3 お一人様は赤ちゃんを抱く
特別な行事がなければ、巫女の祈りは朝と夜だけ。掃除や食事の準備は専門の方にお任せ。姉は侍女を伯爵家から三人も連れて入信したけれど、一体何をさせていたんだろう?
なので日中の子供たちの世話はほぼ私の仕事だ。ただ今五人。
最近、0歳児の赤ちゃんが神殿に加わった。神殿の入り口でカゴに入れられ泣いていたらしい。中にあった手紙から名前はルクス、男の子。
私はほぼずっとルクスを抱っこして、他の子供たちに読み書きを教える。首は座っていて助かった。オムツを換えながら、喪女だけれどいろんな世代の子育ての真似事をさせてもらえてありがたいわーなどと思っていた。
「巫女様ー」
私付きの神官がパタパタとやってきた。侍女はなくとも前世の知識もあり自分のことは自分でできる。しかし巫女業務のサポート、連絡係、護衛の意味で若手の神官が一人仕えてくれる。
現在の私付き神官はコリン。代々神官の家系の若手のホープだ。付き合いも二年になり、気心も知れている。茶色の癖っ毛に焦げ茶の瞳。べっ甲の丸めがねのコリンは前世のネコロボに頼りっぱなしの少年に似ていて……同級生ということもあり、とにかく気安い!
「はーい?」
「巫女様に面会者が来ております。巫女様!一緒に遊びすぎ!こら、お前たち泥団子投げるな!ほら巫女様はさっさと着替えてください!」
面会は基本家族のみ。例外はベルローズ様……ローズは初等教育で出会った大切な友達なのだ。子爵だったお父上が事業に失敗し、貴族社会から追放されたけれど、持ち前の負けん気で女優にのし上がったガッツの女。
今日は誰からも事前に連絡は受けていない。
「……どなた?」
「サジーク王の使者、デュラン宰相補佐です」
「え……」
もう一つの例外、権力者。
先の戦争の戦勝国サジーク。敗戦国の我が国はサジークの属国のような立場だ。
デュラン様は、小説では姉を愛し、王太子殿下と取り合いをして……のちに和解して生涯、二人を支える当て馬親友ポジション。
そしてどっか小国の王族って設定だったよね。詳しく書かれていなかったけど、サジークに人質として仕えているってのを読んで、戦国時代か!って突っ込んだ記憶が。
「デュラン様って、サジーク王の側近ってこと?」
「はい。とにかく有能で、宰相実務は実質デュラン様が行ってるらしいです」
神殿の情報網も、案外侮れない。
「……どこの王族だったっけ?」
「南の小国、トリアの王子です。まあかなりサジークの中心に入り込んでしまったので、帰国できるかわかりませんね。使える人材だからこそ、サジークは人質に選んだのでしょうが」
直球で聞いたらそれ以上の返答。コリン、なかなかの情報通だ。
自分が人質になることでサジークの侵攻を食い止めてるってお方ね……とにかく決して疎かにできない相手。
小説メンバーの登場、すっかり油断していた。なぜこのタイミング?何の目的?
「デュラン様は、ここの神殿に信仰が?」
「いえ全く。サジークはサジークで祀っていますので」
「大神官様は何と?」
「お会いしていただきたいと。今大神官様がお相手をしていらっしゃます」
逃げようもない。私は腕の中のルクスをコリンに渡そうとした。すると、
「ぎゃーーーー!!!」
「あらあら」
「おいおいルクス、我慢しなさい。巫女様が好きなのはわかるが……」
「うぎゃーーーー!!!」
火がついたように泣くとはこのこと?
