44 お一人様は還俗する
「急げ〜!」
「ケンがいつまでも食べてるからっ!」
地味な、茶色い外壁のアパートの玄関に元気な子供の声が響き渡る。建物入り口の金髪巻き髪に蝶ネクタイドレス姿の執事オネエのカルメンさんも、腰に使いこんだ剣を装備している外門の守衛のムルジじいもニコニコと手を振り見送る。
「ミコ〜!行ってきまーす!」
「みこ〜今日のお弁当なに〜!」
「カラアゲだよ〜しっかり勉強しておいで〜!いってらっしゃーい!」
「「行ってきまーす!!」」
マイの美しい腰まである金髪は、私が二本の三つ編みに結い、ピンクのリボンで結んでいる。そのマイよりも頭半分大きくなったケンは学校で何か言われたらしく、耳が見えるまでざっくりコリンに切ってもらっていた。30cm以上あった美しい金髪は、当然ナターシャが買い取った。ケンは将来そのお金で馬を買って冒険するらしい。冒険者で神官、カッコいいな!
二人とも私の編んだセーターに綿の洗濯しやすいパンツを履き、大きな茶色のカバンを肩に斜めがけして、美しい春の花が沿道に咲き誇る間を、美しいフォームで入学を果たした学校に走っていく。
その後ろ、少し距離をとって、二人の姉ミトがついていく。うちの双子は12歳になり、相当な手練れに成長したけれど、多勢の大人に襲われたら一溜りもないから。
ミトに手を振ると、私に向かって振り返し、そっと消えた。
◇◇◇
私は王太子の襲撃?を受けたあと、着々と準備を進め、年が明けて春、還俗を果たした。
とはいえ、ちょいちょいホームである大神殿に帰っているし、ケンマイに、コリンとミトを引き連れての引越、まーったく寂しくない。不安な点はまだ万全と言えない体調と、身バレしないかどうかだ。
ナターシャが整えてくれた私のアパートは素晴らしかった。外見は人に興味を惹かれぬように、あっさりしたただの茶色いハコ。しかし、厳しい守衛のチェックを潜り抜け、ひとたび玄関をくぐれば、落ち着いた濃い茶のオイルオークが敷き詰められた、広いエントランス。クリーム色の壁には、ナターシャの描いてくれた絵を飾った。ナターシャはおそらく画家としても大成するだろう。テーブルセットもあり ちょっとしたサロンになり、入居者同士でお茶もできる。
そして廊下の先は入居者のスペース。
二階の三部屋は、ローズとリッカの部屋と、ナターシャが発掘してくれた、この街での後ろ盾となるここパニーノの商工会会長夫妻と……王妃様の隠れ家。
王妃様はこのアパートの話が耳に入るや否や、兄を呼びつけて多額の出資をしてくださって、ほっと一人で休める場所にしたいと、楽しげにナターシャにあれこれインテリアを注文したらしい。
しかし、一度もお見えにならない。息子であるラファエルのおこした事件に、憔悴し、私に合わせる顔などない、と。
私は王妃様とラファエルを重ねたりはしないのに。王妃様には本当にゆっくり休んでいただきたいのに……。気にせずおいでなさいませ、と兄に伝言を頼んでいる。
一階は、私たちの部屋、コリンとミトの部屋、そしてもう一部屋はトリアの部屋。
このアパートはデュラン様の資金で建てたもの。何か恩返ししたくて、トリアの留学生を無償で預かることにした。
トリアの解放はポラリアのそれよりは早かったけれど、その前の痛め付けられ方が違いすぎて、なかなか元の生活水準に戻れずにいるらしい。
家族持ち用の間取りを少し変更して、中に個室を4部屋設えた。内装はトリアの子たちが気遅れしないようにと、トリアと大陸を行き来し、復興の一助を担っているというやり手の商人が、ナターシャを通してトリア現地のものを寄贈してくれた。素朴でガッチリとした家具はひと目で安物ではないことがわかり、トリアの人も留学や他国との交流に賛成してくれるのだ、と嬉しくなった。
トリア神殿を通じて募集をかけ、夏には早速二人、やってくるらしい。たくさん知識を吸収して、母国に戻ってからトリアとポラリア両国の架け橋になる存在になってほしいと願う。
デュラン様のように。
◇◇
「さあ、マール、私たちもお仕事行こっか」
「ほーい」
コリンは、茶色のポンチョをすっぽり被り、中の白い神官服が見えない格好で、芦毛の馬を引いてきた。似たようなポンチョ姿の私を片手でヒョイっと担いで、そのままヒラリと馬に飛び乗る。
