5 お一人様は母と会う
「お兄様、お待たせ……お母様?」
今日は兄との定例の打ち合わせ面談だった訳だけれど、母がいた。珍しい。
「マール、元気そうね」
「お母様、お久しぶりです。お母様こそお元気そうで何よりです」
そう言いつつ、兄を見る。
「いや、久しぶりにマールに会いたいから連れていってくれって言われてさ」
「そうですか……」
私はとりあえず、三人分のお茶を用意する。多分母は飲まないけれど。母は自宅の決まった器で決まったお茶しか飲まない。ちょっとした潔癖症で、本当はお気に入りの水色のドレスでこの神殿の古ぼけたソファーに座るのもイヤなはずだ。
とはいえ、ここは一応国で一番清らかな場所ってことになっているのだ。それを口に出さないくらいの常識は持ってるだろう。本当に何をしに来たのかしら。
物心ついたときから母はすでに姉に傾倒していた。やがて神殿に入る自分によく似た娘が不憫で、構いたくてしょうがなかったのだろう。
父は不在がち、兄は四つ上で男。すでに進路も興味も違う世界に羽ばたいていた。物質的に困ったことはないけれど、私は毎日使用人の立ち話を聞きながら、一人で食卓についていた。
私は兄からアパートの完成具合や、業者への支払い状況の説明を受ける。
「ナターシャさんがさ、カーテンのグレーの配分が今一つしっくりこないから見てくれってデッサン持たせられた」
「まあ!……なーるほど、A案かB案か……素人の私から見たらどっちも素敵だけれどなあ」
「私もそう思うんだ。ナターシャさんもどっちも好きで決められないってところじゃないか?」
「生地に余裕があればどっちも作ってくださいって言って。別に全室同じじゃなくてもいいの。コンセプトが同じなら」
「わかった。……はあ、もうナターシャさん、マールと面会解禁したらどうだ?俺どうも苦手でさ」
兄の言葉に苦笑する。ナターシャはローズに紹介してもらったドレスデザイナーだ。そのセンスの良さに惚れ込んで、頭を下げて、カーテンや壁紙のデザイン、部屋に合った絵画の買い付けをお願いしている。前世でいうインテリアコーディネーターになってもらったのだ。
発想は豊かだし、芸術家らしい頑固なところもあるけれど、予算内に抑えてくれるし、これまでの部屋の評判もいいし、私にとっては女神のような存在だ!……男だけど。
そう、ナターシャは前世風に言えばオネエなのだ。ただ、この世界にオネエの概念も許される雰囲気もない。随分生きづらい世の中だと思う。
だから最初に会ったときに、華やかな色目の服を着るのも、髪を伸ばすのも、言葉がオネエなのもインテリアコーディネーターだからだ!という設定にしたらどうでしょう?と提案したら、泣いて抱きしめられた。二の腕の筋肉は男そのもので、私の背中がミシッと鳴った。
彼女?のキャラクター込みでインテリアコーディネーターナターシャは、神殿の巫女のお墨付きである。と宣伝していい許可を出している。
「そうね。ナターシャを面会許可しておきます。お兄様、疲れさせてごめんなさい」
「いや、いいんだ。ナターシャさんがいい人で、仕事も出来るってことはわかってるんだがな……だがな……」
兄がぽりぽりと頭をかいた。私はクスクス笑った。兄とナターシャ、案外気が合ってるようだ。
「ちょっといいかしら?」
唐突に母が口を開いた。私も兄も図面から顔を離し姿勢を正す。
「そんな訳がわからない男性を面会許可するのに、どうして妃殿下とは会ってあげないの?」
「え?」
「マール、あなたは巫女です。巫女らしく慈悲の心をもっていい加減怒りの矛先を収めなさい。妃殿下がどれだけ泣いていると思ってるの?」
何と……姉と会え!と言うために母はやってきたのか。
チラリと見ると、兄は頭を抱えている。兄も聞かされてなかったらしい。
「……お母様は私が何故妃殿下と会わないと思っておられるの?」
「ルビーが……殿下と恋仲になったことを怒っているから会わないのでしょう?でもあれから7年も経ったのよ?いい加減許してあげなさい」
……母は何にもわかっていなかった。
「お母様、私はその件に怒ってもいませんし、許せと言うなら許しますよ」
「まあ!ルビーがどれほど喜ぶか!じゃあ早速会う予定を立てましょう!」
「お待ちください。私は妃殿下と会うつもりはありません」
「許すと言ったではないの!」
「許しても会いたくありません。好きじゃない人と会うのは苦痛です。許すのと好き嫌いは別でしょう?」
