返りとマイナスの見返りがある。プラスの見返りってのは、つまりあれだ、「褒める」ってやつだ。他にもここでこんな行動をとったらこんな良いことがあっただとか、そういうこともプラスの見返りになりうる。成功体験ってやつだな。
マイナスの見返りは逆に「叱る」ってやつだ。同様に、行動をしたらこんな嫌な状況になった、ってのもマイナスの見返りになる。失敗体験ってやつだな。
よし、方針は決まった。レベル上げをしながら、パーティーの問題行動を減らし、好ましい行動を増やしていく。そのために、俺が積極的に褒め、感謝し、そして「お前が今こういう行動をとったから、こういう結果につながったんだぞ」っていう説明をする。
よし、そうと決まれば、今日はもう寝よう。俺は目を閉じ、睡魔に身を委ねた。
次の日から、パーティーの特訓を開始した。勿論マイナスの見返りは与えない。つまり叱ったり、怒鳴ったりはしない。褒め、感謝し、「今のお前の行動でこの結果が得られたんだ」と詳細に説明をする。問題行動を起こすメンバーには、理由を話して、ルールを作ってやる。最初は言われたとおりに行動してくれれば御の字だ。段々と、「あ、勇者の言ってることなんか分かってきた」って思ってくれれば最高だ。
レベル的には今拠点としている国の周辺のモンスターは俺らにとって敵じゃない。だが、パーティーの連携を強化するのにはうってつけだ。魔物とエンカウントする毎に、丁寧にゆっくりと指導し、そして敵を倒すたびに振り返りを行う。パーティーメンバーも俺への信頼度が上がったのか、真面目に俺の声に耳を傾けてくれた。
勿論、ワンオンワン面談も欠かさない。メンバーと定期的に一対一で話し合い、悩みを聞いたり、一緒に困ったり、一緒に考えたりした。
ゆっくりとだが、メンバー同士の連携が上手くまとまっていき、俺は確かな実感を得る。そうだよ、今の俺らに足りなかったのはこういうことなんだよ。
そうして、訓練を始め、一週間経ち、二週間経ち、そして一ヶ月が経った。
今なら、あの憎たらしい中ボス野郎をぶち殺せる。
俺は、パーティーにトロールを倒しに行こう、と提案し、メンバー全員がそれに賛同する。士気もばっちりだ。意気揚々と、中ボスのいるダンジョンに向かい、トロールと対峙する。
「おお、勇者よ死んでしまうとは情けない」
「なんでだ!!!!」
俺の魂の叫びに、王様が目を白黒させている。次のレベルまでの経験値を恐る恐る喋り始めるそいつに舌打ちをして、棺桶を引っ張り、教会へ向かう。重い。
教会に入ると、久しぶり、みたいな空気で迎え入れられる。うるせぇよ。俺はできればお前らに一生会いたくねぇんだよ。
神父がいつものように、三人を生き返らせるためにはこれぐらいのお金が必要だ、などとのたまう。教会とか大層な名前をつけながら、人を生き返らせるのに多額の金を請求するって、どんな宗教なんだよ。地獄の沙汰、いや、神様も金次第だってか? ふざけるんじゃねぇよ。
幸いにも特訓中にモンスターを倒して得た金があった。半分になったとは言え、三人を生き返らせるには十分な金額がある。俺は言われたとおりに神父に金を渡す。おい、クソ神父。目が金に夢中って感じになってるぞ、もうちょっと取り繕いやがれ。
棺桶から生き返った三人は、申し訳無さそうな顔で俺を三者三様に見る。
「いや、お前達は悪くない。何も言わなくていい」
少しの間、一人にしてほしい。そう三人に告げ、俺はぼったくり宿屋に戻るのだった。
その硬さに慣れてきた自分がちょっと悲しくなりながらも、俺はベッドに横になる。特訓の時のチームワークは完璧だった。上手くいけば褒め、感謝し、そして説明もした。
だが、その結果はどうだった? いつもの焼き直しだった。戦士がやられ、僧侶が肉体言語で語りだし、そして魔法使いが暴走を始める。何が足りない? もう一度思い出すんだ。
心理的安全性の高いチーム。それは自ら学習し、成長していくチームだ。
そのことを思い出し、はっとする。特訓の最中、指導していたのは俺だ。俺があいつらを指導し、そして、「あぁ、そういうことか」となる。