「ねえ、もうそろそろ私も一人で乗りたいんだけど?」
私だって、貴族の嗜みとして乗馬くらい出来るのだ。
「このアパートにもう一頭馬を入れるの?経済的じゃないでしょ?」
私の体調云々ではなく、大家としての経営姿勢を問うコリン。言い返せずすごすごコリンの手綱の中に収まる。
「でもさ、私と二人乗りなんて、奥様が嫌がるんじゃないの?」
神殿を出るその日、コリンとミトは結婚した。テリー大神官様が式を整え、私が祝福を授けた。簡素だけれど、二人を愛する仲間だけが参列した、天窓からいく筋もの陽光が射し込む美しい式だった。
「義母を大事にする夫ってことで、点数上がるだけだよ。そもそもミトは私よりもマールのことが好きなんだから」
私への好きと、夫婦の好きは別物だろうに。それにしても、
「義母って何だ!おい!」
「マールお義母様って呼ぼうか?ニシシ!」
コリン、と言うか大人には私のことをマールと呼んでもらうようにした。マールはさして珍しい名前じゃない。『巫女』は悪目立ちする。子供の呼ぶ『ミコ〜』はニュアンスが違うのか、セカンドネームとでも思われているようだ。
私は悪ノリするコリンの脇腹をギュッとつねる。
「いてーよ、落馬するだろ!」
コリンが眼鏡の奥の銀の眼で私を睨みつける。私も眼鏡越しに睨み返す。ナターシャにもらったいつもの茶色のヅラも、偶然にもコリンの髪とほぼ同じ色。
私たちは、ご近所から仲のいい双子と思われている。ケンとマイがいるから尚更。双子が多い家系なのね〜などと言われる。
その通りだ。私とコリンは同じ血が流れた『魂分』。双子と同等に心が近い。
アパートから30分ほど駆けると白いこじんまりした神殿に到着する。大神殿と違い、街中の神殿は民の冠婚葬祭に特化しているので、賑やかだ。ただ、朝である今はそうでもない。
「おはようございます。マール、コリン」
「おはようございます。ノエル」
ここのパニーノの神殿長ノエルはニコニコふくよかなおばちゃんだ。ノエルと話しながら、応接室で巫女服に着替え祭壇の前に行く。一般に開放する前の時間に、私が1日の祈りを捧げるのだ。還俗した場合は1日一度でいい。
神像の前で私が跪くと、ノエルや他の神官も後ろで跪く。コリンは常に襲撃に備えて立ったまま。
「全知全能たる我が神よ。今日もあなた様の愛し子たる民をお守りください……」
朝日が神殿内にキラキラと注ぎ込む……。
「大神殿の大神官様より文が届いております」
務めを終えて一服していると、手紙を渡される。
テリー様が力強い字で、そろそろ神域の泉につかりなさいバカモノ!と怒っている。
「だから言っただろ?そろそろ禊を行わないと、また体調崩すぞ!」
コリンにコツンと小突かれた。
「うー。ケンマイがせっかく友達できて楽しそうにしてるのを見るとね……」
双子は決して私から離れない。大好きな人が消える恐怖がトラウマになっている。もっともっと愛を注げば癒えるだろうか?
「学校が休みに入ってから、二か月くらい滞在しようと思ってるのよね。ノエル、二か月でうちの双子、中級審査受かるようになると思う?」
双子は今、下級神官だ。
「二か月あればマイは大丈夫でしょうね。でもケンは……飽きっぽいからねえ。いっそ神兵の方に進んだら?」
「飽きっぽいなら神兵も無理だよ。マール、二人を中級にしたいのか?」
ちなみにノエルとコリンの資格は長を任される「特級」。そしてコリンの「魂分」は別格。で、お恥ずかしいが、その上が「巫女」です。
「いえ、二人の将来に口を挟むつもりはないわ。ただ、中級神官位があれば、たいていの祭祀が出来て、世界のどこででも生きていけるでしょう?二か月も大神殿にいるのなら有意義に過ごしてほしいし」
「マールは過保護ねえ」
子育てを終えたノエル母ちゃんがコロコロと笑う。
「まあ、中級の勉強は実社会で役に立つものばかりだ。無駄にならんだろう。でもそんな暇ないかもよ?今、大神殿はサジークから流れ着いた孤児でいっぱいらしい」
「そうなの……」
たくさんの端切れやら、文房具を集めておかなければ。
◇◇◇
「ただいま〜」
と言って、我が家に帰れることが、何と嬉しいことか!門で一回、アパートの玄関で一回、部屋で一回。三回も言える!
