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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
終章 こころの時間_2020年3月編
91/118

1 残り時間

2019年 11月1日(金)


「来週からは、夏目漱石のこころに入ります……みんな、先々週から言っておいた、通して読んでおく宿題はやってあるかな」


 やべ、忘れてた。大丈夫でーす。今日から読まないと……。


 クラスの中がざわつく。

 ほんのすこし、イラっとした。


 センセイの課題をやってこないなんて、私ならあり得ない。

 課題をやってこない不届き者なんて、ほっといたらいいのに。

 

「ここから先は、こころの授業が続きます。予習で読んでおいてもらわないと、置いてきぼりになるので、まだの人は来週までに必ず読んでおいてください。それでは、号令お願いします」


 日直の、起立、気をつけ、礼――。


 授業が終わった……また、残り時間が減ってしまった。


 わかっている。これから始まる最後の単元、その授業もあと一ヶ月ほど。

 三学期は、ほんの少ししか授業日がない。

 

 高校生活は、もうすぐ終わる。


 わかっている。もうすぐ私は、センセイの生徒じゃなくなる。

 卒業証書を受け取って、校門を出ていく。


 受験勉強も、とっくに佳境に入っている。

 勉強自体は嫌いじゃない。

 このまま順当に準備すれば、それなりの結果は出るだろう、と進路指導部の先生から言われているし、模試の結果も良好だ。きっと春になれば、大学に新入生として私は通う。新しい生活を始める。

 新しい生活が始まったら、高校時代の生活は……過去になる。


 わかっているのに。


 ふとした瞬間に、それでもどうしようもない寒さに襲われる。足下が突然崩れて、身体が落っこちていくような。座り込んでしまいたくなる……私はどこにもいきたくない。


 その後にくる気持ちは、焦り。


 残りの日数、残りの時間数、何度も数えた。

 数えても気持ちが焦って、苦しくなるばかりだとわかっているのに。


 私は、いつからこんなに愚かになったのだろう。


 いつも強い子と言われて、頼られて、褒められてきた。

 本当の私はそんなに凄くない……そう反発する気持ちもあったし、態度にも出した。でも、周囲から認められることで私は脆い自分を保ってきた。どうにか、なんとかやってきた。


 最初から賢くなんかなかった。意地っ張りで、不器用なだけだった。

 そんな私のバリアは、この3年ですっかり消えてしまった。

 

――ずっとセンセイと一緒だったから。

 

 1年生の春、私は本当に愚かだった。

 自分がやったことの収拾が付かなくなって、怯えた。手を差し伸べてくれたセンセイにすがってぼろぼろ泣いた。誰かの前で心がほどけてしまうことがあんなに恥ずかしくて……それを受け止めてもらえることがあんなに幸せだと、知ってしまった。


 その年の7月7日、七夕はずっと忘れない日になった。


 私の一大決心の日。

 ネットに、センセイとお付き合いする、と書き込んだ。


 叱られたらどうしよう……内心はびくびくだった。でも、センセイはあきれ顔で、あの優しい目を向けてくれた……あの日から、私は「先生好きの変な子」になった。


……幼なじみの琴美まで、センセイを好きになったのはちょっと驚いたけど。相手がセンセイじゃ仕方ない。でも、琴美にだってこれだけは譲らない。

 センセイが顧問をする創作部で、部長になっていっぱい活動した。笑顔を見れば何も怖くなくなった。

 励ましてくれれば、なんだってできた。

 

 


 でも……センセイがいない時間、私はどう生きてたんだっけ?


 毎日会えなくなったら、私、どうなっちゃうんだ。


 きっと来年から新入生に優しくするんだろうな。


 なんで私じゃないんだろう?


 このまま終わるなんて、イヤだ。



 私はセンセイの、もっと奥に、もっと中に、入りたい。



 ◇


 はぁ、とため息をついた。


 鞄を開ける。上側に付いた薄型のポケットから、一通の封筒を取り出した。真っ白な封筒に、私の住所と名前。裏に、差出人の名前。


 ―― 鷹取美幸


 この3日間、鞄の中に入れたままにしている。

 文面は、すっかり覚えている。


  


 円城咲耶様


文化祭で創作部にお邪魔した鷹取美幸です。

あのときのお話、詳しく聞く覚悟はありますか?




 文面はそれだけ。最後に彼女のメールアドレスが書かれていた。

「あのときのお話」……それだけで、心臓が早鐘を打つ。



――「私と祐司は、人を――――」



 殴られたみたいな衝撃だった。

 聞き返して確かめることもできなかった。

 背中を向けた美幸さんを、ただ見送ってしまった。


――「……彼女、他に何か、言ってたか?」

――「……昔の……知り合いです、と」


 私は嘘をついた。あの場で本当のことを口に出していたら、きっと何かが壊れた。怖くて仕方がなかったから、あれは本当なの?――そう思いながら彼の……センセイの顔をじっと見つめた。


 センセイの目は、はっきりわかるほど……怯えていた。

 彼女が何かを言った可能性……その可能性がセンセイにとってどれだけ恐ろしいことだったか、その目は裏付けていた。



 美幸さんは、私に直接連絡をしてきている。私の住所まで、わざわざ調べている。何度もスマホで返事を出すかどうか、迷った。



 まだ、迷っている。


終章、開幕しました。

最後までお楽しみいただける物語となるよう、全力で頑張ります。

どうか、最後までおつきあいください。

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