「あなた……血を分けた姉を嫌いだと言うの!っ何て恐ろしい。こんな非情な子に育ってしまうなんて!」
私の中のマールの……これまでの我慢が、一気に溢れる。
「妹が愛している婚約者とこっそり逢瀬を重ねて、そんな仕草を露ほども見せないで可哀想な子と嘲笑ってる人間をどうして好きになれるの?」
「ルビーは嘲笑ったりしないわ!」
「普通は妹が嫌がることは我慢するものでしょう?」
「恋慕が過ぎてどうしようもなかったのでしょう」
「つまりお母様的には私の気持ちなど可愛い姉の恋心を前にすれば考慮することはないってことですよね?」
「ルビーはあなたへの思いと恋の間で板挟みになったのよ」
「それ、前の世界では悲劇のヒロイン症候群って言うんです」
「悲劇……何ですって?」
「お母様の言うように板挟みになっていたのであれば、解決策を探せば良かったのです。妃殿下の巫女期間はあとたった四年だったのだから。私を説得して王太子殿下との婚約を解消し、四年後、巫女を勤め上げたあと殿下と結婚しても良かったでしょう?」
「あ、あなたは冷静で、恋をしたことがないから、そんなことが言えるのよ。あなたに無言で責められて、ルビーは本当に可哀想……」
ハハッとつい笑いが漏れる。私、殿下を愛してたって言ったよね?都合の悪いことは何一つ母の耳には残らない。
「お母様、お姉様は愛する王子様と結婚して幸せなんですよ?なぜわからないの?それではお母様、私は可哀想じゃないのですか?」
「え?」
「愛してた人を寝取られたのも、婚約破棄されたのも、お妃教育を六年もの間我慢してきたのにフイにされて、唐突に巫女にさせられて、勤め終わった時は年増になる運命の私は可哀想ではないのですか?」
「も、もちろん可哀想よ!」
「ではなぜ可哀想な私が会いたくないと言っているのに、無理矢理会わせようとするの?」
「だってそれは……」
「なぜか教えてあげます。お母様にとって、一番好きなのは嫡男であるお兄様。二番目は自分にそっくりな美しいお姉様。巫女になる運命のお姉様をお兄様が一人で支えるのは大変だから……もう一人産んでおきましょうか?と言って生まれたのが私。どうでもいい私の気持ちなどどうでもいいからです」
「マール!」
「伯爵家の使用人の間では有名な話ですよ。お母様にだって好き嫌いがある。私にもあります。嫌いな人に会いたくない。会ったらツラくて吐いてしまいそうだから会いたくない。その私の気持ちくらい尊重してください。私のことを姉の100分の1でも好きならば!」
「あ……ああ」
「それとも兄と姉のスペアはスペアらしく、お母様の言う通りにしていなさいって怒りますか?」
「マール……そんな……」
「それと、私の商売仲間を侮辱するならば、私はバニスターと縁を切りますわ。彼らとの信頼関係と友情がなければ、お母様やお姉様と違って不出来でひとりぼっちの私は、巫女引退後生きていけませんもの」
兄が私の横に来て肩を掴む。
「マール、もういい。止めろ!」
「お兄様の大事な優しいお母様をいじめてごめんなさい?」
「バカ!誰より泣きそうな顔して何言ってんだ!!!」
私はスッと立つことで兄の手を外し、ドアに向かった。兄が声をかけ引き止めた。
「マール……お前の一番好きな人は誰だ?」
「……運命のあの日までは、一番がラファエル殿下、二番がお姉様……でしたわね」
「……ははっ、何だ、私は入っていないのか?」
「お兄様の一番は、ユリエお義姉様、二番はポールとマックでしょう」
「そうだな……間違いない」
「私はどこにも必要ないのです。だからここで誰に惜しまれることもなく世俗から投げ込まれて巫女をしているの。では、神に祈る時間ですの。ご機嫌よう」
◇◇◇
「ここまでマールを……追い詰めていたんだな……当たり前か、バカは私だ…………」
母の『違う違う』と言いながらの泣き声がウンザリで耳を塞いで部屋を出たので、兄のつぶやきは聞き取れなかった。
私は早足で部屋に戻り、ベッドにしがみつき、とうとう泣いた。あの日以来初めての涙。ルクスよりも泣いてしまった。
あれから充分な時間も経ち、今更な話なのに、惨めで惨めでたまらなかった。
初めて夕方の務めをすっぽかした。でもコリンからも誰からも怒られなかった。
たくさんの皆様にお読みいただき嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。