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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
四章 山月記の時間_2019年7月編
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14 ある日の「山月記」授業 三

「前回の授業では、李徴(りちょう)が虎になり、日に日に人間に戻る時間が減りつつあるところまで読んだ。今日はその続き。虎になってもあきらめきれない詩人の夢、そして変化の原因を考える部分について読んでいこう」


 李徴は言う。詩人への夢半ばにして虎になってしまい、作った数百の詩の原稿もどこにいったかわからない。しかし、今でもいくつかは暗唱できる、それを書き留めてほしい、と。


――産を破り、心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。


「李徴の芸術への妄執が感じられる場面だ。虎の化け物になった自分に詩人の名声は手に入らない。それでも、李徴は暗誦で約30篇の詩を詠み上げる。そして、いまだに自分の詩集が(ちよう)(あん)(ふう)(りゆう)(じん)()……首都に住む、センスのいいエリートたち……の机に置かれることを夢に見る、と。しかし、李徴の詩を書き留めた袁参(えんさん)は同時にこう感じている」


――作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか。


「袁参は李徴について、素質は一流。しかし、作品は高品質だが一流ではない、と感じている。このズレがどこからくるものか。明言こそされないが、この後の李徴の自己分析に繋がってくる大切な部分だ」 


 さて、袁参と会った当初は「理由もわからぬ」と嘆いていた虎への変化だが、李徴はあらためて、「何」が自分を虎に変えたのか、の再考を始める。


――考えようによれば、思い当ることが全然ないでもない。


 人間であったとき、李徴は人と交わることを避けていたが、その真意は「羞恥心によるものだった」と告白する。人一倍プライドが高かったため、李徴は自分の実力を直視することを怖れ、周囲から距離をとった。詩作についても、師について教わることも、詩友と交わって高め合うこともしなかった。


――己の(たま)にあらざることをおそれるがゆえに、あえて(こつ)()して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを(なか)ば信ずるがゆえに、(ろく)々として(かわら)()することも出来なかった。


「君たちも、思い当たる感覚じゃないかと思うが、どうだろう。本当は才能なんてなくて、自分に失望するかも、と思うと怖くなって正面から頑張れない。本気で物事に打ち込まない。

 そうすれば『オレ、まだ本気出してないから』と言い訳して、逃げていられる。自分は凄い、って思っていたいから『オレはアイツラとは違う』とつっぱって威張る……そして、孤独で臆病で、尊大で卑屈な、いびつな存在になっていく」


 わかるかも……という顔をする生徒は、男子の方が多いようだ。高校生なら、少なからずこの感覚……自分を縛る自意識、プライドの恐ろしさには気付いているのではないかと思うのだが……もしくは顔をそむけ、見ないふりをしている最中だろうか。


――人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷付け、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。 


「李徴にきっと才能はあった。袁参が、一流の才能、と評価したように。でも、それを真剣に磨くことができる時間や機会は限られていた。自分に向き合うことから逃げ、偉そうに振る舞っていた自分の心こそ獣であり、それが外形まで変えたのだ、と李徴は推理した。

 ただ、この推理、単純に事実として読めるかというと……あくまで李徴が脳内で、自意識で作った物語である点にも注意してほしい。こんな異常事態でも、なお自分に理屈をつけずにはいられない。そこにも『自意識に支配される人間』の哀しさが表れていると思わないか。

 ……さて、次回はいよいよ最後、別れの場面になる。今日はここまでにしよう」

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