2 お一人様は巫女になる
この世界の宗教は全能神の一神教。国によって様々に形を変えて、それぞれの作法で祈る。
ポラリア大神殿は国中に散らばるポラリア国教の最高機関ではあるが、王都から少し離れた森に立つ、素朴でこじんまりした祈りの場である。
神官が大神官をトップに男性約20名常駐し、下働きの使用人が男女数名ずつ。巫女のいる時代は巫女が最高位に立つ。
形式的には大神官と王は同格。私はその上。恐ろしい。
女性の神官もいるにはいるが、すぐに先輩男性神官にパクッと食べられ……もとい、見初められ、結婚して辞めるパターンが多いとのこと。さすが愛の溢れる神の社。
そして、神殿ならば情けをかけてくれるだろうと思うのか、残念ながら子供がたまに置き去りにされる。大抵病気や先の戦争で親と死別していて、神殿はこれも神の試練、ということで、子供たちを預かり、体調を回復させ、教育を施したあと、どこか奉公先を探すのだ。
私は朝夕、神殿の奥の泉で身を清めたのち、奥祭壇にて祈る。豊穣祭などのイベント日以外はこれで仕事はおしまい。巫女としての作法やルールは一年目でマスターした。お妃教育に比べてなんと楽なことか!
なのでベテラン巫女となった今、日中は子供たちに読み書き計算を教え、貴族社会のマナーを叩き込む。王妃様流のスパルタで!あまりの厳しさに泣く子もいるが、やがて貴族の屋敷に雇われて……丁寧な手紙を送ってきてくれる。「巫女様のお陰で旦那様奥様に可愛がっていただけます。ありがとう」と。
今や神殿印のメイドや執事はステイタスだ。こちらが雇い主を選ぶ立場。書類で契約を交わすと同時に、契約を破ると巫女の天罰が下りますよ?ともれなく脅している。
神殿は本日も平和だ。
◇◇◇
あの騒動から7年の歳月が流れた。
小説とは全く違う時間帯となり、私はようやく死なないで済む未来を受け入れた。
「お兄様、お久しぶりです」
「マール、元気そうだな」
「もちろん。だって生きておりますもの!」
兄はほぼ月一で神殿に様子を見に来てくれる。最初に眼の色を確認される。
「お兄様……」
「すまん」
「神殿は信頼おける神官と、お手伝いの皆様と子供たちしかおりません。ご安心ください!まさか私が逢引するなどと思ってませんわよね?こんな可愛げのない女を好きになる男性などおりませんよ!」
「お前は可愛い妹だよ。それにしても相変わらず子供みたいだなあ?」
私は肌を出さないシンプルな白いワンピースを着て、切ることの許されない銀の髪はポニーテール。泉に浸かってばかりなので化粧も止めた。神殿は素食を旨としているので、太りもせず、悩まされていた吹き出物もできなくなった。妖艶な美女と会う機会も多い兄からしたら、確かに子供かも?
そして前世の影響と、口の悪い子供たちを日々怒鳴りつけているのですっかり砕けた口調になってしまった。まあ日々の祈りの最中、神にも大神官様にも咎められたことはないし、神殿卒業後も貴族と関わる予定もないから、いいかな?と思う。
「それに比べてルビー……いや、妃殿下は……頭が痛いよ」
姉は還俗して、婚約期間もそこそこに殿下と結婚して王太子妃となった。お妃教育を受けていないためかなり苦労しているようだ。まあ約6年叩き込まれた私が王妃様にまだまだボロクソ言われていたからね。
殿下と姉の結婚は庶民には暖かく受け入れられた。見目麗しい王子と清楚な巫女の愛の物語。
だが貴族からすれば急転直下の婚約者の変更と結婚は、妹の婚約者を寝取り、妊娠の恐れがあったために急いで結婚した、と勘ぐられてもしょうがない。実際事実。
姉は貴族相手のオブラートに包んだ探り合い、貶しあいに、ビクビクオドオドしているらしい。貴族社会は汚いのだ。清く正しく!の神殿とは違う。
巷では「巫女上がりの、美しく儚い王太子妃」と呼ばれているとか?王妃は強くあれ!と言っていた王妃様が激怒している様子が目に浮かぶ。まああなたの息子が蒔いた種だ。
姉も、王太子殿下も、何度となく私に面会を求めているが一度も会っていない。家族ではないから会えません、と神官に伝えてもらっている。
「妃殿下が先日も神殿について行きたいと私に泣いてすがったよ」
「なぜあの方達の罪悪感の軽減に付き合わなければいけないの?」
「辛辣だね。やはりマールが王妃になるべきだった」
「……殿下も妃殿下も恋が実って幸せなはずですわ。あらゆる難関を乗り越えられるでしょう」
私がそう言って手を組み祈ると兄が苦笑した。
「やれやれ、嘘くさい巫女様だ。さて、これ。今月の資料」
「ありがとうお兄様。……すごい、八室満室ではありませんか!」
