17 ある日の「山月記」授業 結
「虎になった原因は、自分の羞恥心だったのでは、と語った李徴の独白も終わりが近い。間もなく夜も明ける。彼は 『酔わねばならぬ時』……心が虎に戻る時間が近いと言う。正気をなくしてしまえば、出会ったときのように襲いかかってしまう」
――お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。
李徴が失踪した1年前のまま、妻子は元の家に住んでいる。李徴は、袁参がこの出張から帰ったら、妻子に李徴は死んだ、と伝えてくれと頼む。さらに厚かましいことだが、妻子が飢え凍えることのないように配慮してもらえれば……と。袁参は快く了承する。
――本当は、まず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、俺が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己のとぼしい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。
「李徴の言うとおり、まともな人間……まともな夫であり、父親であったなら、とっくに夢破れた詩のことなどより、妻子を心配すべきなんだろう。でも、それでも自分の芸術にこだわってしまうところが、李徴、という人間のリアルなところじゃないかな。
もう駄目になった夢だ、きっぱりあきらめるべき、と理屈ではわかる。それでも夢中になって追いかけた夢は完全には捨てられない。その欠片にすがってしまう……この姿に、中島敦が自身を強く投影していたのは間違いないだろう」
夜明け。ついに別れの時間。
李徴は、袁参に出張の帰りにこの道を絶対に通らないでほしい、と言う。そのとき虎になっていて、襲ってしまうかもしれないからだ。そして、二度と通ってはいけない、と袁参に思わせるために、あえて虎になった姿を見せる。
――たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声、咆哮したかと思うと、また、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
こうして、山月記の物語は終わる。
「作者の中島敦だが、彼は授業でも触れたように、不条理な不幸に何度も見舞われた。彼は生まれて早々に母親を亡くし、子供時代に弟、妹を亡くした。父親は2回再婚したので、その都度継母ができたが、この継母2人も短命だった。成人して家庭をもってからも娘を生後2日で亡くしてしまったり……人生で肉親を次々に奪われて、不条理さをずっと感じていたはずだ。
彼自身も生まれつき体が弱く、少年時代から酷い喘息だった。教科書の写真も……痩せて痛々しい。でも、死を身近に感じながらの人生があったからこそ、山月記に代表されるような、人間の自意識を深く見通す作風ができたのではないか、と思う」
小説家として認められたい思いをずっと抱えながら、多くの死と、悪化していく病気の中で書き続けた、中島敦という作家。
「彼が評価されたきっかけが山月記だった。自分には才能がある、と信じながら、報われない日々を過ごした鬱屈した感情が、きっと李徴に注ぎ込まれている」
前の席の男子が質問した。
「……山月記で評価された後、中島敦は人気作家になれたんですか」
「山月記が認められ、専業作家となって小説を書き始めたのが、1942年、33歳のときだった……だが、その年の12月、喘息の発作で彼は急死している。作品の大部分は、死後、出版されたものだ」
それから80年余り。今、山月記は日本中の学生が読む高校教科書の定番で、高校生から特に強く共感される人気作だ。