33 お一人様は巫女を知る
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『……このように乱れた時代だったからこそ、マールが巫女だったのかしら?』
『何を申す。マールは至って普通の少女だった。マールの努力あったればこそ立派な巫女になったのじゃ』
『そうそう、日々の清らかな祈りのストックが巫女の力となった』
『でも古い魂がもう一つあるわ。だからこそあの強力な御神の降臨にも器が壊れず済んだのよ』
『魂といえば、魂分けを神官が望むなど、初代以来。この信仰が薄まった時代に』
『マールは許可していなくてよ?』
『『魂分』を許可せずとも、あの神官を心底信頼していた故神が許された。そういうこと』
『これからの道のりも楽ではないけれど……魂分けと一緒ならば乗り越えられるかしら?』
『マールと魂分けはもはや一心同体ではあるけれど、この子たちのそれは男女のそれではないわ』
『なんと、幼きこと』
『……違う。互いに尊敬していても、男女の想いは他にあるということ……』
『おや、ようやく満ちたようじゃ』
『マールよ、くれぐれも無理せぬように』
『マール、我らはいつもそなたのために祈っている』
『我らの血をひく優しき妹……』
『我らは当代巫女を誇りに思う……』
鈴の音のような女性の声が、すぐそばで、たくさん、仲良さげに聞こえる。懐かしいバニスター訛り……
ここは一体……夢?
ああ、意識が浮上する…………。
◇◇◇
そっと目を開ける。上から水がザアザアと落ちている。知ってる……ここは滝の前の大岩の台座……神域の泉……
「まあ……マール……目が覚めたのね」
ずっと……聞きたかった声がする。
「お……ねえ……さま……」
声が上手く出ないので眉を潜める。するとちゃぷちゃぷと水音がして、真上に天女のごとき姉の顔が覗き込み、その手が泉の水を掬い、私の口元に差し入れられる。口を開き、コクコクと飲む。
「あー、あー」
「話せるようね。よかった」
そっと姉が私の上体を起こす。私はいつも肘をつき祈っていた台座に、水に顔以外を沈めて横たわっていたようだ。
「いらっしゃい」
姉が声をかけるとじゃぶじゃぶと音がして、男が台座に顔を出した。やつれ果て、ヒゲがボウボウで……でも、
「コリン?」
「巫女様!」
コリンが私に駆け寄り抱きしめる。私の肩にコリンの涙が大量に流れ落ちる。
コリンの熱が私に移り、自分が冷え切っていることを知る。コリンの背中に手を回す。
「コリン、あったかい」
コリンが顔を上げた。コリンの瞳は私の鏡のように銀に光っていた。なんとなく納得した。
「コリン、ありがとう……」
「巫女様……」
コリンは私の額にそっとキスをして、私を壊れ物のように抱き上げ、岸に運んだ。姉も横で寄り添った。
泉の岸にはいつのまにか小さな屋根とその下に一段上がった板の間が出来ていた。そこに運ばれた私は手早く姉に身体を拭かれ、着替えさせられた。コリンがふわふわのクッションを神殿からたくさん持ち込み私をそこに座らせると、上から布団でぐるぐる巻きにして、私の後ろに座り、背中から抱え込む。
コロコロと笑う姉は、私と同じ巫女の装束だった。
「コリンは過保護だこと」
後ろでクスっと笑う音がする。
「巫女、とりあえず私のことは背もたれと思っていて?」
一瞬恥ずかしいと思ったけれど、全身が気だるくて、コリンに頼らなければ指一本動かせない。
姉が湯のみにふうふうと息を吹きかけ、冷ましてから私の口元に寄せる。
「薬湯よ。ゆっくり飲みなさい」
慎重に口に含む。植物の臭みが懐かしい。食道から胃に染み渡っていく。
なんとなく周りを見渡す。楓の大樹が紅葉し、枯葉がカラカラと音を立てて風で飛んでいく。雪はない。
「マール、少しだけ話できる?」
私は静かに頷いた。
「マールはいわゆる病み上がりなの。だからいっぺんに話さないわよ。ゆっくりゆっくり、回復に合わせて教えるわ。でも決して嘘もつかないし隠さない。だってここは神域だもの。当代巫女を騙したら、真っ直ぐバチが当たっちゃうわ」
