34 お一人様は和解する
「なーんてね。あの頃の私は本気でそう思ってた……とにかく、呆然としているあいだにあの男は去って、私はここに駆け込み泉で身体を清め、『助けてください逃してください二度とあの男に会いたくない!』ってそれまでにない熱心さで祈った。そして、絶対に子どもが出来ないようにお願いした。ヨロヨロと部屋に戻り、ブルブル震えて寝た」
絶対に子どもができないように?……まさかその願いが叶えられて……何の憂いもない王太子殿下との間にも、お子が授からないの?
「すると次の日、ラファエル殿下がお一人で神殿にお越しになったの。私はこの人が私を助けてくれるのだ、神が遣わしてくれたのだ!ここから出してくれるのだと思ってすがったの。ラファエル殿下も不思議なくらいに私を大事にしてくれた。私はこの人の言う通りにすればいいんだ、神のお導きだとホッとして……そして願いが叶い神殿から逃げた」
脱出するためなら手段を選んでいられなかった?何はともあれ、哀れな……。
「お姉様、本当に何と申し上げ……」
「待って!最後まで聞いて?あれから約10年経った。私も少しは大人になったの。どう考えても私はあの時、勇気を出して大声を出すべきだった。それが出来なくとも、襲われてすぐに大神官に訴えなければならなかった。相談しなくちゃいけなかったの。そうすれば、神殿と国が最善を尽くしてくれたでしょう。そもそも私のような小娘に判断できる問題じゃなかった。私は国を救ったつもりだったけど、あの男にとってはただの遊びだった。私が乙女を差し出そうと拒もうと、結局あの男はこの国を攻撃した」
姉は苦しげに目を閉じた。
「そして私はマールとラファエル様、家族と王家、そして神殿を狂わせた。私の浅はかな行動のツケを、マールが払うことになった」
「お姉様……不可抗力です。あの屈強なサジーク王が突然目の前に現れれば、正常な判断などできようがない」
コリンという味方がいても、恐ろしかった。お姉様はひとりぼっちで、世間知らずの箱入り巫女だったのだ。
「でも歳をとり少し賢くなってからも真実を話さなかった。何よりマールの婚約者であるラファエル様とこの神殿で神官の目を盗み、望まれるまま体をつなげたのは私の意思なのよ?純潔でなくなった以上どうでもいいと捨て鉢になってたし、ラファエル様は……お優しかったから私は清められた気さえした。我が身可愛さにマールを裏切ったの。マールと神官に罵られて当然のことをしたの」
捨て鉢……悲しすぎる……。
「あのね、私、マールから、ラファエル様を奪ったって意識なかったの。マールが会ってくれないのが辛くて、その理由は私がマールを傷つけたからだとお兄様に叱責された。ようやく自分が人の心にどれだけ鈍感だったか気付かされた……」
そこまで成長していなかったの?あんなに大人びて見えたのに……
「ふふふ、私はね、愚かにも素敵なラファエル様と大好きなマールと王家で楽しく暮らせると疑わなかったのよ?だって神が祈りに答えて導いてくれた道だもの。でも、全然思うようにならなかった。マールに憎まれた。神殿で止まった時間を一人で過ごす私はあなたよりも幼いままで、恋を知らなかったから」
姉は自分を笑う。痛々しい。
「私ね、私の代わりにマールが入信することになるなんて、思いもよらなかった。この時代は私で終了、次の巫女は私が死んだあと生まれる子だろうなって、勝手に思い込んだ。すぐそこにいる銀眼のマールが利用されることなどちょっと考えればわかることなのに」
お姉様は空を見つめる。
「私の犠牲の上に皆幸せになった、私可哀想でしょ?すごいでしょ?偉いでしょ?って思ってたの。10年たって、ポラリアはさらに苦境に立たされ、神殿もマールを生贄にされそうになって、私の犠牲は結局何の役にも立たなかった……」
頭を振って、私に視線を戻す。
「マール、マールは私よりも賢くて、まともで……だからこそ、神官たちがあなたのために動く。マールがあの男に……酷い目にあわされずにすんで、よかった」
