39 お一人様はアパートの完成を喜ぶ
私の眠っていた二年あまりの話をコリンやテリー様、親しかった神官たちが教えてくれる。
私は部屋で、お勤めの合間にベッドに座ってお聞きする。
「ねえ、きちんと応接室で聞くわよ?」
「巫女、病み上がりの自覚を持ってください。身体を休めつつ、耳を傾けてくださればいいのです」
コリンの話では、依り代に入った『神』の鉄槌により、サジークの王族や政治の中枢で他国への侵略を指導していたものは現場にいた王のみならず本国にいたものも天から降り注いだ雷撃により全滅。チリ一つ残らなかったらしい。他国に侵攻していたサジークの軍隊も、命令で動いていただけの個々の兵が死ぬことはなかったものの、壊滅的な被害を受け、散り散りに逃走した。
「その後、生き残った少数の穏健派の貴族たちが全面降伏を宣言し、これまで搾取した金品や人間を全てそれぞれの国に返却。賠償問題はまだ残っていますが、とりあえず王政を廃止し、新しい国づくりを模索しているところです」
「自分の手で何も生み出さず、他国から奪いとって豪遊していた国でしょう?180度転換し、つましい生活になど慣れるものなの?」
「慣れざるをえません。あの神の裁きを、サジークの民のほとんどは目撃したのです」
そして我がポラリアや、デュラン様のトリアなど、これまで搾取されてきた国々は、早々に解放宣言を出した。
「解放?」
「神の手によって、強制的に戦争は終わったわけですので、勝利宣言もおかしいということになり、その言葉に落ち着いた次第です。いずれの国も全力で復興に取り組んでいる最中。そして、神への感謝と、巫女を犠牲にしたことへの謝罪に、日々各々の国の神殿は賑わっているようです」
「今回これだけ……私が『依り代』として断罪できることが大っぴらになって、しかも生き残った。いざというときはまた神を呼べばいいじゃん?という甘えに繋がらないかしら」
「ありえません。神は、言葉を選ばずに言えば恐怖そのものでした。二度と生きているうちにその姿を見たくないと、誰もが思っております。そして神も、我々に再び巫女を依り代にさせるような事態は許さないと、釘を刺されました」
私は二度と巫女の力を使わずに済むようだ。ホッとした。
「……ルクスは?」
「……骸はありません」
幼いルクスが逃げられるわけがない。
「私が殺したのね……」
そう言いながらも実感が湧かず、涙も出ない。
「巫女ではない。『神』の御業です。巫女にそんな芸当できないでしょうが」
コリンに頭を小突かれた。確かにそんな……まさしく神技、この平凡な私が持っているわけがない。
「後で、奥祭壇で葬儀をしても?」
「恐れながら、神の罪人に葬儀を行うわけにはいきません」
「そうなの……」
あの穢れなき、澄み切った魂そのもののルクスを、見送ることも出来ない……。
フッと力が抜けて、たくさん積んであるクッションに身体が沈みこむ。やはりベッドにいて正解だったのかもしれない。
◇◇◇
「マール!目覚めたか!!!」
大神官室に入ってきた兄は真っ直ぐ私に駆け寄り、ギュッと抱きしめた。兄はさして変わりなかった。
「お兄様、ご心配をおかけしました」
私が腕の中で頭を下げると、兄は屈んで視線を合わせ、首を横に振る。
「何を言う!本来はバニスター当主として、おまえが恙無く過ごせるように、神殿以外に目を光らせ、問題を解消することが役目なのだ。私が力不足なばかりにマールを……」
いや、そんな大役、もう弱小金欠伯爵家になり下がったバニスターには無理だって!私はそれを理解している。
それにしても、その兄の心づもりは……。
「ひょっとして、巫女が本当に『依り代』になり得ることを、伝え聞いていらっしゃった?」
兄は、聖女から脈脈とつながる、バニスターの当主なのだ。
「当主になって、あらゆる我が家の秘密を知ることができるようになり、全てのバニスターの禁書を読んだ。その中に、巫女に上がった娘が『依り代』となり神に召され、嘆く父親の記述があった。世は平和になったのに、娘は帰ってこなかった、と」
もちろん、その巫女も、巫女の家族もバニスター一族だ。
「私は、もう、マールに会えないのかもしれないと……何故バニスターなのかと……恨んだ」
兄の目が潤んでいる。あのとき兄にできたことなどない。ただその気持ちはかなり嬉しい。私はそっと兄の袖を引っ張って、隣に座ってもらった。
「カルーア前大神官様が、私に命を分け与えてくださったのです」
「そうか……そしてコリン神官、君の『魂分け』のおかげでマールが助かったと王太子妃から聞いている。ありがとうございます」
「いえ、私は結局、止める事が出来なかった」
私の背に立つコリンは、私の肩の上の拳を握りこむ。
「それでは聖女の唯一の流れであるバニスター伯爵、巫女の復活を宣言してよろしいですか?」
テリー様が重々しくおっしゃる。兄もバニスター伯爵としての口調に切り替える。
