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マヨイガ

マヨイガ2―森の奥の洋館―

作者: 吉尾京

 たったひとりの肉親である父が亡くなったという知らせを受けて帰省した。

 喪主を務め、郷愁に浸る暇もなく数日を田舎ですごした。

 東京に出てもう何年経っただろうか。最後まで父は反対していた。母の後押しもあり、今では一流企業で課長にまで上り詰めている。本当はこう何日も会社を抜けられないのだが、たったひとりの肉親であること、実家がうんと田舎であることを理由に、長々と滞在することになってしまった。

 田舎は都会と比べ付き合いが多い。すれ違う人間皆知り合いで、何かあるとすぐに知れ渡る。

 葬式を立派に務め、飲みの席に参加したあと、時計を見るとすでに丑三つ時だった。虫の音と鳥の鳴き声がうるさい森の横を抜け、ぬかるんだ道を進む。葬式場から実家までは徒歩で行ける距離だ。地元民なら車を使うが、生憎俺は車を持ってきていなかった。こんなことならレンタカーでも借りればよかったが、どのみちしこたま飲まされるので意味がない。


 りん、と鈴の音がした気がした。

 ふとそちらを向くと、道と呼ぶには狭いが獣道ではなさそうな一本の線があった。木々が切られているのか、それとも元からそこには生えていないのか。

 真っ直ぐ、奥に向かって伸びた先はぽっかりと暗い闇だった。

 俺は理由なく、導かれるようにふらふらと闇を追う。森の奥へ奥へ。


 突き当たりには、大きな御屋敷があった。大層立派な洋館で、この土地にはかなり不釣り合いに見えた。

 十八までこの土地で生きてきたが、こんな場所、一度も見たことがなかったぞ。


 俺はそっと扉を開ける。怖いもの見たさというのもあったのだろう。幼稚な冒険心か、はたまた無謀な度胸試しか。

 想像よりも軽いドアは、ギイとホラーゲームでしか聞いたことのない音を立てて開いた。中は意外にも煌々と明るく、天井にはシャンデリアを模した照明が吊るしてあった。

 床は赤いベルベット。マホガニーの骨董家具に至るまで、全てが西洋かぶれだった。

「なん……だ、ここは」

「いらっしゃいませお客様」

「うわっ!」

 平坦で感情の読めない、女性の声がした。振り向くとスーツに身を包んだ女性が虚ろな目で立っている。顔をはっきり見ようとするが、どうも印象に残らない。顔のつくりを正確に判断できないと言った方が正しいか。

「こ、ここは何かの店……なのか?」

 だとしたらこんな奥まった所に建てるもんじゃない。客が迷ってしまう。

「はい。こちらでは疲れたお客様にリラックスしていただけるような施術を行っております。マッサージ、耳かき、フットバス等……ほんの一例です」

 メニュー表を手渡され、受け取る。成程、そういうコンセプトの店か。こういった……所謂マッサージ店というものは、非日常を体験するために変わったつくりになっていることが多い。

 後ろ暗い、いかがわしい店ではなさそうだが、なぜこんな時間まで開いているのだろうか。

「どちらのコースに致しますか?」

「いや、俺は……」

 そういう目的で入ったのではない、と言いそうになってやめた。自らの意思で入っておきながら冷やかしだなどと今更言えない。

「じゃあ、この耳かきのコースで」

「かしこまりました。お着替えは必要でしょうか」

「着替えがいるのか?」

「お客様にはリラックスできる格好をしていただきます。それに……オイルなどがお客様のお召し物に付着する恐れがあります」

 あまり長居をするつもりはなかったが、明日の予定はない。身体も酷く疲れているし、このままここで休んでいってもいいだろう。


 それから俺は渡されたパジャマのような服を着て、指示された部屋に入った。

 エントランスの華美さとはかけ離れた、気が狂うほど何もない真っ白な箱だった。

 中央に施術台が置いてある。そこに寝転ぶように言われていた。

「お客様、今回お客様の担当をさせていただきます、柊と申します。僅かな間ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「ああ」

