45 お一人様は母になる
季節は初夏となり、お勤めを済ませ帰宅した私は、ミトと双子とともにナターシャがくれた端切れをチクチクと縫っている。来月大神殿に行くまでに、出来るだけたくさんの子ども服を作っておきたい。双子もミトも進んで協力してくれる。もうすぐトリアの留学生もやってくるし、忙しいったりゃありゃしない!
「ミコ、縫い目ちょっと曲がっちゃった。ダメかな?」
「えー? このくらい誤差誤差! ありがとう。ケン」
「小さい子たち、喜んでくれるかなあ」
「もちろんよ! 神官のお兄さんお姉さんの手作りの服を着られる子どもなんて、そういないわよ?」
「それを言うならば、巫女様お手製の服を着れることこそ、贅沢と思います……」
ミトも最近は会話に自分から入ってくるようになった。ゆっくりと傷が癒えているようだ。よかった。
私はマイとニコッと笑いあった。私たちは、夏にぴったりの白地に細かな黄緑のギンガムチェック柄の薄い綿のワンピースを初下ろししたのだ。二人で仲良く分担して作った。庶民そのもののワンピースだけれど、庶民だからこそ親子でお揃いコーデなんてマネができる。幸せ以外何物でもない。
「今度はミト先生もお揃いしようね!」
「え!そんな恐れ多い……」
マイの誘いに驚きながらも、恥ずかしそうに俯くミト。満更でもない様子。次回は参加決定ね。
急にドアが慌ただしくノックされた。ミトが表情を引き締め一気に警戒し、覗き窓を見て、静かに開ける。
執事、熟女?オネエカルメンだった。
「どうしたのカルメン?慌てちゃって?」
カルメンの鼻息があらい!顎ひげが早くも青い!
「ま、マールちゃん!お、落ち着いて聞くのよ?帰って、帰ってきたわ!」
「ん?っていうか、カルメンが落ち着いて?」
「落ち着いてなんていられるかっての!帰ってきたの!あんたの旦那!死んでなかったのよ!戦争で気の毒なほど怪我を負ってるけど……生き延びて、元気になるまで隣国に隠れてたって!ようやく船に乗れたんだって!玄関に、来てるううううう……」
カルメンが野太い声で号泣し、板の間の廊下に響き渡る。
私はミトと顔を見合わせる。どういうこと?旦那?何それ?
巫女である私の背景を隠すために、未亡人設定を周囲に十分に浸透させてるのはこの私だけど……。だった今勝手な新設定が盛られてたよ?
私はカルーア様を見る。カルーア様はリッカを抱きしめ、しっかりした表情で小さく頷く。
ミトを従え、警戒しながら玄関に赴く。ケンはコリンを呼びに走り、マイも後ろからついてくる。
そっと玄関を開けた。
◇◇◇
その人は夕陽を眺めて、佇んでいた。簡素なグレーの庶民の服を来て、小さな子どもを片手で抱いている。
こちらの物音を聞き、ゆっくりと振り向く。
「あ……」
短い顎ひげは黒いのに、何故か髪の毛はその子どもと同じ栗色。日焼けした顔や腕にはザクザクと刃物や鞭で打たれたようなキズが白く浮き上がり……瞳は……黄金。
息ができない。
「よう、奥さん。戻るの遅くなってすまん。心配かけたな?」
男は右の口の端をクイっと上げた。
ミトが悲鳴をあげて足元に崩れ落ちて、声を殺して泣き出した。
でも、私には一体何が起きてるか……脳の処理が追いつかない……いったい……だって……
「ルクス、ほら、お前の母ちゃんの『みこ』だ。ずっと会いたかっただろう?」
「ミコ?おかあちゃま?」
キラキラと輝く星の浮かんだ、美しい黒い、丸い瞳……面影がそこかしこ……
「うそよ……騙されないわ……」
愛しき我が子……身体が勝手に震え出す。こんなにハキハキと話すようになったの?
ダメだ。もしこれが、幻だったら、もう私の心は耐えられない。胸を押さえ、一歩後ずさる。
「「ルクスーーーー!!!!」」
臆病な私を置き去りにして、ケンとマイが後ろから飛び出す!男の腕から子どもを奪い、両端から抱きしめワンワンと泣く。
「ルクスだ!マイ!ルクスだ!」
「ルクスぅ!ルクスぅ!取り返してくれたのねえー!うわああああー!」
男の子はオロオロと助けを求める。
「お、おとうちゃま?」
男は優しく微笑み、身体をかがめて、そっと教える。
「ルクス、お前のにいちゃんとねえちゃんだ。いつも話してただろ?ルクスは一人じゃないって」
男の子の顔が、ぱああっと喜びで輝いた。
「うわあああ、ぼくにおにいちゃんとおねえちゃん、ほんとにいたんだ〜!」
「「ルークースーー!!もう、もう会えないかと……うわーんあんあん……」」
その様子を見守ったあと、身軽になった彼が、一歩一歩近づいてくる。もう目の前……。
ああ……憧れ続けた……あなたの瞳。再び見ることができるなんて……
これが残酷な嘘ならば、私は心臓が止まって死んでしまう。
いつのまにか、涙が溢れる。
いえ、再び会えるのならば、もう嘘でもなんでも構わない。
お願い。誰かこの瞬間を、止めて?
