5 察しの良いひと、悪いひと
11月8日(金) 午後6時半
職員室、学年担任団の座る席の横、簡単な応接セットがある。正面に尾上千絵を座らせて、彼女のもってきた原稿用紙の文章を読み込む。
今日も何人も小論文指導の希望者が来た。それぞれに指導をして、あと一人、尾上千絵が残った。
「十分上達してる。君の志望校に受かるか、受からないかでいえば、問題ないレベルだ」
原稿用紙の中身は、看護短大の過去問で、尾上が書いた小論文だ。
終末医療、延命措置……近年盛んに議論されている、人生を「どう終わらせるか」の問題について、自分なりの考察を求めている。
十分合格できる実力の尾上が、熱心に指導を受けにきているのには訳がある。一部学費の減免がある特待枠を狙うための高得点狙いだ。過去数年分の試験問題を用意し、このところ、週に1回ほど、指導を受けに来ていた。
「基本的な小論文の書き方はしっかり押さえてる。50点以上はもらえる。ただ、手際が……良すぎるな」
「良すぎる、ですか?」
「これ、制限時間をかなり余らせてないか」
「……1時間の試験時間のうち、20分弱余りました」
一見おっとりに見える尾上だが、創作部での活動を見ていると、本質的にはてきぱき仕事をこなすタイプとわかった。小論文も、おそらく相当なスピード感で書き上げている。
「……だよね。せっかくの具体的な体験が、本論に生かし切れていると言いがたい。メモを見る限り、材料の数や中身はいい。だけど、構成を詰める段階で粗さが出てる。君なら、800字書き進むのに20分かからないはずだから……もう10分、構想メモを煮詰める時間に使っていい」
「書き切れなかったら、と思うと、つい原稿用紙に早く書きたくなっちゃうんですよね……」
「書ききれなかったら0点、と思うと怖くなるのはわかるけどね……本番は時間のプレッシャーも大きくなるし。でも、メモさえ出来れば、あと10分使っても時間切れはない、と自分を信じよう。練習でそのペースで3回も書き上げれば体感で掴めるはずだ」
「週明けに、これの描き直しと、他の問題も解いて持ってきます。添削、お願いできますか」
尾上はこうした指示に対する反応もてきぱき。
本番は一週間前に迫っている。ここは頑張りどころだ。
「……本番も近いしな。やれるだけやって慣れよう……書けた分だけ持っておいで」
「ありがとうございます……ところで、先生、ちょっと授業で気になったんですが……」
「……ん?」
……なるほど。
さすが尾上だと思った。
きっと、手際が良いのに加えて、察しもいい優秀な看護師になるだろう。
◇
尾上を帰して、自席に戻った。
PCのスクリーンセーバーを解除する。
そろそろ、夜7時になる。
……さて、軽くもう一仕事。
小腹を満たすために買っておいた軽食バーの箱を開けていると、手元にコーヒーが置かれた。
「辰巳先生……うちのクラスの子も何人も……本当にありがとうございます」
淹れたばかりのコーヒーの薫り。
「……推薦入試も追い込みですし、この時期は仕方ないですね」
学年担任団は、お互いに指導もカバーし合って進めるものだ。小論文指導は、国語科ということもあり、俺のところである程度面倒をみるようにしていた。
飛田先生が、右隣の椅子に浅く腰掛けた。
「さすがですよね。小論文となると、英語科の私なんか、つい腰が引けて……正直先生みたいには……本当に、お世話になってしまって」
尾上は3年2組……飛田先生のクラスの生徒だ。1年生のときのこともあるので、彼女の動向については、ずっと担任団で注意を払ってきた。円城の面倒見の良さと、いざというときに頼りになるところを考えて、結局今年は一緒のクラスにした。
「……ねぇ、辰巳先生。お礼というわけでもありませんが……先生、この後、気軽な夕食でもどうですか。ごちそうさせてください」
「……気になさらず、ですが……割り勘でよければぜひ」