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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
四章 山月記の時間_2019年7月編
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18 心の獣

 9月10日(火) 文化祭4日前 放課後


 そろそろクラスの準備も大詰めになってくる。

 おばけ屋敷作りをしているクラスの廊下には、窓を遮光するために作った段ボールパネルが積み上がってきた。これに薄手の黒ビニールを貼って仕上げると、完璧な遮光板ができる。自分の手さえ見えないほどの真っ暗闇になって、よく「怖すぎる」と問題……評判になる。


 3年生には3組の焼きそばに限らず、飲食店を希望するクラスが多い。進路準備で忙しくなるので、準備と片付けの仕事が当日付近に集中させられる飲食店は3年生にとってありがたいのだ。

 クラスを覗くと、文化祭委員の女子二人が中心となって、当日のシフト割りや運営を煮詰めていた。別の女子は食券の用意、男子たちは屋台まわりの飾り付けや、看板作りやらをばらばらと進めている。

 飲食団体が大変になるのは、食材を搬入し、仕込みを始める前日からになる。このタイミングでは比較的仕事が少ない。


 これなら、まだ任せておいて大丈夫だろう。

「先生は部活の準備見てるので、なんかあったら第二特別教室まで頼みます」


 ◇


 第二特別教室では、ほぼ、創作部員が揃っていた。

 今日は、全員揃ったらステージ練習をしよう、それまでは展示作品を準備するように……と指示をしていた。()()()、まだステージ練習は始まらない。限られた展示スペースに飾るものの取捨選択。来場者に配布するしおりやカードの用意……できる仕事を見つけて準備をしている。


 準備をざっと確認してから職員室へ戻り、隣の生徒指導室……聞き取り&説教部屋にそっと入った。


 橘麻衣が、椅子に座っている。


「待たせたね」

「いえ……すみません、先生も忙しいのに……」


 椅子を引いて、小さな机を挟んで座る。向きは、正面から視線がぶつからないように、若干だけ斜め向きだ。


「話がある、ということだったね」

 顔を見れば、予想はつく。

 麻衣が思い詰めた顔をして、暗い目を向けてくる。

「……先生、本当に申し訳ないんですけど、文化祭の舞台、辞退させてもらえませんか」

「昨日の、ステージ練習から、様子おかしかったよな」

「はい……ちょっと気持ちの問題というか、ちゃんとできる気がしないんです。こんな直前で本当に迷惑なのは……わかってるんですけど……」

 目を斜め下に伏せたまま、一気に話す。

「一晩考えて、その結論になった?」

「……すみません」

 麻衣の声は、消え入りそうに弱々しい。彼女にこれ以上のプレッシャーを与えないように、柔らかく、ゆっくり話しかける。


「……なあ。辞めてしまう決断だけなら、すぐにだってできる。せめて、しっかり正直なところを話してみないか」

 麻衣の目が少し大きくなって、こちらの顔に向いた。

「なんの、話ですか」

「結城とのことだよ……正直なところを」


 麻衣が硬直する。

「なんで、先生にそんなことを……」

「結城が、君の心を心配してるから」


 ずるい手だが、麻衣には一番効果的なはずだ。

 麻衣が目線を下げて、唇を噛んだ。


「練習で、ひどく遠慮してたよな……あの、電車での事件をきっかけに、君は結城の前で自然に振る舞えなくなった」


「……自分でも、おかしいってわかってます」

「きみが、結城に特別な感情をもってることはわかる……あえて聞くけど、それは、恋愛感情、なんだな?」


「恋愛感情」……その言葉に、麻衣は酷くショックを受けた顔をした。

 目を見開いて、しばし動きを止め、盛大にため息をついた。

 左手を顔に当てて、自身の古い記憶を探るように、訥々と話す。


「……もう、ずっと、ずっと前から……いつから、こんな気持ちだったのかな、ずっと前から……大好きでした。結城先輩が」

「結城から聞いたよ。小学生の頃から、君に守られてきた……きっとその頃から……始まってたって」

「……ですよね……やっぱり、とっくにばれてましたよね……ああ、馬鹿みたいだ。俺なにやってんだ……」


 麻衣は、もう一度、静かに息をついた。


「……気持ちをどうしたらいいかずっとわかんなくて。どきどきするけど、バレたら、きっと気持ち悪いって思われるって……でも、どうしても離れたくなくて」

「高校まで、同じ学校に来たんだもんな……心を強制なんてできない。君が結城を想うこと自体は、何も変じゃない」

「女同士でも、ですか」

「……男性同士、女性同士で幸せになるカップルもいる」


 麻衣が、じとっとした、上目遣いの目で、こちらを見てくる。本気で言ってますか、とその目が語っている。


「……それ、理想論ですよね。うち見て下さいよ。女の子が好きなんて言ったら、母さん何言いだすか……俺が男っぽいことするだけで、あの態度ですよ」

「母親との会話がなくなったのも、それが原因だった?」

「……いらっとして、本音言っちゃったらって、怖くなって……閉じこもって絵を描いてたのも、ぶつからないためっていうか、考える時間っていうか……これからどうしよって、悩んでばっかりでしたけど」


 一人で封じ込めた獣。しかし、思春期にもなれば、おとなしくしているばかりでは済まない。


「これから、麻衣はどうしたいと思う?」

「……どうしたら、いいんですかね。女の子が好きな自分のまま本当に生きれるのかなとか……無理にでも、男子と付き合えば母さんは喜んでくれるかなとか、自分も楽なのかなとか……ほんと、ぐるぐる考えてばっかり……」


 性的マイノリティと呼ばれる人は、少なくとも数パーセントは存在しているといわれる。その中には自分の性的指向を隠したまま、人生を歩む人もいる。周囲の無理解に苦労しながら、自分の心に正直に生きる人もいる。


「……すぐに、答えを出せるほど、簡単な話じゃないよな。本気で好きになれるのが女の子なら……無理に男性と付き合っても、幸せになるのは難しいんじゃないか、とは思うし……」

「ですよね……無理しても……相手の男の人にも、酷い話ですよね」


 最終的には、相応の覚悟をもって本人が選択するしかない。


 だから、今は目の前の問題……小学校からずっと見つめてきた少女――結城琴美。彼女のことだけ、はっきりさせよう。


「今は、目の前の好きな人とどう向き合うか、それだけ考えないか。結城をどうやってこの部から……学校から送り出すか」


 さあ、仕切り直しだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 麻衣ちゃん、しんどい子だなぁ、と思って泣きながら読んでたんですけど、そういうことだったんですね……! これは、歪んだ自尊心とかそういうのより、もう一段階しんどいですね。 受け入れるにしても…
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