姉の言葉を聞きながら、最後の記憶を思い出す。布団からモゾモゾと手を出して首に触れる。
傷が……ない。
ああ、でもそれよりも、生き延びたのならば、真っ先にすべきこと。
「お姉様……本当に……申し訳ありませんでした……」
誤解したこと、支えなかったこと、会わなかったこと、全てをただ一心に謝る。
私がゆっくり頭を下げる。コリンも一緒に後ろで下げている。
姉は首をゆっくりと横に振った。
「いいのよ。結局のところ、誰にも言わなかった、隠し通せると思った愚かな私の落ち度なの。とりあえずマール、今は聞き役に徹しなさい。まだしゃべるにも体力がないのよ?」
私がゆっくりと体を起こすとコリンが強制的にぽすんと自分に寄りかからせて、右手で体を支え、左手で肩を揉みニコっと笑った。そんな仕草は昨日のことのような、懐かしいような。
「マール、まずあなたは大怪我を負って、治癒のためにここに運ばれたの。でもここに足を踏み入れられるのは巫女のみ。だからあなたの助けのために、私が呼ばれたの。ああ、あなたの神官は『魂分けの儀』をしているからあなたと同体とみなされるわ」
私はコリンを見上げる。
「巫女様、巫女様に断りもなく、血をもらいうけ儀式をなしたこと、お許しください」
「……私に……忠誠を誓っちゃったってこと?」
「はい」
そこまで……そこまで私を思って、信頼してくれていたとは……
「もう……コリンってば……私たちもケンとマイみたいに……魂を分けあった双子になっちゃったわけだ」
「……ええ、その通りです」
コリンの銀の目尻から、また涙が落ちる。私はそっとそれを袖口で拭ってから、再びゆっくり姉に向き直る。
「巫女はね、常世の穢れを払うことによってその穢れを依り代としてその身に受けている。その穢れをここで禊ぐの。巫女にとってここは零に戻る場所。歴代の巫女の祈りによって強力な守護を発している場所なの。特に泉に祈りが染み込んでいて、大抵の怪我や病気を癒すのよ」
私は小さく頷いた。
「そうは言ったものの、あなたにコリンが付いているとわかってホッとしたわ。物理的にマールを毎日私が抱えて泉に連れて行くなんてできっこないもの。ようやく会えたマールは意識がなかったけれど……コリンや神殿の神官使用人全てに愛されてるとわかって嬉しかった。私の愛するマールは流石だわって。そして少し嫉妬したわね」
姉は口をわざとらしくへの字に曲げた。
「……気になっているでしょうから、ざっと私の話からしておきましょうか。私は巫女当時一言で言えば幼くて、家に帰りたくて仕方なかった。かわいいマールと遊びたい、優しく綺麗なお母様に甘やかしてもらいたいってね。他の初等教育の皆は仲良く高等教育に進み、楽しく過ごせるのに、私ばかり辛気臭い神殿に押し込められてかわいそうって悲劇のヒロインになってた」
12歳の入信。今思えば随分幼い。父には父の想いがあったことを聞いているけれど。侍女を引き連れてとはいえ、家族と離れて一人。寂しくないわけがない。何故私は当時わかってやれなかったのか。
「神官の皆さまも、今思えば、先代のジーン様に仕えた人もいなくて手探りだったんでしょうね。腫れ物を扱うような雰囲気だったわ。私もおじさんばかりの神官に打ち解けることが出来ず、付き人とも信頼関係がうまく築けなかった」
思春期真っ盛りだもの。年上の異性に素直に頼ることなど……そりゃ無理だ。
コリンも私の陰で俯く。
「そうは言ってもお務めは真面目にしていたわ。でも付き人はいつのまにか始終側にいるわけではなくなって、私もそれに慣れていた。そんな時、あの男が奥祭壇に現れたの」
アルス……!!
「あの男は、私の身を差し出さなければ、ポラリアに攻め入ると言った。たった17才の私がどう立ち向かえるというの?誰も助けに来てくれない。国と我が身を天秤にかけられて、拒めるわけがない。私は全てを憎みながら受け入れた。私が身体を許すことで、国を救ってやったの。私は一人でサジーク相手に戦ったのよ」
 




