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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
四章 山月記の時間_2019年7月編
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13 拳とスカート

 9月5日(木)  午後8時20分 職員室


 2学期が始まって4日。文化祭当日まで、あと9日。


 授業が始まるに合わせ、各クラスの準備が始まっている。

 多くのクラスの活動は、まだぼちぼち。一部の生徒が居残りをするクラスや、夕方、何人かで買い物に出かけているクラスが増えてきた。

 活動延長の届けを認めているのが午後6時45分まで。その後、7時までには下校するように、という全体方針が一応、決まっている。


 一応、というのは、残り日数の足りなくなったタイミングで、どうしてもそれを超過する活動をする団体が出てくるためだ。そういった場合は担任、もしくは顧問が責任をもって下校まで監督すること、と定められている。


 まだ文化祭当日までは日があるので、あまり根を詰めるのもよろしくない。今日は午後7時前に、そろそろ解散、と言って創作部の生徒を帰した。その後、職員室に戻り、小テストの採点と、明日の教材準備をどうにか片付けた。


 ふう、と一息つく――午後8時30分過ぎ。


「……辰巳先生も、ほどほどで帰りましょう。文化祭までは、まだありますから」

 隣の山脇先生だ。忙しいのだろう。無精ひげが伸びかけて、丸っこい風貌がどことなく熊っぽい。 


 職員室に残っている先生は、あと数人。

 文化祭準備を本格的に始めているクラスの担任や、部活の指導からあがってきた顧問――俺を含む――などがちょこちょこ。


 外線電話が鳴った。机の上の受話器に手を伸ばして、掴む瞬間「悪い予感」がした。こういう感覚は不思議なもので、あまり外れた記憶がない。


 電話は、地域を管轄する警察署からだった。

「橘麻衣さん、結城琴美さんは、そちらの生徒さんですか?」

 警官は、そう確認してきた。


 ◇


 警察からは、できたら署へ顔を出してもらえないか、という依頼だった。既に家路についていた橘麻衣の担任には、後から必要であれば連絡を入れよう、と教頭と申し合わせた。


 教頭と、部活顧問であり結城の担任でもある俺、の二人で警察署に向かう。


 結城の家は母子家庭だ。警察によれば結城の母親に連絡はついたが、仕事の関係で、すぐには来られないという。橘の家は両親とも仕事で、現時刻まで連絡がついていないそうだ。


 署へ着くと、担当の警官が話をしてくれた。

「先生、遅くまでお疲れなのに、わざわざご出頭いただいて、恐れ入ります。保護者が来るにはまだ時間がかかりそうだったので」

「いえいえ。このたびは生徒がご迷惑を……」

 事情がわからないので、濁す。


 警察絡みで、学校へ直接連絡が来ることは珍しい。特に、刑事罰の対象になるような場合は、処遇がある程度はっきりするまで、状況も知らせてこないのが普通だ。

 今日起きた何かで連絡があったということは、生徒は目撃者か、被害者か……もしくは、問題が刑事罰に問うほどでもない内容だったか。


「まあ、生徒さんたちが何かやった、という話ではあるんですが……始まりとしては、被害者だったんです」


 警官が話してくれたところを要約すれば、電車の中で結城が痴漢の被害に遭ったのだ、という。


 週末の近い木曜日の夜、ということもあって、車内にはそれなりの数、酔っ払いが乗り込んでいた。そこに、文化祭の準備で、帰りの遅くなった結城と橘麻衣が乗り込んだ。

 大きな乗り換え駅を通り過ぎ、車内がさらに混み合ったとき事件は起きた。結城の近くにいた中年男性が、結城の身体に手を伸ばし、痴漢行為に及んだ。しばらくは勘違いかも、と思って結城も黙っていたのだが、次第に痴漢が増長し、行為に遠慮がなくなってきた。

 結城は助けを求めて視線をさまよわせ、彼女を心配して見つめていた麻衣と視線があった。


 そこからは結城もびっくりするほど早かった。


 結城の視線の意味をすぐにくみ取った麻衣は、人混みをものともせずにかき分け、結城に不届きな真似をしていた男性客の腕をつかんだ。満員の電車内で「てめぇなにやってんだよ」と大声を出して。