確かに成長するにはそれもありかもしれない。だが自ら成長していくチームにならなければ意味がないのだ。
あのビジネス書を思い出す。このチームは所謂プロジェクトチームだ。「魔王討伐プロジェクトチーム」と言ってもいいだろう。
そう、チームが同じ方向を向いていなければいけない。それには、このチームが何を大切にするかをちゃんと言語化しなければならないのだ。言葉で旗を立て、チーム全体がその旗を目指し歩んでいく。それが重要だ。その重要なことを、俺はすっかりと忘れてしまっていたのだ。
目標は簡単だ「魔王を倒す」。それがこのチームにとっての大切なことだ。でも、なんのために倒すんだ? 世界を救うためか? いや、俺はこの世界なんてぶっちゃけどうでもいい。いっそ明日には滅んでしまえば良い。
うん、戦士も、僧侶も、魔法使いも、「魔王を倒す」という目標は一緒だ。だけど、なんのために倒すのか、それぞれ考えに違いがあるかもしれない。そもそも、それぞれの目標すら違う可能性がある。
プロジェクトチームの場合は、「大切なこと」は大義として言語化すれば良いと書いてあった気がする。トップダウンで、チームの目標を掲げるのだ。そして、メンバーそれぞれの思いを聞き出してみよう。
思ったら、即断即決。それが俺の長所でもあり短所でもある。今回はそれを長所であると思い込んで、早速行動だ。
俺は、メンバー全員を宿屋の大部屋に集めた。
「今回負けた原因とか、そういうのは一旦置いておく。いつもの事故対策会議じゃない」
メンバーが不思議そうな顔をする。俺、そんな変なこと言ったか? あぁ、言ったか。トロールに負け続けてから、ずっと負けた直後は「事後対策会議」を開いていたからな。
「俺らの目標。つまり大義だな。それを共有したいんだ」
「目標って、魔王を倒す以外に何があるんだ?」
戦士が不思議そうに問いかける。
「あぁ、そうだ。だがこれまで俺達は、それを当たり前だと思っていた節がないか? メンバー全員の思いは同じか? 俺はそう思わない。だから、皆の意見を聞きながら、目標を詳細化したいんだ」
俺は、戦士、僧侶、魔法使いを見回す。
「さて、俺らの大義は『魔王を打倒する』。その一点に尽きる」
俺を真剣な目で見つめる三人が頷く。
「だが、それだけじゃだめだ。俺達は、この世界の何を変えるために今旅をしているんだ? それは、世界を平和に変革させることだ。世界を平和にすれば、この世界の誰もが魔物に怯えなくて済む、そんな世界になる。言うまでもなく、それはシンプルに歴史的な偉業になるかもしれないことだ」
俺は、戦士に目を向ける。
「戦士、お前の戦う理由はなんだ?」
「俺か。俺は……家族とか友人が死なない、そんな世界を作りたくて勇者についてきたつもりだ」
「うん。立派な大義だ。それと俺が今話したこととリンクさせよう。世界を平和にすれば、戦士の家族や友人は魔物に怯えなくて済むようになる」
俺は次に僧侶に目を向ける。
「僧侶の旅の目的はなんだ? なんのために戦ってるんだ?」
「私は、神の教えに従っているだけです。神と敵対する魔王を討伐し、魔物達を悪しき力から開放する、そのために戦っています」
「うん。それもリンクしてるな。よく分かった。ありがとう」
最後に魔法使いを見つめる。
「魔法使い。お前の戦う理由は?」
「私は、最初はただ冒険がしたいだけだった。でも、その中で魔物に苦しめられてる人や、街を見て、なんとかしないとって、そう思った」
「うん。それで良いんだ。ありがとう」
俺は再度、俺を見つめる六つの目を見回す。
「皆の最終的な目的は一緒だ。俺はこれを旗、もしくは北極星としたい。悩んだり、躓いたりしたら、今日話したことを思い出すんだ。そうすれば、自ずと皆がそれぞれどういう行動を取れば良いのかが分かってくるはずだ」
三人が神妙な顔で頷く。
「でもって、これは長期的な目標だ。皆の意見がほぼ一致していて俺は嬉しい。ありがとう。でも短期的な目標はなんだ?」
「トロールを倒して先にすすむことよね」
魔法使いが答える。