「いいわ。連れて行きます。こんな赤子に無体な真似はなさらないでしょう」
「そうですね。ルクス、頑張れ!」
ルクスが泣いたら、すぐ逃げ出せるかもしれない?などと考えながら、応接室に向かった。
◇◇◇
ルクスを抱いてあやしていたのでコリンが扉を開けてくれた。私は中に身体を滑らせ、中腰になり頭を下げる。
「デュラン様、こちらが我が神殿の巫女、マールです」
大きな一枚板で出来た机の向こうの大神官の椅子から、そのお人柄を表すような、大柄で白髪フサフサのおじいさん、カルーア大神官様が私を紹介してくださったので、さらに頭を深く下げる。するとルクスがぐずりだす。
「頭を上げよ」
低い命令しなれた声がした。ホッとして腰を伸ばし、ルクスをよいしょと抱え直す。
正面を見ると、しなやかな身体をカーキ色の軍服で包み、黒の短い髪に短いあごひげの男が座っており、鋭い金の目でこちらを睨んでいた。後ろに一人同じ軍服を着た男性が立って控えている。
デュラン様はこんな顔だったんだ〜と第三者的に思う。小説にデュラン様の挿絵はなかったのだ。確かルビーの一つ上だったから、現在私の三つ上の26才?敵ながらルビーを一途に愛するデュランは一定のファンがいた。やっぱり姉目当てだろうか?それにしても、サジークは文官も軍服なの?全てにおいて情報が足りない。勉強不足が悔やまれる。
「はじめまして、マールと申します。この神殿にて巫女を務めております……ええーっと、姉ではなくて申し訳ございません?」
「なぜ、お前の姉が関係する。姉はとうに巫女の資格を失って城にいるんだろう?」
「ひっ!」
大神官様が変な声を上げた。
さすがサジーク。全ての事情をご存知の様子。これまで神殿では姉の辞めた理由はタブーだったので変な空気が流れる。
「ま、マールや?どうしてルクスを連れてきた?」
「それが、ルクスが離してくれなくて……眠たいのかな?いいこいいこ」
「ルクス?」
デュラン様が眉間にシワを寄せたので、可愛いルクスの顔をそちらに向ける。こんな可愛い子、早く落ち着いたところに連れて行けって言ってちょうだい!お願い!
なぜか、私の胸をギュッと掴んでいたルクスのカワイイお手手が離れ、ゆっくりデュラン様の方に差し出された。
「あーうー!」
デュラン様が突然立ち上がった!
「ルクス様!!!」
「「え?」」
あっという間にデュラン様は私の横に来て、ルクスを取り上げた。そして上から下までまじまじと見つめる。
「あーあーあー!」
ルクスがデュラン様の金の目を黒いまん丸の目で覗き込み、デュラン様の顔を小さなお手手でペチペチと叩く。
「ルクス王子だ……」
デュラン様は呆然とした表情で、ルクスを抱きしめた。
「あ、あの、デュラン様、ルクスとお知り合いですか?」
大神官様がそっと声をかける。
「……ルクス様はサジーク王の第一子。サジークの王位継承権第一位のルクス王子だ」
バターン!
大神官様がぶっ倒れた。
◇◇◇
デュラン様に言われるまま、応接テーブルにルクス王子を寝かせて服を脱がせる。脇の下の二つ並んだホクロが決め手だったようで、お付きの方と二人ホッとされたようだ。そのあと表も裏もケガがないことを確認してもらったあと、再び服を着せる。
ルクス王子をデュラン様に渡そうとすると、
「いや、巫女が抱いていてくれ。さすがに赤子の世話など慣れていない」
ルクス王子は裸にされたからか機嫌が悪くなり、愚図るので立ち上がってあやす。20分ほど身体を揺らしながら歌を歌うと、ようやく寝た。デュラン様は辛抱強く待っていた。
私はゆっくりとソファーに腰を下ろした。
デュラン様の質問が始まる。
「つまり、ルクス王子は先月27日の朝に、神殿の入り口に置き去りにされていたということでいいね」
私はそっと頷いた。ルクスが起きないように。
「詳しいことは言えないが、ルクス王子は誘拐されていた。もちろんごく一部のものしか知らない。国が転覆する恐れがあるのでね。ルクス王子が入っていたカゴや手紙は残っているのか?」
置いていかれた子供の持ち物は全て取ってある。私は再び頷いて、後ろのコリンを見た。すぐに彼が持ってくるだろう。
「なるほどデュラン様は、ルクス王子を探しにいらしたのですね」
私はホッとしてにっこり笑って、でもルクスとお別れか……と思うとちょっとさみしくなり、ルクスの頭に頬ずりし、すんっと匂いを嗅いだ。赤ちゃんの匂いは大好きだ。
ジッと見られているのに気がついて、焦った。ルクスは未来の超大国の王様だった!
「も、申し訳ございません。なんて不敬な真似を……あ、早くお母様のもと、王妃様のもとに連れていって差し上げてください。王妃様、どれほど心を痛めておいでか……」
「国には先程連絡した。無事で安全を確保されていると。ここにルクス王子を連れてきたのは一緒に連れ去られた乳母だろうが、いい判断だったな。生きていれば褒賞を与えねば……」
ルクスはどれだけ怖い思いをしたのだろう。可哀想に。そっとほっぺたをなぞる。
「巫女、ルクス王子を元気に育ててくれた礼は言う。ただ、ルクス王子は嬉しい偶然で今日ここに来たのは全く別件だ」
私は頭を横に傾げた。
「近年、この神殿に不思議な金の流れがある。貴族の寄進もないのにあらゆる待遇が改善している。我々は属国の宗教が金や力を持つことを良しとしない……巫女、あなたに心当たりがあると思うが?」
監査でした〜!!!