 電車が止まると同時に、痴漢は腕を強引に払って逃げ出した。

 麻衣は追いかけ、後ろから掴みかかった。

 相手の男性はある程度酒も入っていたらしい。振りほどこうと暴れ、挙げ句に麻衣の顔や肩を殴りさえした。


 さらに怒った麻衣は、思い切り拳で犯人を殴りつけた。駅員が駆けつけたときには、犯人は床に伸びてしまい、肩で息をした麻衣が鬼の形相で立っていた……という。


「そもそも、痴漢の逮捕に協力いただいた、という点では、ありがたく思っているんですが……少々、やりすぎ、というか。高校生の女の子では、なかなかない顛末ですよ」


 現行犯の痴漢とはいえ、過剰防衛にとられても仕方ない殴り方だった、ということで、落ち着くまで頭を冷やされていたらしい。


「妙な逆恨みをされて、仕返しにつながる、ということもあり得ます。お友達思いは結構ですけど、ほどほどにしなさい、と先生からも言ってあげてください」


 警官から話を聞いている間に、結城の母親が警察に到着した。

 結城は純粋な被害者なので、普通に事情を聞かれ終わったら帰る流れだ。母親が付き添って警察ロビーを外へと歩いて行く。

 こちらに気付き、結城琴美が声をかけてきた。

「……先生、麻衣、罪になったりするんですか?」

 目が不安で揺れている。


「今日の所は心配しないで帰りなさい。警察の方とちゃんと話すから」

「麻衣……私のために戦ってくれたんです」

「……わかってる。結城は、家でゆっくり休んで、明日、ちゃんと学校においで」


 ◇


 橘の保護者にはまだ連絡がつかない、ということだった。

 本人に会わせてもらうことになり、殺風景な部屋に通される。パイプ椅子と簡素な机。ここで事情を聞かれていたのだろう。教頭先生と二人連れでは、プレッシャーが大きくなりそうだったので、一人で入らせてもらった。


 椅子の上でうなだれていた麻衣の顔が上がった。

 憔悴した顔。潤んだ目で下から見上げるような視線。

「先生……」

「……結城を助けてくれたそうだね」


 橘はまた下を向いて、ぐっと拳を握りしめる。

 そのまま、自分の拳を開く、握るを何度か繰り返した。

 ――本当に、自分の手なのか、とでもいぶかしむように。


「……すみません」

 顔を下げたまま、ぽつりと言う。

「……どうして謝る?結城を助けてくれたろ」

 麻衣は顔を下げたままだ。 

「結城を守ってくれたことに、顧問として感謝するよ。ただ、ちょっとやりすぎた、と聞いた……自分では、どうだった?」



 橘が、喉の奥にたまったものを吐き捨てるように言った。

「……あんなヤツが……先輩に…………許せなくて」

「そういうことをする人間に怒りを感じるのは、おかしいことじゃない」

「でも、気がついたら……止まんなくなって。殴って……先輩に、止められて……」


 内側から起きた暴力の衝動が、怒りで止まらなくなる。

 高校生にままあることではある、が……。


「今回は、相手が痴漢の現行犯ってこともあるし、君を先に殴ったってのもあるから、過剰防衛を問うつもりはないそうだ。そこは警察の方も配慮してくださってる。ただ、逆恨みされかねないのは心配だ……次はもう少し……冷静になろう」

「………すみませんでした……」


 警察の方からは、保護者の方に連絡が付き次第、来てもらって一緒に帰りなさい、という話だった。だが、部屋を出ようとしたところで麻衣から呼び止められた。


「……先生、あの」

「ん?」

「……もし、できたら、うちの両親呼ばないで、このまま、先生と帰るってわけには、いきませんか」


 さすがにそれは無理が……と思いつつ警察の方に聞くと、保護者のOKがあるなら、先生と帰宅でも構わない……と言われてしまった。正式に拘留しているわけではないので、融通を効かせても構わないという。

 橘の保護者に電話をかけてみたら、これもタイミングが良かったのか、あっさり母親につながり、教員が送っていくことでOKされてしまった。


 母親の物言いは慇懃だったが、どこか娘に対して、よそよそしくも感じる。罪に問われたわけではないにせよ、娘の関係した警察沙汰だ。心配して、大急ぎでやってくると思っていたのだが……。


「先生、本当に、いろいろ迷惑かけてすみません。うちの親、警察に来たがらなかったですよね。きっと、そういう態度になると思ったから……俺、親とうまくいってないんです」

  麻衣はそう言って目を伏せた。


 なんだか不憫に思えてきて、教頭と別れた後、二人でラーメン屋に寄った。ラーメンと餃子を二人でもくもくと食べてから、家まで送り届けた。

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