9 お一人様は秘密を知る
「大神官さま〜あ!」
私はカルーア大神官様の部屋に駆け込んだ。
部屋にはテリー様も残っておられてお茶を飲んでいた。
「マール!どうしたのですか?」
「わ、私の瞳、どうなってます?」
「……デュラン様に何か不埒な事をされたということですか?」
カルーア様の目がギラっと光った。
そこへルクスを抱いたデュラン様が呑気に戻ってきた。
「マール、急に駆け出してどうした。雨に濡れた石畳は滑ると危ないだろう?おや、ミトはどうした?」
「ミト殿は今コリンが各所に挨拶周りに連れていってます。で、巫女を危ない目に合わせたのはデュラン様では?先ほどの急な豪雨といい……」
テリー様が立ち上がり、デュラン様を睨みつけた。こ、怖い!
「私がキチンと告白し、求婚したから動揺したということだろう?」
デュラン様が横に首を傾げる。
「マール、ちゃんと説明してごらん。瞳がなぜ気になるのかな?」
「か、デュラン様と、気がついたら、キスしてしまってて……」
「「キス???」」
神殿ツートップがデュラン様を睨んだ。
「キスっていっても可愛いキスだぞ?エグくないやつ。さすがに神殿の巫女に神殿でエロいこと仕掛けるほど私もバカじゃない」
デュラン様が不機嫌そうに言い放つ。
「あれ、可愛いキスだったんだ……私のファーストキス ……」
私はへなへなとしゃがみこんだ。あれでかわいいのか?かわいくないキスってどういうキス?
「で、瞳!」
「マールの瞳は美しく清冽な銀のままですよ。安心しなさい。キスで瞳の色は変わりません」
カルーア様が明言してくださった。
「よ、良かった……」
姉妹二人続けて任期勤め上げられなかったりしたら、醜聞中の醜聞。この世界で生きていけないよ。
「キスごときで純潔損なうわけないだろ?それに俺が好きな女を外でバタバタと奪う男だと思ってるのか?」
「ふあ?」
カルーア様がため息をついた。
「デュラン様。マールはまだあと三年ここで聖職を担うのです。今からキスなどしたら、あなた様我慢できなさるのか?」
「おいおい人を猿みたいに言うな……先ほどまでと態度が違うぞ?サジークの要人に対してもう少し言動に気をつけたほうがいいんじゃないのか?」
「我々の主人はあくまで巫女。巫女の貞節を守るためならば、あなた様であっても容赦いたしません!」
テリー様が言い切った!かっこいい!
私はカルーア様の机の手鏡を覗き込み、ホッとする。
「おい、マール!そこまで銀にこだわられるとちょっと傷つくぞ?俺のものになったら金になるんだ。ちゃんと受け入れろ!」
俺のものになったらって……何てことおっしゃる……いつの間にか「私」じゃなくて「俺」になってるし。
……でもあれ?……嫌な……違和感……
「何で……金目になるのですか?」
「巫女の瞳は純潔を捧げた男の色に染まると決まっているだろう?過去の文献に記されている」
「え……?」
私はゆっくりと大神官様のお顔を見た。一瞬顔を歪められ、目を閉じられて天井を向いた。慌ててテリー様を見ると、はあとため息をつき、俯かれた。
「つまり……デュラン様のおっしゃることが、正しい……のですね」
「……そうだよ。マール」
カルーア様が諦めたように呟いた。
……姉の瞳は銀から黒になった。私はてっきり母の遺伝だと思っていた。
ラファエル殿下の瞳は、私の恋したブルー。
……あの女!何てことをしてくれたの!
「姉は……王家を欺いて、ラファエル殿下と結婚したのですね」
ラファエル殿下よりも前に誰かと関係を持っていたのだ!黒い瞳の誰かと!
情けない!情けない!情けない!