私の夢のお城は他と同じく3LK。ドアを開けるとすぐに日当たりの良いリビングがあり、グリーンに金糸で刺繍を施したカーテンが、風を受け、ゆらゆら揺れている。フローリングの床は廊下よりも明るめだ。子どものいる世帯だしね。
「おかえり、マール」
「おかえり〜ミコ!」
カルーア様がゆっくりと窓辺のゆり椅子から立ち上がり、私を出迎える。
私はカルーア様に無理を言って一緒に住んでもらうことにした。私の身体はカルーア様に生かされた。親孝行?御恩返しがしたかった。
「こんな年寄り、足を引っ張るからおやめなさい」
とカルーア様は言ったけど、ケンとマイも食い下がった。
「巫女が泊まりのお勤めのとき、お留守番寂しいよー。それにアパートお化け出るんだぜ?」
「カルーア様、お願い!私、おじいちゃんが欲しいの!」
カルーア様と今は亡き奥様に子はいなかった。グイグイと超美形の孫双子に手を引かれ、苦笑いでアパートに来てくれた。
ケンマイはそれぞれ個室の予定だったけれど、進んで片方の部屋をカルーア様に差し出し、一部屋に相変わらず仲良く寝ている。
そのうち私がリビングに移ればいいや、と思ってる。
「ただいま〜カルーア様!リッカ〜お利口でちたか〜」
私は床でぬいぐるみと遊んでいたリッカを抱き上げ、3歳児のぷくぷくのほっぺにキスをする。
「ミコ!ちゅめたい!」
「ゴメンゴメン。カルーア様、お疲れ様でした」
「いやいや、リッカは今日もお利口だったよ」
私は、リッカを抱いたまま、カルーア様の頰にもただいまのキスをする。
なんと、カルーア様に私たちは子守をさせているのだ。
ローズは早早に職場復帰したいものの、預け先がなく、困り果てていた。そこにカルーア様が手を上げてくれたのだ。
「え……大神官様をベビーシッターって有りなの?」
ローズが固まったけれど、
「リッカと二人、力を合わせて、ママの帰りを待ってるさ。ねえ、リッカ?」
大神官様の清浄な気に、幼子が懐かぬはずがない。リッカはカルーア様に抱かれると、幸せそうに爆睡する。
「うーん、カルーア様がああ言ってるし、いいんじゃない?」
いざという時は執事もメイドも常駐しているのだ。
「この世界で一番神様に近い人を子守……贅沢すぎるよ……リッカ真っ直ぐ育たないわけにはいかなくなったわね……結構なプレッシャー……」
思いがけず、リッカのベビーシッター業は、カルーア様のリハビリにもなった。お天気の良い日はリッカと手を繋ぎ、ゆっくりゆっくり庭を散歩できるまでになり、私はコリンとこっそり泣いた。
やがて、巫女の名付け子で、現代最高の人徳者カルーアに育てられ、母の美貌の全てを受け継いだリッカは、王族からも結婚話が来るようになる……というのは随分先の話。
「ただいま〜リッカぁ!にいちゃん帰ったぞ〜!」
「きゃああああああ!にぃに〜!」
「カルーア様、ただいま帰りました」
「マイ、お帰り」
よかった、今日も二人とも元気に笑って帰ってきてくれた。学校で嫌なこともなかったみたい。心からホッとする。おお!お弁当も空っぽだ!
今日はローズが夜公演なので、リッカはうちにお泊まりだ。
「じゃあ今夜はリッカも食べられる、ホワイトシチューにしまーす!」
「「「わーい!!!」」」
コリンとミトも、夕食に呼ぼうかな?
食後、子どもたちは仲良く本を読んでいる。カルーア様はゆり椅子でうたた寝をしていて、マイがそっと柔らかな毛布を胸元まで引き上げる。
その様子を見ていると、温かな、そしてどこか切ない気持ちが湧き起こる。
とりあえず、未亡人の平民マールさんは、おじいちゃんや兄一家や隣人の助けを借りながら、残された双子を立派に育てるわ。あなた、お月さまから見ておいてね!
なーんて。
薬指の指輪を眺めて、窓の外に浮かぶ、指輪の石によく似た三日月を仰いだ。
ようやく夢のアパートにたどり着きました。
ラスト二日です。是非最後までお付き合いくださいo(^▽^)o




