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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ドナタのトイレ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 う〜、まずいな。どうしても我慢できそうにない……。

 いや、もう分かるっしょ、こーちゃん? トイレだよトイレ。

 やっぱり公衆トイレって、使うのに抵抗あるんだよねえ……立ち小便とか、便器を使わないで用を足したくなる人の気持ち、僕にはよくわかる。

 野っ原でやる分には、「先客」と場所をかぶらないようにできる公算が高いからね。運よくまっさらなところで、用を足せるかもしれない。

 その点、公衆トイレは場所が決まっている。利用するなら最後、便座の中という決まりきったポイントでの用足しを強要される。


 そうなると待っているのは簡単だ。「先客たち」との間接コミュニケーション。どこで生まれてどう育ち、用を足す数秒前まで何をしていたのかもわからない輩が触れたものを、自分が使わざるを得ない。

 イメージが膨らむほどキツイ。ナーバスな人ほどストレス爆発間違いなし。野っ原に逃げてしまう思考を、どうしてさげすむことができるだろうか?

 それにね、公衆トイレをめぐって僕の兄ちゃんも、実に気味悪い体験をしたらしいんだ。その話、こーちゃんも聞いてみないかい?



 その体験をするまで、兄ちゃんは公衆トイレの利用に無頓着だったらしい。

 きれい、きたないを全然意識しない年ごろだったからねえ。肝心なのは用を足せるかどうかだった。

 野っ原でやる方が安心できない。ポケットティッシュを持ち歩かない兄ちゃんにとって、もし大をするなら、葉っぱでお尻を拭かねばいけなかった。


 ――ハンカチでやらないのか?


 え? こーちゃん、マジでいってるの? 布地とかなが〜く使えるものに、そんな半永久的な呪い、くっつけちゃっていいの? 

 あ、もしかして自分だったものくっつけて、半ば祝福〜とか考えちゃってる感じ? うわ〜、引きますわ〜。

 物書きセンセイの考えること、パねえですわ〜。キモキモですわ〜。


 とまあ、茶番は置いといて。

 葉っぱで尻を切ったことがある御仁のうわさを聞いた兄ちゃん、えらくビビったらしい。

紙でないなら、絶対に尻を拭いちゃまずい……。そう頑なに信じる兄ちゃんは、トイレットペーパーがある環境こそが、最重要と認識したのさ。

 ゆえにトイレという場所に特別な意味を見出していたんだけど、転機が訪れたんだ。


 僕が生まれてほどなく、家族で大きめの運動公園に出かけたときのこと。

 僕の世話でなかなか離れられない両親に対し、兄ちゃんは奔放にアスレチックで遊んでいたとのこと。一人で公園の奥までどんどん進んだ兄ちゃんは、ふと湧いた便意のままに、近くのトイレへ向かった。


 丸太を組んで作ったと思しき、小さめのトイレ。男女に別れて小用2つ、大用1つ。たくさんの人が利用するトイレとして、やや力不足と評さざるを得ないスペースだった。しかも入り口には落ち葉が舞い込み、丸太のすき間にはうっすらとクモの巣が張っている場所もちらほらと。

 でも兄ちゃんは気にしない。幸いなことに、大用の個室は鍵が開いていた。ラッキーとばかりに戸を開けて、けれど中へは入れなかった。


「先客」がいたんだ。

 この個室、アウトドアなトイレのくせして洋式便座というのは非常にありがたかった。けれども、その便座に対してかがみこんでいる輩が中にいたらどう思う?

 便座に座り込んでいるなら、まだいい。少なくとも正しい使い方をしているわけだから。

 それが逆に立ったまま、便座へ向けてかがみ込み、口元あたりからでろーんと、長く伸びている、毛むくじゃらの影を見たらどう思う? その場を離れたくならない?

 

 兄ちゃんも同じだ。ドアを開けた瞬間、即閉めてその場を逃げ出した。

 とはいっても、別のトイレを目指すだけの余裕はない。いよいよ下腹部はもぞもぞし出して、一歩歩くたびの揺れが、いつ腸の船をひっくり返すか予想がつかなかった。

 下手に動くわけにはいかない。兄ちゃんはトイレの入り口横で、例の奴が外へ出てくるのを待った。

 これまで動きっぱなしだったからだろうか。つい壁に寄りかかると、うとうとしてきてしまう。かっくりと首がうつむきかけるたび、「いかん、いかん」と頭を振って耐え続けた。