またしても、涙が溢れる。
「王家を欺いたなどと言うでない。実際ラファエル殿下も心当たりがあったから、責任を取られたのだ」
「先代巫女はマールと同じくここで暮らしていたのです。この神殿で起きた不祥事。相手はこの神殿に出入りできた誰か。我々にも責任はあるのです」
カルーア様とテリー様の言葉が耳を滑る。だってどう考えても姉がバカなせいだもの。
巫女という立場を軽んじ、騙しおおせると周囲を軽んじ、王家を軽んじた。
姉は優しい人だった。優しいから言い寄られて肌を許したの?結局自分に一番優しい人間だったのだ。
「私は案外どっちもどっちだと思うぞ?ラファエル王太子は国外に出た時は喜んでその手の接待を受けている。お互い純愛のフリして酔ってるんだろう。お似合いな夫婦だ。まあ、黒眼の子どもがポラリア王家に生まれなくて良かったな」
デュラン様が、知っている事実を淡々と教えてくれる。
両親はこの事実、知っているのだろうか?純潔を破ると銀眼でなくなることは当主だけが口頭で伝承してきたと言っていた。
「ルビー様の前の巫女様とは60年間が空いておるし、以前の巫女様がたは当然勤め上げたのちに結婚し、瞳が変わって、幸せな人生を送っていらっしゃる。婚前交渉など大胆なことをした事例はないからね……当たり前のことすぎてバニスターには記録がないのかもしれない」
テリー様が気の毒そうに言いそえる。
そうだ、記録にあれば、兄が気がついたはず。色の秘密までは伝わらなかったのだ。
姉は、家族をも騙した。
しかし無知こそ罪だ。バニスターの罪だ。
「申し訳、ありません!!」
私は迷わず土下座した。たかだか姉の分際で、バニスター伯爵家の分際で、王家と神殿を翻弄した!床にパタパタと涙が落ちる。悔しすぎて苦しい!
どうすればいい?どうすればいいの?
「巫女!」
慌ててテリー様が駆け寄り私を起こす。
カルーア様が高い席から立ち上がり、私の目の前に来て私の顔を両手で挟む。
「マール。神はこれまでのマールの忠義をいたくお気に召しています。もしマールに罪があれば、とっくに天罰が下り追い出されています。ここはそういう、罪人には厳しい場所です。マールにはこの件は何ら罪はない。いいですね」
有り難いカルーア大神官様の言葉ではあったけれど、到底頷くことなどできなかった。
「……どうして、どうしてただ一人と決めた人とだけ、愛して生きていくことができないのだろう」
ぼんやりと呟く。そんなに難しいことなんだろうか?
裏切ってばかり。
「やっぱり一人の方が……生きていきやすそうね」
そうよ、だから前世も一人だったの。そして今世、お一人様の為のアパートを立てた。
一人で、快適に、たまにローズとお茶を飲む老後を……私は理想としているのよ……。
床に座り込んで放心していた私を、ふいにデュラン様が掬い上げ、私を抱いたままイスに座った。ルクスは大神官様が愛しげに抱きしめていた。
「確かに一人で生きる方が簡単だろうな。でも私はマールと生きたい」
デュラン様が私のボヤけた視界に入り込む。
「私はマール一人としか愛し合わないと、この神殿で誓おう」
「……そんな、面倒なことしないでいいわ」
「好きな女のためなら何でもするよ。とはいえ実は大したことじゃない。トリアは一途な家系でね。好きな女を手に入れたら余所見など面倒くさいことはしない。そのかわり鬱陶しいほど執着するから覚悟して」
「これは厄介な相手に求愛されましたなあ」
場を和ませるためのカルーア様の言葉にも、付き合うことができない。
「まあ、簡単ではないのは覚悟していた。マールはなかなか頑固で複雑で、だから可愛い。今日は決意表明だ。これからマールが私の気持ちを疑いようがないように、言葉で行動で都度都度示していくとしよう」
デュラン様は私の手を取り、己の嵌めた指輪にチュッと音を立ててキスをした。私は驚いて意識を殿下に向けた。
「マール、俺の愛は重いから覚悟してね。……それにしても、黒か……」
◇◇◇
私の返事を聞かぬまま、デュラン様は帰られた。ルクスはたくさんの母国からのお土産にご機嫌だ。
私への姉の置き土産はあまりに重く、大きなプレッシャーとなり、その日も国は土砂降りだった。