「あぁ、そうだ。トロールを倒す。まずはそれを俺たちの短期的な大義に掲げよう。トロールを倒すことによって、トロールに苦しめられている近くの村の住人を救うことができる。トロールは近くの集落から定期的に生贄を要求している。これは皆も知ってる話だよな。トロールを倒せば、その何百人って人たちがこれから苦しまなくてすむようになる。これって凄いことじゃないか?」
うん、皆どこか納得感のある顔に変わった。
「そうと決まれば、明日からまた特訓だ。あと、これまでとはちょっと変えて、二日毎に皆で色々話し合おう。その時俺は、話し合いの進行をするだけで、一切口を出さない。皆お互いに、ここが良かったとか、あそこはああするべきだったとか、そういうのを話し合う会議だ。意見がぶつかり合うこともあるかもしれない」
俺はそこまで言って、一息つく。意見の衝突。それには三つある。
一つ、人間関係の衝突。人の好き嫌いとかだ。
二つ、タスクの衝突。問題や事象について意見が異なったり、意見が衝突したりとかだ。
三つ、プロセスの衝突。「それは私の仕事じゃないです」といったお役所仕事だ。
基本的には衝突は、チームのパフォーマンスに悪影響を与えるが、この中で唯一プラスの影響を与える衝突がある。二つ目の「タスクの衝突」だ。
「『あなたの性格が気に食わない』とか、『それは私の仕事じゃないです』とか、そういう衝突は駄目だ。だけど、『ここはこう動いたほうが良いんじゃないか?』とか『ここにはこう対処したほうがいいんじゃないか?』とか、そういう衝突は寧ろあったほうが良い。
どんどん議論して、意見を言い合おう」
三人の顔がやる気に満ち溢れたものになったことを確認する。
「じゃあ、明日から、特訓開始だ! 今日は各自ゆっくりと休息を取ってくれ」
次の日から、また特訓が始まった。今回も、前回と同様に、魔物とエンカウントするたびに丁寧に戦っていく。だが、ちょっとだけ変えてみたことがある。それは、俺が意図的にピンチな状況を作り出す、ということだ。ピンチになった時に人間の本性が現れる。俺の下手くそな演技力でピンチを演出できるか不安ではあったが、なんだか上手くいっているようだ。
魔物を倒し、振り返る。そして、二日毎に俺がファシリテーションをするだけの話し合いを行う。最初は互いに遠慮していた三人だったが、俺が何も意見を出さないということを自覚し始めると、徐々に意見を出し合うようになり、そして時にぶつかり合うようになった。
「だから、僧侶! なんでお前はピンチになると物理で殴りに行くんだ! 回復がお前の領分だろ!」
戦士が鼻息を荒くして、僧侶に詰め寄る。おいおい、やりすぎは良くないぞ、と思いながらも、俺は黙って見守る。
「ごめんなさい、ピンチになると頭に血が昇ってしまって」
「血が昇る前に、ちょっと冷静になる癖をつけるのが良いんじゃない?」
僧侶を戦士が責める図式ができるが、すかさず魔法使いが建設的な意見を出す。
「そ、そうですね。心がけてみます。ところで魔法使い様、いきなり豹変して魔法を連射し始めるのはやめてほしいんですけど」
「うっ、ご、ごめん。つい癖で」
責められていた僧侶が、魔法使いに苦言を呈する。
「あれぐらいの速度で常に魔法を使えたら、魔法使い様ももっと活躍できると思うのです」
「そうよね。うん。頑張る。ありがとう。ところで戦士、あんた敵の攻撃受ける時へっぴり腰になってるわよ! そんなんで私達を守れるの?」
そして、魔法使いは戦士のへっぴり腰を指摘する。
「す、すまない。でも自分でもどうすればいいのか」
「戦士様はもう十分にお強いのですから、モンスター相手に怖がる必要はありません。自信を持ってください」
僧侶がフォローに回る。
最初はそんな感じの話し合いだった。メンバーがそれぞれ、お互いの悪いところを言い合う。人間関係が悪くなりかけた時もあった。険悪な雰囲気になり、誰も何も喋らなくなる。そんな時は俺の出番だ。俺はその時していた議論が如何にパーティーにとって大切な議論であるかをここぞとばかりに力説した。正しい方向にいっているんだ、皆間違ってはいないのだと。そういった議論ができるようになった事自体が、素晴らしい成長なのだと。