 この柊という女も、顔の造形をうまく理解できなかった。意識して見つめてもはっきりと美醜や目鼻立ちの区別がつきにくい。俺の目は一体どうしたというのだ。

 柊は枕の高さについて尋ねた後、右耳を上に向けるように指示した。

「まずは温かい蒸しタオルで、耳垢を柔らかくしていきます。同時に耳の血行を促進させ、マッサージでツボを刺激します」

 もわ、と優しく蒸しタオルが耳を包む。耳が熱くなると、自然と最近の悩みであった頭痛が薄れていくのを感じた。

 こりこりと、タオル越しに柊の指が耳殻を押す。時に引っ張るように。時に押し付けるように。折り曲げ、回し、溝をなぞった。

「耳には多くのツボがあります。そこを刺激することで、頭痛などの症状が緩和されます」

 タオルがぬるくなった頃、それは終わった。ひやりと気化熱で耳が冷える。

「では、耳かきを……。まずは竹の耳かき棒を使います」

 耳の中に細い棒が入る感覚。ぞりぞりと壁を擦られ、それがなんとも気持ちいい。

 手前に奥に。耳かき棒は行き来する。

 かちゃりとそばでぶつかる音。

 耳かき棒は金属に代わった。

 ずぞぞっと奥から引き出されるような音がして、鳥肌が立つ。

 柊は濡らした綿棒を手に取り、中をなぞる。綿棒が通った道がひやりとした。多分、水ではない。

 すすっ、すすっと今度は音がない。だが独特の刺激は俺の耳を満足させるには充分だった。

「では、次は左の耳を掃除させていただきます。向きを変えることはできますか?」

 確かに彼女の細腕で俺の向きを変えるのは不可能だろう。俺は素直に従った。

 今まで枕に包まれていた左耳が外気に触れ、期待からか感度が高くなっている気がする。

「蒸しタオルで揉んでいきますね。熱すぎたり、ぬるかったりしたら遠慮なくおっしゃってください」

 もわり、左耳にも温かい感覚。

 血行はたちまちよくなり、揉まれなぞられ擦られることで次々と快感が溢れる。

 早く、もっと……! 焦燥感が急かし、俺を突き動かす。

 俺はこの先の快感を知っている!


 それでは……ともったいつけてから、柊は竹の耳かき棒を手にした。

 ぞり、がりがり、ずぞぞ、から、から、じー、ざぁ、じゃっこ。

 言葉では表現できそうにない音と感覚。全身を震わせるような快感。

「お客様は綺麗なお耳をしていらっしゃいますね」

「気にしたことはないが……」

 耳かきがここまで気持ちいいものだとは思いもしなかった。

 これが膝枕だったなら……と夢想し、そういう店ではない、と考えを追いやった。

 耳かき棒は金属に代わる。ぞぞぞっと独特の感覚が耳を襲う。竹の耳かき棒と違い、バネのような見た目をしているそれは、外見同様普通の耳かきとは一味違う。

 ごりごりと、軟骨にぶつかる音がする。ぶちぶちと、産毛が抜ける感覚がある。

 頭の力が抜ける。瞼は徐々に重くなり、意識に黒い紗がかかる。

「おやすみなさい。いつまでも」

 そこで俺の意識は完全に途切れていた。


*********


 ――身体の自由が効かない。

 どういうことだ。俺は今、何をしている?

 あの豪勢な玄関ロビーに、執事のように真っ直ぐ立っている。

 赤い絨毯。天井のシャンデリア。壁の宗教画。

 首さえも動かせない。

 ぎいと重苦しい扉が開き、おどおどとした様子で、顔も名も知らぬ若者が姿を現した。

 ああ、あの時の俺と同じだ。

 俺の口は勝手に言葉を紡ぐ。俺の意思など欠片も混じっていない、平坦な声で……。

「いらっしゃいませ。こちらはお客様にリラックスしていただくための店となっております。コースはいかがなさいますか?」

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