 もう何分たっただろうか。中からあいつは出てこない。

 いよいよ我慢の限界で、足踏みすら怪しくなるくらい。兄ちゃんは下半身を揺らさないすり足で、そろそろとトイレの中へ。

 例の個室はドアが開きっぱなし。のぞいてみると、さっきの奴の姿はない。

 どこへ行った? と考えられなかった。兄ちゃんはズボンを下ろしつつ、便座の上へ腰を下ろした。個室の床も葉っぱが何枚か。誰の靴裏に引っかかってきたかもわからない土の塊があちらこちらに転がっていたけど、便座だけは異様にきれいだ。

 自分が立てる水音を聞きながらも、兄ちゃんは初めて、早く用を足したいと思った。


 ――この便座は、絶対あいつがなにか、ちょっかいかけたものに違いない。


 そんな場所に、いつまでも触れていたくなかった。我慢を重ねた連中が身体から旅立つと、兄ちゃんは何枚もトイレットペーパーを使い、便器と自分の尻を何度も何度も拭いたらしい。


「先客」は、あの毛の生え具合からして、人間とは思えなかったと、兄ちゃんは感じたらしい。

 考えられるとしたら、サルのたぐいだ。少なくとも人間の子供ぐらいの大きさはあるもの。

 でも、サルが人のトイレを利用するなんて、考えられるだろうか? 野生動物にとって、活動できる場所はすべてトイレになり得るはず。

 それをわざわざ、ヒト様のトイレの個室を使う。いや、あの行動は使っているといえるのか?

 

 怪談ブームの時期だったこともあり、兄ちゃんは自分の体験を、あたかも誰かから聞いた体にして、クラスメートたちに話す。

 なにか取っ掛かりがないか試してみたんだ。同じようにして家族や習い事先にも同じような話を振り、探りを入れてみた。

 結果、オカルトに詳しい友達のひとりから「もしかすると」と前置いて、情報を仕入れることができた。


 その彼が提供してくれたのが、「あかなめ」と呼ばれる妖怪について。

 あかなめは人間が寝静まった深夜。風呂場に忍んでやってきて、そこにこびりついたあかを、長い舌でなめとるという妖怪。特に人の集まる古い風呂屋を好むから、銭湯などの大衆が利用する場所では、あかなめがやってこないようにするという名目で、掃除を励行しているのだとか。


「でも、このご時世だ。スーパー銭湯などの新しい施設に押され、年季の入った風呂屋は限られたものしか営業していない。

 そこを追われたあかなめたちが、今度は公衆トイレに住み着くようになったんじゃないかな? うまくしたら、風呂よりも『濃い』ものが手に入るわけだし……」


 確かにあのとき目撃した毛むくじゃらの影は、長いものを垂らしていた。あれがもし舌だとしたら、得心がいく。便座がやけにきれいだった理由も。

 兄ちゃんはそれから、公衆トイレの個室に注意を払うようになった。ひとえに「あかなめ」の影を目撃しないかどうか、気を凝らしていたんだ。

 きれいな便器を目にすると、利用を避けるようになってしまう。あかなめが使ったんじゃないかと思うと、落ち着いて用を足すのはもう無理だったとか。多少汚れていたとしても、それはあかなめが訪れていない証拠に他ならない。



 けれど、兄ちゃんもついに余裕がなくなるときがあった。

 バスを使った学年の遠足。高速道路のサービスエリアに入るや、兄ちゃんは真っ先にバスを降りてトイレに飛び込んだんだ。

 トイレは広い。個室の候補はいくつもあった。それでも暴れ出しそうになる便意に対抗するには、わずかでも距離の近い場所を選ぶよりない。

 ちょうどドアを開けて、中から出てくる人の姿もあった。その人とほぼ入れ違いになる形で、兄ちゃんは身体を滑り込ませようとしたんだ。

 誰かが出た直後ならば、いかにあかなめといえど……。そんな考えも、兄ちゃんの頭の片隅にあったんだ。

 

 閉じかけた扉を、肩でぶつかって押し開ける。とたん、戸が内側で固いものにぶつかる感触があった。

 荷物の置き忘れかと思ったが、違う。開きかけの戸からのぞいたのは、あの時と同じ、黒々とした毛むくじゃらの身体だったんだ。

「あかなめ!」と思った時には、もう遅かった。音を立てたときにはもう、あかなめの身体風船が割れるように飛び散ってしまったんだ。

 個室の壁をぎりぎり越えない高さで浮き上がった、いくつもの破片。それはあかなのか、糞なのか、吐しゃ物なのか、もはや判断がつかなかった。ただ次の瞬間、びしゃびしゃと音を立て、それらが個室の床へまんべんなく降り注ぎ、崩れた身体を存分にさらす。

 もう兄ちゃんは近寄る気になれなくってさ。その時はどうにか別の個室で間に合ったけど、もう誰が使ったか。誰が使っているか分からないトイレを使うのは、こりごりだって話してたよ。


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