パーティーはその度に少しずつ結束を強くしていった。議論はお互いの悪いところを揶揄し合うようなものから、次第にパーティーとしてどう動けば効率がいいか、という話や、モンスターを倒すために必要なことはなんなんだっけ、とか、そういう議論にシフトしていった。人間が四人も集まって都合よくまとまった意見が出るわけじゃない。勿論ぶつかる。でもそれでいいのだ。少しずつ三人は健全な議論をしながらも、お互いを尊重するようになっていった。
その後は劇的に変化していった。なんと、三人が俺の悪いところや、俺がこう動けば効率が良い、だからそうしてほしい、といった議論になっていったのだ。勇者とは、異世界から召喚され、この世界のどの人間よりも尊ぶべきとされている人間だ。会社で言うなら、ワンマン社長みたいなものだろう。その俺に、メンバーが意見をぶつけてきたのだ。俺は確かな心理的安全性の高まりを感じていた。勿論、その指摘に対して、俺が間違っていると思ったことは、そう言ったし、論破されたなら「わかった、ではそうしよう」と、皆の意見を取り入れた。勿論、最後に感謝の言葉は忘れない。
議論の内容は特訓の中でも活かされるようになった。各々議論し、結論が出た事柄について、皆がそのとおりに行動するようになっていったのだ。「言われたとおりに行動していく」ではなく、「確かにそうなのだと確信をもって行動していく」ようになった。メンバーの連携は劇的に変革し、それぞれが自信をもってことに当たれるようになった。
そして、特訓と二日毎の会議を初めて一ヶ月たった。
パーティーが俺の力を必要とせず、自分から成長している。意見をぶつかり合せ、議論をし、そして自ら学習していく。これこそ、心理的安全性の高いチームだ。
このパーティーなら、どんな敵にも勝てる。俺は確信した。
「よし、明日。トロールを倒しに行く!」
俺は、今日も今日とて喧々諤々と意見をぶつかりあわせている三人にそう告げる。
「お前たちは、俺の想像以上の成長をした。俺みたいな三流リーダーがいなくてもチームが勝手に生き物のように成長していく、そんなパーティーになった。
これこそが心理的安全性の高いパーティーなんだ。
明日、もしトロールに負けたとしても、それを糧に俺たちはまた成長できる。勿論負けるつもりはない。
だけど、俺らならもう、どんな困難にもくじけることは無いんだ!
自信を持ってくれ!
俺たちは今、本当の意味でチームになったんだ!」
俺の言葉に、パーティーの士気が上がっていくのを感じる。戦士の瞳が爛々と輝く。僧侶が自信ありげにニッコリと微笑む。魔法使いが強気な表情で鼻を鳴らす。準備は万端だ。
トロールがその太い棍棒を振り回す。だが戦士はそれに怯えることはない。左手に携えた盾でその一撃を防ぎ、いなす。
戦士が作り上げた隙に、俺はトロールを袈裟懸けに斬りつける。
「魔法使い! 魔法だ!」
「もうやってるわよ! 任せて」
俺が指示を出すまでもなく、詠唱を開始していたらしい。トロールの頭の横で大きな爆発が起きる。奴が痛みに唸り声を上げ、めちゃくちゃに棍棒を振り回す。その一撃が、戦士の身体に直撃する。
「回復は任せてください!」
戦士の重い体をすぐさま引っ張って安全圏まで運んでいき、僧侶が回復魔法をかける。もう僧侶が肉体言語で語り始めることはない。
俺は戦士の穴を埋めるため、トロールのヘイトを集めようと、必死で攻撃をする。
「魔法使い!」
「だから、もうやってるって!」
トロールの身体がオレンジ色に輝き、目に見えて動きが遅くなる。デバフ魔法が成功した証拠だ。チャンスだ。
「喰らえ!」
俺の会心の一撃が、トロールの首元に深い切り傷を負わせる。
「戦士様の回復完了しました。勇者様、貴方も傷を負っています。一旦下がってください」
「わかった! 戦士頼めるか!」
「勿論だ!」
戦士が戦線復帰する。トロールのヘイトを集め、パーティーの他のメンバーを守る。
