9 結城の思い、麻衣の心
昼前になり、部員たちそれぞれ、食事を広げて食べ始めた。午後からは集団での活動になる。その前に、腹ごしらえである。
「まーちゃん、コンビニ行かない?」
麻衣に、妹の芽衣が声をかけた。外は暑い。
「ん、俺はいいや。水分まだあるし、朝買ってきたパン、まだ残ってるし」
パン、というのは袋入りのバターロールである。コンビニで買ってきたそれに、小分けのジャムをベタベタと塗っては、もしゃもしゃと食べる。そしてまた絵を描く……という行動を繰り返すのがいつものパターンである。女生徒らしくないこと、この上ない。
「そっかー。じゃあ、あたしお昼のパン買ってくるけど、まーちゃん、なんか欲しいものある?」
「特に……ああ、口が寂しいから、うめこんぶ一袋買っといて」
これも麻衣の創作のおともだ。
「俺、ちょっと職員室もどるから……なんかあったら呼びにきてください。書類仕事もあるから、午後の活動の途中でまた顔を出します」
そう言って、職員室へ戻った。
◇
正午を少し回った。
職員室で食事をとり、午後からのことを考えながら、進路関係の書類の山に手を伸ばす。夏休みはアドミッションオフィス入試――AO入試や、推薦入試の手続きが始まる時期だ。
生徒によっては、志望大学への可能性を少しでも高めたくて、まずはAOや推薦を受け、その後、冬に一般入試、という二段構えの作戦を採る。
受験にいくのは生徒本人だが、何も準備をさせずに特攻では勝ち目も薄い。入試準備の指導に、推薦書の作成、と3年生担任は夏休みから進路関連の仕事に追われる。
この志望理由じゃ、ちょっと厳しいな……AO入試希望の生徒が書いてきた志望理由書の下書きに添削をしながら考える。入りたい学校への熱意に欠けている生徒、自分の強みがわかっていない生徒は、この手の書類がどうにも形になりにくい。
よく、日向先生が、恋愛と一緒なんだよね、なんて生徒に言う。
「相手を好きになるには、より深く知ること。思いを伝えるにも、相手を知ろうとする姿勢がまずあって、その上で自分をアピールできないとダメだよね。何を書いていいかわからない、なんてのは、相手を知らず、自分を知らず、ただ恋人がほしいっていうのと同じだよ。それじゃ相手から”ホントは誰でもいいんでしょ!”って怒られる」
生徒を笑わせつつ、大切なところは含んでいる。日向先生の言葉を思い出しつつ、次の生徒の志望理由書を読み始めたところで、職員室入り口から声がした。
「創作部の橘麻衣です。辰巳先生、いらっしゃいますか」
「こっちだよ」
入り口の方へ向けて、右手を高く挙げて、振ってみせる。
麻衣が自席まできて、真剣な顔で切り出した。
「少し、お話したくて。よろしいでしょうか」
目が真剣だ。折り入って……という雰囲気。
「ああ……場所は、ここじゃないほうがよさそうか、な」
今日は自席で仕事をしている先生も少ない。とはいえ、全体をみればパラパラ……3割程度は席にいる。橘の様子も、ちょっと人目があると、という態度なので、ほどよく他の人の姿が見えないところ……職員室の奥、印刷ブースを使うことにした。
◇
「……で、どうした」
誰も使っていない印刷機に囲まれながら、小さめの声で話す。
「先生。ちょっと、変なことなんですけど……」
麻衣が言いにくそうにして、でも、ふんぎりを付けて、話し始める。
「先生……結城先輩と、ちゃんと付き合うつもりは、ないんですか」
……は?
「一体……なんの話だい」
「先生、結城先輩が先生のこと好き、って知ってますよね?先輩隠さないし。バレンタインでも、しっかり先生に手作りチョコ贈ってたし……」
2年生の一学期終わりから、結城が思いを寄せてくれていることはわかっている。彼女のアプローチは、円城のような大胆さはないが、常に真っ直ぐでとてもわかりやすい。
「ああ……全く知らない話、とは言わないよ」
「じゃあ!」と麻衣の言葉に勢いが増す。そのまま勢いよく続ける。
「じゃあ、どうして、ちゃんと返事してあげないんですか。先輩、先生のこと、ホントに好きだし、綺麗だし、優しいし……」
「橘、ちょっと、まて。結城がそういう気持ちでいてくれるとしてだ。それは男性としてとても光栄で、嬉しいことだ。でも、教師と生徒で、そのままお付き合い、とかいう話にもならないってのも……わかるよな?」
「それは…わかります。わかりますけど……」
麻衣が下を向いてしまう。彼女自身、どう俺に話していいか、分かりかねたまま、それでも話せずにいられなかった……そんな感じに見える。
「……君は、結城に何か頼まれたのか」
「いえ……先輩は何も……」
「じゃあ……」
どうして君が、と続ける前に、麻衣の声に遮られた。
「すいませんでした。もう、いいです。失礼しました!」
麻衣は、逃げるように廊下へ消えた。