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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
一章 舞姫の時間_2018年6月編
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8 神田先生の不穏な休暇

 職員室に戻り、煮詰まったコーヒーメーカーからマグに継ぎ足す。


 画面には作成中の期末テストの問題が表示されている。別にまだ問題を仕上げるには早いが、空いた時間に少しずつでも進めておくと後が楽だ。ただでさえいつ急な仕事が増えるかわからない。


 舞姫の本文を教科書会社から購入した資料CDを使って取り込み、ワープロソフトに貼り付ける。本文で出題したい部分に傍線を引いていく。


 ――「今この(ところ)を過ぎんとするとき、(とざ)したる()(もん)(とびら)()りて、声を()みつつ泣くひとりの(おと)()あるを見たり。(とし)十六七(じゆうろくしち)なるべし。」


 舞姫の主人公、太田豊太郎は、ドイツの大学で学ぶうちに法学から歴史や文学に傾倒してしまう。それまでイエスマンだったゆえに上司から可愛がられていた彼は、次第に立場を悪化させていく。


 そんなときに出会ったこの貧民街の少女がエリスだ。劇場で踊り子をする彼女との出会いは、豊太郎の立場を決定的に悪化させる。

 寺門――まだ、教会という言葉が普及していなかった時代だ。ここでの「寺」はキリスト教会を指す――の扉の陰に隠れて、声を殺して泣く十六、七歳の少女――助けてしまうわな、それは。


――我足音に(おどろ)かされてかへりみたる(おもて)()に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く(きよ)らにて(もの)(とい)ひたげに(うれ)ひを含める(まみ)の、(なか)(つゆ)宿(やど)せる長き(まつ)()(おお)はれたるは、(なに)(ゆえ)(いつ)()したるのみにて、用心深き(わが)(こころ)(そこ)までは(てっ)したるか。


 一目見た瞬間、その視線に心の底まで射抜かれた豊太郎。詩人ではないから描けない、といいつつも、延々と彼女の美しさをしつこいまでに語っているところが面白い。


 要は、一目ぼれだ。

 豊太郎は、電撃に打たれたような出会い、をしてしまった。



問……「詩人の筆なければこれを写すべくもあらず」について、

   「これ」は何を指しているか。簡潔に答えよ。


答……少女の顔の様子(美しさ)


 

 つらつらと問題を作りながら、頭の半分で結城琴美のことを考える。


 気になっていることがあった。


 美術の神田先生が今日欠勤していることだ。25歳と若いが、熱心な指導をしてくれる先生で、生徒からも信頼が厚い。


 美術科にはベテラン教諭の山川もいるが、科の仕事を実質的に回しているのは、若手の神田先生だ。神田先生は美術部の副顧問を務めるが、実質は主顧問といっていい。そのため、部員たちも質問や指導は山川より神田先生のところへ受けにくる。


 先ほどから山川に敬称をつけていないのは、わざとである。

 あまりに仕事しない教師に対して、先生、と呼ぶ気になれない。我ながら、心が小さいとは思うが、面と向かっては「先生」をつけて呼んでやっているのだから許してもらいたい。


 さて、その熱心な神田先生が今日に限って学校を休んでいる。職員室で他の先生方に聞くと、昨日の職員会議からすでに姿が見えなかったという。


 事務室で少々聞き込んでみたところ、昨日午後3時以降について、神田先生の出勤データは休暇扱いになっていた。これが正しいなら、神田先生は6時間目の授業終了とほぼ同時に学校を出たことになる。


――結城に関係してる?

テスト作りを進めながら、考える。


 神田先生の休暇は、午後5時頃になって事務室へ電話連絡で申し出てきたものだという。普通、休暇を申請するなら事前に行う。

 そもそも3時まで授業をしていた神田先生なら、そのまま職員室で申請して帰ればよいだけだ。よほどの急用でないかぎり、教頭や校長に一言もなく職場を離れることはない。


――休暇願を出すことができないほど緊急な事情があったか。

 そもそも、休暇をとることを想定していなくて、後から仕方なく休暇にした、か。


 どちらにしろ、神田先生の行動にはなにやら不穏な感じがある。


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