「はい。今この時も、巫女の快復を祈ってくれている人々が世界中にいるのだ。早く発表し、安心してもらいたい。ただし、今後巫女が見せ物にならぬよう、安易に巫女の名を姿を使わぬよう、よろしく申し上げる」
ポラリア王族は姉を通して私が目を覚ましたことを知っているだろう。しかし、神殿が発表してこそアクションが起こせる。テリー様の名で全世界にいっせいに知らされる。
「ところでマール。いつ還俗する?」
兄がニコニコと覗き込む。ポールとマックがワクワクしてマールおばちゃまの来訪を待ってくれてるらしい。
そうか。寝ているあいだに、任期10年は過ぎたんだ。
「恐れながら、我々が口を挟むことは出来ないとわかっておりますが、体調が元に戻るまでは今しばし、神殿に残られませ。あと半年は神域に身をおかねば、巫女の神気が戻りませぬ」
コリンにそう言われて、頷く。ヨボヨボの今の状態ではとても下界で生きていけない。
それに、還俗して、どこに行く?バニスターの領地は、父はともかく母と上手くやっていく自信がない。
王都のバニスター邸は既に兄家族のもの。客ならば歓迎してくれるだろうが、家族として住むとなれば……既に生活の出来上がった家族の中に小姑が突撃するなんて、最悪でしかない。私はユリエお姉様に嫌われたくないのだ。
「そうそう、マールに報告があった。ほら」
兄は唐突に自身の荷物からスケッチブックを取り出した。
そっと開くと、泣いている赤ちゃんの絵で、ページをめくっていくと、その赤子は、表情が生まれ、泣いて、笑って、怒って、座って、泣いて、おもちゃで遊んで、泣いて、立ち上がって、泣いて……生まれた時は産毛でわからなかったけれど、ローズそっくりの真っ黒の直毛の髪にピンクのリボンをつけて、瞳も前世のべっこう飴のような透き通った琥珀色。あどけない表情に、初等教育で出会ったときのローズが蘇る。
「これは……リッカちゃんですか?」
コリンの銀の瞳が温かく光る。
「正解だ。ナターシャが描いて、一冊分溜まると私に預けるのだ。私の家は男だけだろう?アパートに出向いたとき会うんだが、いやーリッカが可愛くて可愛くて!うちの息子たちもメロメロだ。リッカを挟んで三人手を繋ぎ遊ぶ姿は悶絶ものだぞ!」
兄が思い出し笑いする。兄は、ローズ親子と大っぴらに交流を持つことで、庇護してくれているのだ。私との約束を果たしてくれている。
リッカ、六花、私の……名付け子。
最後のページはリッカと相変わらず超絶美人のローズが穏やかな表情で砂場でお城を作っている絵だった。その後ろには、大きな二階だての建物……。
「お兄様、これって」
「マールの最新アパートだ!夏に出来上がり、入居が始まった。もちろん一番乗りはローズとリッカだ。前のアパートからすぐに移った。マールの部屋はちゃんと東の角部屋にある。内装はお前の下絵をもとにナターシャが持てる美意識を全て注ぎ込んだと言ってたぞ?」
私の終の住処となる第二都市パニーノのアパート、出来上がっていたのだ!
「いつでも、マールはそこでの生活をスタートできる。安心しろ。警備はチャールズ少将の選り抜きだ。あの方もリッカにメロメロだからね」
兄がバッグから本格的に資料を取り出す。
「使用人はね……マールが寝てたから神殿で人材が育ってないだろう?困ってたらナターシャがその……仲間を雇ってくれって連れてきてさ……いやそれがすごいんだ。人柄はナターシャのお墨付き。ツライ目に会ってきたらしく働きぶりは真面目そのもの。女装してるけど力仕事出来る。で、女性よりも女性らしいきめ細かな応対……完璧なんだ。オネエさんたち!」
なんと、私の夢のアパートは、ちょっと寝てた間にオネエハウスになっていた……。
「採算は、取れそう?」
「とりあえず、部屋は半分しか埋めていない。コリン神官も入りたいとおっしゃっていたし、私の知らないマールの計画があるかもしれないからね。それでも黒字だよ。ただ配当は出せていないけれど。これまでのマールの方針に従って、今回は戦争で働き手を失った家族から出資者を募った」
「そうですか」
私抜きでも計画が進むこと、建設の工程に立ち会えなかったことに一抹の寂しさを感じるものの、眠っていたのだ、しょうがない。気持ちを切り替える。
「入居者の皆様の反応は?」
「最初はパニーノにあんな大きな無愛想な建物はショッキングだったらしくて、入居者よりも周囲がざわついて面倒だったが、今はもう落ち着いてる。皆、ローズをはじめ喜んでいるよ」
「伯爵!だから私は入居するって言ってるじゃないですか!仮定風に話すの止めて!今すぐ契約して!行き違いで誰か入っちゃったらどーしてくれる!」
コリンが兄にマジギレしてる。そうよ。ミトとわだかまりがなくなったら、一緒に住めばいい……当初の予定どおりに。
ああ、私の居場所が、あった。
「ところで……アレ、出ましたか?」
私はそっと核心を聞く。
「さあ……どうだろうな?」
兄はニヤリと笑った。