消えてしまわないように、そっとささやく。
「ありがとう……ルクスを、守ってくれて」
「マールの望みだからな。約束しただろ?」
約束したときは、それがどれだけ危険で困難なことか、私はわかっていなかった。
とりあえず、身内以外の人の目もある。私は子持ちの未亡人。設定通りに返事を……。
涙を堪えて、私も口角を上げて、言ってみる。
「おかえりなさい……旦那様」
デュラン様はその痩せ細った身体で、私を壊れもののように包み込んだ。頭の上に言葉が落ちる。
「ただいま。奥さん」
デュラン様は急に腕に力を入れギュッと抱きしめて、以前のように私の涙を唇で吸い取り、私の手を持ち上げて、己の指輪にキスをした。
「俺はお前のものだよ……昔も今もこれからも。たった一人、マールだけだ」
懐かしい声が心に染みる。力が抜ける。
「ああ……」
心の枷が外れ、デュラン様にしがみつこうとしたら、私の足がしがみつかれた。
見下ろすと、つぶらな大きな黒眼。
「おかあ……ちゃま?」
ますます涙が溢れる……もちろん子ども優先だ。
私はしゃがんでルクスを抱きしめる。
「そーだよ。うううっ……ルクスのおかあちゃまだよ!ルクスのことがだーい好きな、ルクスのみこだよ!」
「おかあちゃまで、ミコ?ミコ?みこ……うえええええん!!」
いつものようにルクスの大粒の涙で肩が濡れる。しっかりした足で立って、瞳には知性が煌めいて……こんなに、大きくなって……でも泣き顔は赤ちゃんのころのままなのね……。
私の……宝物。
「っ!ルクス!!」
「「「ミコー!!!」」」
ケンとマイもルクスの上からおおいかぶさってきて、私は地面に仰向けに倒された。胸に乗って泣きじゃくる三人を抱きしめながら見上げると、デュラン様が傷だらけの顔で笑っていらした。
いったいどれだけの苦労を乗り越えて、ここにたどりついたの?
でも、帰ってきてくれた。
ずっと『ただあなたのために、祈る』、そう、一人でそっと祈ってきたの。
あなたとルクスに一目でいいから、会いたい、と。
神よ……感謝いたします……。
「おい、お前ら、そろそろ起きろ!」
デュラン様のひと声で、子どもたちが鼻をすすりながら私から降りた。
ルクスはマイが大事そうに抱いている。
私は一瞬で、デュラン様に抱き上げられた。
「きゃっ!何?」
デュラン様の首にしがみついて高い位置から周りを見ると、住人やらオネエやらご近所さんやらギャラリーが増えていて、ミトの肩を抱くコリンも、リッカを抱いたカルーア様も笑いながら……泣いていた。
「新居には花嫁を抱いて、玄関をくぐるもんだろ?」
「は、花嫁?今さらそんな歳でもないよ……」
私は既に28。この世界で盛大な行き遅れだ。恥ずかしい。
「歳なんか関係ない。マールはオレだけの花嫁だろう?」
息を呑んで……私は静かに頷いた。伝えられる時に伝えなければ後悔すると知っているから。
デュラン様が満足そうに、頬にキスをした。
「で、でも私、バケモノって言われてるんだけど?」
私はかなり非常識な存在になってしまった。どこまでデュラン様がご存じかわからないけれど、幻滅される前に、伝えておかなければ。
俯く私の顎を持ち上げ、強引に目を合わせられる。
「そんな言葉で、俺が怯むと思ってんの?」
続く言葉に身構えて、唇を噛みしめる。
「俺たちは、本物のバケモノを知ってるだろ……子どもを鞭打ち奴隷にし、弱きを食いものにするバケモノを。マール。お前はその真逆だ」
デュラン様の言葉が……目が覚めて以来ヒソヒソと受けてきた中傷を、優しく洗い流す。聖なる泉につかったときと同じ……
私はあなたにだけは、誤解されたくなかったのだ……と気がついた。ますます涙が溢れる。
とうとう制御不能な私のせいで、雨がパラパラと落ちてきた。美しい夕焼け空だというのに。
こういう時の言葉、前世でなんだったか……ああ、『狐の嫁入り』だった。
デュラン様が私の耳に口を寄せ、
「もう二度と、離さないから。俺の愛は相変わらず重いぞ?覚悟しとけ」
私は抱かれたまま、自慢の我が家に入った。
あっという間に敬愛するカルーア様によって、結婚が整った。
◇◇◇
翌朝、私の瞳は色を変えていた。
昨日までより、世界がキラキラと輝いて見えた。