黙って聞いた。12歳、人の心の機微を感じ取る学習機会を得る前に神殿に上がり、よそよそしい神官の中で心が育たなかった……ようだ。
とはいえ神官の中にもきっとコリンみたいな話せばわかる人材がいたはずなのに、歩み寄らず、己の成長を止めたのだ。
説明されても……理解できない部分も多い。お姉様はやはりバカだったことがわかった。
そして、私もバカだ。どこかで姉は小説のヒロインの通りに行動すると思い込み、勝手に軽蔑した。お姉様がそこに至った背景にこんなにも恐ろしい事件があったなんて、あの日まで考えつくこともなかった。
暴行され、心を折られ、正常な判断を出来なかった姉を、どうして責められようか?例え軽率に私の婚約者を奪って逃げたとしても。
あの四阿の光景を思い出せば今でも胸が軋む。だって本当に全力でラファエル様を愛していたのだ。
でも……10年経った。時は薬だ。その間に私には大切なこと、愛する人が少しずつ増えて、そちらに私の心もエネルギーも向いている。すっかり優先順位の低くなったラファエル様と姉の裏切りを今更激しく糾弾するほどの熱などもはや残っていない。怒りはあれど、そんなことに時間を割くのは勿体無いと思う程度だ。
ああ、笑える。姉妹揃ってバカだった。姉は無知で無邪気な鈍感バカ。妹は思い込みで真実にたどり着けないバカ。
さりながら、諸悪の根源はあの男だ。
「お姉様がどうおっしゃろうと、あの男のせいでお姉様は苦しんだのです。あの男さえ来なければお姉様の後悔は発生しなかった。お姉様は一方的に被害者です」
「それでも……ゴメンね、マール」
「……申し訳ありませんが、許しません。ラファエル様を婚約者たる私から寝取ったのは事実。幸せになって私に一生妬まれてください。そして、きっちり未来の王妃として国民のために身を粉にして働いてください。それがどれだけ重責かお分かりでしょう?」
このほうが……悲劇のヒロイン体質のお姉様には、生きていきやすいだろう。
「そう……やはり許してくれないのね……ありがとう」
姉は静かに涙をこぼした。
「巫女様、そろそろ……一旦おやすみに……」
コリンが心配そうに私を覗き込む。
「いや、コリン、肝心なところ教えてもらってないよ?」
「ですが、巫女、あなたはまだ今日は……」
「「ああああ!!!」」
突然、悲鳴とともに純白の神官服を着た若い少年と少女が現れ、私の膝に飛びかかり!泣き出した!
「え……」
「「うわーーーあああああ!!!」」
……ありえないけれど、知っている。そっと柔らかな直毛の長い金髪を撫でる。この泣き声も脳が馴染みだと判断する。
そして、このやんちゃであたたかで、寂しがりやで泣き虫な雰囲気……
両手で二人の頰を撫で、顔を上げさせる。涙でぐっしょりのため、美しい碧い瞳が隠れている。
「ケン?マイ?」
「「巫女様ーーーーああああ!!!」」
「お、お、お、起きたああああ!!!」
二人がどーんと抱きついてきた!背中のコリンが私ごと衝撃を受け止める。
「……こら、巫女様は先程目を覚ましたばかりなんだ。力を緩めろ!」
「だって……ずっと……まってて……」
「巫女様、信じてた……巫女様は、私達を、捨てないって……」
ケン……マイ……
「また勝手に、神域に入り込んじゃって……テリー様に怒られても知らないわよ」
「「うわーん!もういっぱい、おこられたー!!」」
私は二人を抱きしめる。しかし二人に手がぐるっと回らない。
ついこの前までは、二人同時に膝抱っこ出来ていたのに。
私は姉と目を合わせる。
「そうよ、マールが倒れてから今は三年目の秋。あなたは二年半もの長き間、眠っていたの」
「二年半……」
ってことは、この子達は、11歳?もうすぐ12?
「コリン、お預けなんてありえないわ。神殿は、そして国はどうなったの」
コリンがケンとマイに視線を送る。二人はゴシゴシと目元を袖で拭いて、数歩下がって並び、片膝をついた。
コリンが私を膝に横抱きにして腕でしっかり支え、真っ直ぐに、銀の瞳を合わせる。
「あの日、巫女様が首を切られた瞬間、『依り代』である巫女様に……神が入られました」
次回は週末予定です。コリン視点になります。




