14 ある日の「山月記」授業 三
「前回の授業では、李徴が虎になり、日に日に人間に戻る時間が減りつつあるところまで読んだ。今日はその続き。虎になってもあきらめきれない詩人の夢、そして変化の原因を考える部分について読んでいこう」
李徴は言う。詩人への夢半ばにして虎になってしまい、作った数百の詩の原稿もどこにいったかわからない。しかし、今でもいくつかは暗唱できる、それを書き留めてほしい、と。
――産を破り、心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
「李徴の芸術への妄執が感じられる場面だ。虎の化け物になった自分に詩人の名声は手に入らない。それでも、李徴は暗誦で約30篇の詩を詠み上げる。そして、いまだに自分の詩集が長安風流人士……首都に住む、センスのいいエリートたち……の机に置かれることを夢に見る、と。しかし、李徴の詩を書き留めた袁参は同時にこう感じている」
――作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか。
「袁参は李徴について、素質は一流。しかし、作品は高品質だが一流ではない、と感じている。このズレがどこからくるものか。明言こそされないが、この後の李徴の自己分析に繋がってくる大切な部分だ」
さて、袁参と会った当初は「理由もわからぬ」と嘆いていた虎への変化だが、李徴はあらためて、「何」が自分を虎に変えたのか、の再考を始める。
――考えようによれば、思い当ることが全然ないでもない。
人間であったとき、李徴は人と交わることを避けていたが、その真意は「羞恥心によるものだった」と告白する。人一倍プライドが高かったため、李徴は自分の実力を直視することを怖れ、周囲から距離をとった。詩作についても、師について教わることも、詩友と交わって高め合うこともしなかった。
――己の珠にあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
「君たちも、思い当たる感覚じゃないかと思うが、どうだろう。本当は才能なんてなくて、自分に失望するかも、と思うと怖くなって正面から頑張れない。本気で物事に打ち込まない。
そうすれば『オレ、まだ本気出してないから』と言い訳して、逃げていられる。自分は凄い、って思っていたいから『オレはアイツラとは違う』とつっぱって威張る……そして、孤独で臆病で、尊大で卑屈な、いびつな存在になっていく」
わかるかも……という顔をする生徒は、男子の方が多いようだ。高校生なら、少なからずこの感覚……自分を縛る自意識、プライドの恐ろしさには気付いているのではないかと思うのだが……もしくは顔をそむけ、見ないふりをしている最中だろうか。
――人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷付け、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。
「李徴にきっと才能はあった。袁参が、一流の才能、と評価したように。でも、それを真剣に磨くことができる時間や機会は限られていた。自分に向き合うことから逃げ、偉そうに振る舞っていた自分の心こそ獣であり、それが外形まで変えたのだ、と李徴は推理した。
ただ、この推理、単純に事実として読めるかというと……あくまで李徴が脳内で、自意識で作った物語である点にも注意してほしい。こんな異常事態でも、なお自分に理屈をつけずにはいられない。そこにも『自意識に支配される人間』の哀しさが表れていると思わないか。
……さて、次回はいよいよ最後、別れの場面になる。今日はここまでにしよう」