「うん、ベルローズ様が契約してくださったからね。そのあとはあっという間だったよ。ベルローズ様、もう報酬はいらないから、新しいアパートができたら優先的に契約してくれるようにしてほしいって」
私はいわゆるアパート経営をしている。前世、不動産会社に勤めていたときの記憶を参考に。
最初に14歳のとき、両親や王太子殿下に頂いた宝飾品を売ったお金で、小さなボロ屋を買った。お妃教育さえきちんと受けていれば、私の行動に関心を向けるものなどいなかった。
そこを、ペンキを塗り直し、見た目だけとりあえず綺麗にして、自分の部屋のお古の品のいいカーテンや家具を付けて、「貴族の隠れ家」という名前をつけて賃貸に出した。庶民向けに。相場の二倍の賃料だったがすぐに借り手がつき、一年で元をとった。
次は古い長屋を買い取ってリフォームした。四室それぞれテーマカラーを決めてその色に合わせたインテリアを新品でとりつけた。目玉は全室共通の執事とメイドが複数いること。執事はお兄様に近衛出身でケガのために辞められた人を、メイドは伯爵邸で下働きしている女の子を、徹底的に仕込んだ。彼と彼女らがアパートメントの留守を守り、玄関に入るとにこにこと笑って「お帰りなさいませ、ご主人様」と労ってくれるのだ。
そして最後に人気女優のベルローズ様に店子になってもらった。家賃の五倍の報酬を払って。ベルローズ様はレッドルームを大変気に入ってくださった。
「とってもセクシーな部屋よ?私にピッタリ!でもずっと住んだら興奮して血圧上がっちゃうかも?」
そう言って、あちこちで宣伝してくれて、人気アパートになった。ちょっと無理してもう一棟リフォームする。そこもすぐ埋まった。
軌道に乗ったあたりで私は神殿に入ることになった。そのあと王家から婚約解消の賠償金が手に入り、父が半分私にくれた。それを元手に出資金を集めていよいよ新築アパートメントに着手した。インテリアはこの世界でまだお目にかからないモノトーンで統一。目玉は共有のお風呂とトイレとキッチンがあり、専属の使用人がキチンと清潔に管理してくれることだ。
中古ではなく、専属の使用人がいる。もちろん家賃は跳ね上がる。
神殿から兄を通して指示を出すだけで、現場に一度も出向かなかったので不安だらけだったけれど、完成前に全部埋まったと聞いて、胸を撫で下ろす。
「客層は?」
「独身貴族一人、貴族の新婚夫婦二組、羽振りのいい庶民二組、ベルローズ様、ベルローズ様のタニマチ、そしてリスナー子爵夫妻」
「リスナー子爵?なぜ?」
確か王都に素晴らしい薔薇園のある屋敷をお持ちだ。
「爵位を息子に譲るそうだ。で老夫婦で一階にのんびり住みたいのだそうだ。狭いほうが管理しやすいし、訓練されたメイドもいるのだろう?って」
アパートの間取りはたった二部屋。子爵夫婦の荷物はそこに収まるのかしら?
「実直で有名な子爵様が入ってくださるならば、評判は上がりそうだけれど、なにぶんお年を召してらっしゃるから……使用人を増やそうかしら」
「そうだな。あと二人雇っても十分利益が出るだろう。年長者に優しいアパート。新しいウリになりそうだ。父上も母上も先月の配当喜んでたぞ」
出資者は今のところクローズだ。出来るだけ小口に分けて、神殿に祈りにくるひとり親世帯や、神殿を出て仕事を始めたばかりの子に声をかけている。一月パン一個分でも儲けになればいい。神殿名義でも巫女権限で出資させた。この世界に監査なんてないからね。その結果、配当金で痛んだ屋根の修理が着着と進んでいる。
姉が王太子殿下とあっさり恋に落ちたのは、神殿の環境が悪くて孤独に陥ったせいだろうか?と思ったときもあった。だがいざ神殿に入ってみれば、静かで心穏やかな祈りの日々。悲しい理由で神殿にたどり着いた子供たちが、境遇にめげずにちょこちょこと走り回り、怒ったり、笑ったり。
まあ生き延びただけで超ラッキーと思っている私と姉では心持ちが違うか。
とりあえず、姉の失態をチャラにすべく、懸命に働き、配当という名の寄進もしよう。
「お兄様が目を光らせているから、変な輩が寄り付かないのよ。ありがとう。これで私の老後も目処がついたわ」
引退後は、自分のアパートメントの一室に住んで、配当金で悠々自適に暮らすのだ。
私は罪を犯さず生きのびて、王太子殿下も姉も他国に逃げることなく王家に在籍し、健康だ。私は頑張った。マールの恋心を引き換えに頑張った。
「そう言わず、うちに帰れ。ポールもマックも神殿のいつも元気なマール叔母様のお話が大好きだぞ」
巫女になって7年。任期をとっくに折り返した。その間に兄は結婚し、子供を授かった。男の子二人。兄そっくりらしい。よかった。