10 ある日の「山月記」授業 二
「李徴は発狂して失踪した。次の場面は、その翌年だ。すでに高官となった李徴の旧友、袁参が出張で森林地帯に宿泊する。夜明け前に出発しようとしたところ、地域の役人が明るくなるまで待て、と言ってくる。道に人喰い虎が出るためと」
袁参は出世しているから、多くの部下を引き連れている。なので大丈夫だろう、と暗いうちに出発してしまう。すると、役人の言ったとおり、虎が草むらから飛び出してくる。虎は襲いかかろうとしたすんでのところで身を翻し、そのまま草むらに隠れた。
――叢の中から人間の声で「あぶないところだった」とくり返し呟くのが聞こえた。
「袁参は、その声が失踪した李徴であると気付く。しばらく泣いた後、虎は自分が李徴であると認めるが、虎の姿を見せては恐れられてしまう……このまま、叢の中で、しばらく会話をしたい、と言い出す」
昔の友人同士に戻って、しばし会話を楽しんだ後、袁参は李徴に、どうして虎になったのかを問う。物語はここから先、李徴が自身のことを語っていくのが主軸になる。
「一年前の発狂した日。李徴自身によれば、誰かが宿の外から自分を呼んだため、追って夢中で駆けたのだという」
――知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった。
走っているうちに、いつの間にか身体が虎に変化していた。最初、李徴は自分の目を疑い、夢の中の出来事ではないかとも考えたが、結局逃れられない現実だと悟った。
――「理由もわからずに押付けられたものを大人しく受取って、理由もわからずに生きて行くのが、我々生き物のさだめだ」
「虎になった自分の存在に、李徴はこんな諦めの言葉をこぼす。不条理な不幸を押しつけられても、生きものは受け入れて生きていくしかない……短い人生で多くの不条理、不幸に直面しながら生きた作家、中島敦の人生観がよく出ている台詞といわれる」
自殺も考えた李徴だったが、兎を見かけると、身体の中から人間性が消えて、夢中で食い散らかしてしまった。その後の所業も「語るに忍びない」と詳しくは語らないが……すでに「人食い虎」の噂が広まっているということは、推して知るべしである。そんな李徴が人間の心に戻れるのは、一日数時間だけ。しかも、それは日に日に短くなっている。
――人間の心で、虎としての己の残虐な行いのあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。
――おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、その方が、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。
「虎になりきることを恐れながらも、すっかり人格が消えてしまった方が、人間として悩んだり、絶望したりを繰り返さないだけ『しあわせ』になれるだろう、と、己の行く末を語る李徴……なんとも痛ましい。
さて、今日はここまで。次回、李徴が内面を振り返り、どうして虎になったのか、を考察していく段に入っていこう」