22 補講 姫とみんなとセンセイと
午後3時40分 第二特別教室
「……さすがに、バテた」
「センセイ、お疲れさまです。警備されてるところ、颯爽としてましたよ」
椅子に座って、だらりと力を抜けた俺を、紫の大人っぽいドレスを着た円城が労ってくれた。ようやく警備の仕事から解放されて、部室へ上がってきたところだ。
第二特別教室には、部員が勢揃いしている。
コスプレしているのはステージパフォーマンスをした1年生と円城、結城、麻衣――だけではない。最終的には部員16名プラス1名に衣装あり、という大変なお祭り状態である。円城に至っては、ステージ用と別のドレスまで……坂本先生謹製の一着だ。
「教材用に布をまとめ買いしたら、こんなに余りが出ちゃったんでぇ……」
夏休みに入ってしばらく。坂本先生がわざとらしい台詞とともに、大量に余り布(自称)を提供してきた。その後、こっそりと部員に声をかけて格安布買い足しツアーまでやっていた。
……結果がこれである。
衣装の一番人気はメイド服。期間が短かったので、坂本先生に言わせれば「基本的に手抜きバージョン」だそうだが、二日間のイベント用としては十分に見える。そのほか、チャイナドレスに和装、ワンピース風のドレスに、侍やら忍者やらと、それぞれの趣味全開である。
なかでもひときわ目立つ純白、フリルまみれのドレスを着たシャーロットは、廊下を歩くだけでカメラをもった人だかりができていたというが……何をしてたんだ補助教員。
生徒たちは、もうしばらくしたら着替えて下校させられてしまう。最後のひとときを部室に集結して、お互いに写真を撮りつつ盛り上がっている。
「部誌まだでしたよね。はい、ご予約の一冊です」
円城が、キープしておいてくれた部誌を渡してきた。財布から350円を出して、会計係の2年生に渡した。
ぱらり、とページを開く。
『辰巳先生、本当にお世話になりました!』
目次ページの余白に、そう大きく書き込まれていた。周囲には、隙間がなくなるほど、びっしり書き込まれたコメント。
それぞれの生徒の作品ページにも、余白に手描きのカットや、顧問の俺へのメッセージ。作品についてのこぼれ話など、大量の書き込みがある。
結城が右から顔を寄せて、一緒に誌面を覗きながら説明してくれた。
「みんなで、先生にお礼の気持ちを込めて、スペシャルな一冊を作ろうって、話したんです」
きっと、部誌が届いてすぐ、一冊を部員達で回しながら書き込んだのだろう。今日、サプライズで渡せるように、水面下で作業を進めてくれた。
これを見せて驚かせるため、俺の目にあえて部誌を入れないように全員で芝居をして――だめだ、目が潤みそうになる。
「先生、感激して泣いてるー」
「ちょ……」
部誌の誌面で顔を隠し気味にしながら、ページを手繰っていく。どの作品の扉や余白にも、心のこもった部員からのメッセージがある。一つ一つの作品の内容をざっと確認しながら見ていくと、もう一つ、驚かされることがあった。
円城の作品――絵物語『竜と巫女』。作品の前半こそ同じだったが、後半の物語が異なっていた。
竜は天に還らず、村に留まり祭司の娘と結ばれる。竜神……たつのかみは人の世でタツミを名乗り、二人は仲睦まじく、末永く暮らしました――人となった竜は、あきらかに俺の、そして娘は、あきらかに円城を模していた。
「……なんだ、これ……円城、まさか200冊とも、この内容なのか?これ、売ったのか?」
円城がふんわり笑う。
「入稿の日、センセイに連絡をしたとき、私たち、すぐ近くにいたんですよ。すぐ原稿を持ち込んで差し替えて……『リンゴの森』の田辺さん、ニコニコして受け取ってくださいました。もちろん、200冊、全部これです」
「先生、咲耶のこれ、さすがにやりすぎって……ドン引きしません?」
横から結城が口を挟む。
「……琴美にぬけがけは悪いと思ったから、一緒にやる?って訊いたのに、やらないって言うんだもん」
「二人の作品で先生が主人公になってたら、さすがに先生の立場がって思うでしょ……まったく咲耶は……」
生徒や保護者に販売しただけではない。図書館や校長室にまで献本するよう部員に指示したことを思い出して、頭がクラクラしてきた……これ、どう読まれるんだ。
「最後なんです……これくらい許してください」
円城が胸の前で小さく手を合わせた。
◇
概ね部室の片付けが終わった午後5時過ぎ。
円城が部長として最後のミーティングを仕切って、解散した。
これで、正式に3年生は引退。新部長は、橘麻衣に任せることになった。
部員それぞれが教室を出て行く。
結城と麻衣も円城に「クラスに寄るから10分後に昇降口で」と確認しながら部屋を出ていった。
円城と2人。窓際の机にもたれて、片付けの済んだ教室を眺める。
夕方の日が、柔らかな色合いで室内を染めている。
「……終わっちゃいましたね」
「……楽しかったか」
円城の優しい笑顔が、身体一つぶん、離れたところにある。
「……はい」
目を細めて、見回している。
この部屋の全てを愛おしむように。
「……ね、センセイ」
「……うん?」
「ミユキさんって、どなたですか?」
「……?」
「さっき、部室にいらしてたんです。センセイと同い年くらいの女性の方で……飛田先生が、辰巳先生のお客様だって連れてこられて……綺麗な方でした」
円城の瞳は、俺を真っ直ぐに見据えている。
さっき、廊下で見た背中を思い出した。
本当に、彼女はここへ?……何のために?
突然、ぐいっと水の中に引き込まれたような息苦しさを感じた。
「……センセイがお留守だったので、部誌を買って帰られました」
「……彼女、他に何か、言ってたか?」
「ご関係は?って訊いちゃいました……そしたら」
円城が一息入れた。
「……昔の……知り合いです、と」
「……そうか」
思わず、安堵の息を漏らしていた。
――美幸はこの子に、何も言わずにいてくれた。
心の底まで徹するような円城の瞳が、俺の目を覗き込んでいる。
山月記の時間 了
「終章 こころの時間」に続きます
4章「山月記の時間」完結までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
お楽しみいただけましたでしょうか。
感想や、割烹コメント、評価など、温かい応援に支えられながら、
どうにかここまで来られました。あらためて、御礼申し上げます。
実は、3章をある程度書き進めたとき、そのまま終章を書くかどうか迷いました。
プロットを練ってみて、そこでもう一つ章を挟むべきと感じました。
咲耶を始めとした、部員たちの全力の文化祭。
それをしっかり描いてから卒業を描くべきだと思い、4章が生まれました。
今、終章の構想をあらためて練っています。
題材は1章を書いていた頃からブレず、教科書の最高傑作「こころ」。
構成の難しさも、仕掛けの複雑さも、これまででおそらく最高になります。
書きこなすだけの筆力が自分にあるのか不安です(;´Д`)
でも、辰巳センセイをこれだけ長い物語にしたのは、この終章を書き切るためでした。
必ず、読みに来てくださった方の期待に沿える最終章に仕上げます。
どうぞご期待ください。
――「終章 こころの時間」開幕まで、ごゆるりとお待ちください。
(2019年9月17日)