素晴らしい。それぞれが、それぞれの立場を理解し、速やかに動けるチーム。これこそが理想のチームだ。俺は僧侶の回復を受けながら、感嘆する。
「回復、終わりました」
「よし! 戦士、俺もそっちへ行く!」
俺は、戦士のフォローをするように、炎の玉を発生させる魔法を使いながら、戦士の横に立つ。魔法はトロールの顔面にヒットし、酸欠によって奴が苦しげな唸り声を上げる。トロールはもう自分の命が残りわずかなことを自覚しているのか、めちゃくちゃな捨て身の攻撃を繰り出す。
「勇者! 止めは任せる!」
トロールの棍棒を一身に受け止めながら、戦士が叫ぶ。
「勇者! 攻撃力を上げる魔法をかけたわ! お願い! 奴をやっつけて!」
俺は盾を捨て、渾身の力を込めて両手で剣を握り、振り上げる。
「おおおおお!」
地面を蹴って、戦士を飛び越え、トロールの人間よりも遥かに高い身長よりも高く跳ぶ。
「死にくされ!!!」
本日二度目の会心の一撃が、トロールの脳天を真っ二つにする。確かな手応えを感じた。地面に着地し、トロールを見る。ピクピクと痙攣してはいるが、もう起き上がってはこないだろう。
アドレナリンで興奮状態の俺は、肩で息をしながら後ろを振り返り、ニヤリと笑う。
「勇者!」
「勇者様!」
「勇者!」
三人が喜色満面の笑顔で俺を見る。今までなら、これで喜んで終わりだ。だが、この二ヶ月弱、心理的安全性について考え抜いた俺は、まだ俺にやることがあることを知っている。
「戦士、お前がトロールから身を挺してパーティーを守ってくれたおかげで、俺たちは勝てた。ありがとう」
戦士が照れくさそうに、鼻を右手の人差指でこする。
「僧侶、お前の回復魔法が無かったら、到底勝てなかったと思う。ありがとう」
僧侶が優しげであり、かつ誇らしげな微笑みを浮かべる。
「魔法使い、お前の強力な攻撃魔法とサポートがなければ、トロールは倒せなかった。ありがとう」
ふん、と魔法使いが鼻をならす。だが、顔が少し赤くなっている。
「このチームなら、どんな敵だって目じゃない! 俺らの大義はなんだ? 言ってみろ!」
四人同時に「魔王の打倒」と大声で叫んだ。
うん。いきなり召喚されて、こんなクソみてぇな世界、明日にでも滅んでしまえ、そう考えた日もあった。だけど、今、俺はこのパーティーが大好きだ。これからいろんな冒険をこのパーティーとしていける。そして、パーティーはますます成長していくだろう。俺だって負けてられない。俺ももっと成長していく。
どんな敵にだって負けない。きっと魔王だって簡単に倒してしまえる。俺自身に自信があるんじゃない。このパーティーに俺が自信があるのだ。
「俺達の勝利だ!!!」
俺は勝どきの声を上げた!
あれから二年が経った。俺達は今、魔王の居城、その目の前にいる。
パーティーはあれから、順調に成長を続けた。俺は何もしていない。パーティー自体、チーム自体が学習し、成長していったのだ。二年前とは比べ物にならない逞しい一行がここにはいる。
何度も負けた。何度も全滅した。でも、その度に俺達は意見をぶつかりあわせ、議論し、そしてチームワークを修正してきた。魔王なんて目じゃない。
「よし、行こうか、皆」
俺達は、魔王の城に向かってゆっくりと歩き始めた。士気は上々。力量に不足もない。チームワークはグンバツ。負ける要素が無い。俺は振り返って三人を見る。自信に満ち溢れた皆の顔を見て、俺はこれからの結末を確信した。
え? その後どうなったのかって? そんなの言わなくてもわかるだろ? 物語はいつだってハッピーエンドだって決まってんだよ。
まず、この話はフィクションです。この通りにやったからといって心理的安全性が向上することを私は保証しません。
心理的安全性を向上させる考え方ややり方を網羅しているわけではないです。
もっと色々なやり方や考え方があると思います。ググったり、本を読んだりするといいかもしれません。
この短編を書くにあたって
「心理的安全性のつくりかた」(石井遼介 著)を熟読しました。
心理的安全性について悩んでいるビジネスマンの方、エンジニアの方。
すごく参考になる本ですので、読んでみてください。