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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
四章 山月記の時間_2019年7月編
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2 明日への切符

7月8日(月) 午後3時50分 生徒相談室

 

「先生、これ、本当に、私へのお話なんですか……」

 興奮した面持ちで、結城が聞き返している。


「そうよ。結城さんなら、というお話。今はまだ、内々に、どうか、というお話だけど」

 俺の隣に座った飛田先生が答える。彼女は学年付きの進路指導担当。なので、今回の話についても、担任の俺と一緒に立ち会ってくれている。


 飛田先生の手には、二つ折りになる書類用のバインダー。その内側に、先方から送られてきた「部外秘」の書類が挟まっている。直接本人に見せることはまだちょっと……と先方から言われているので、飛田先生が口頭で概要を説明した。


「母に相談していいですか。私は凄く惹かれますけど、すぐにお返事していいのか……」


 書類は、とある地方美大から内々に送られてきたものだ。特待生待遇で、結城を迎え入れたい、というオファーである。詳しいところは、先ほど職員室で飛田先生が先方の大学と電話でやり取りをして、確認したばかりだ。

 

 内々の打診を経て、入学意思の確認が終われば最終的にAO――アドミッションオフィス――入試の手続きを形式的に行って、正式に入学が確定する。

 美術の各種大会で結果を出している結城を名指しで、実質無試験、学費免除で入学しないか、という打診だ。自宅から通うには遠いので、1人暮らしは避けられないが、寮費の負担だけで、卒業まで教育が受けられることになる。 


 美術系大学からの指名による一本釣り……学費だけで4年間で600万円以上になる――それが無料とは、そうそうある話ではない。

 

「うん、もちろん、すぐには決められないよね。だから、お母さんとよく話してくれればいいと思う。実際に入学したら、家を離れて寮に住むことになるから……お母さん、1人になるのも心配かな?」

 飛田先生は、昨年担任だっただけに、結城の事情には明るい。


「……いえ、母のことは……あんまり心配ないかと。ちゃんと相談する時間を取りたいだけで……きっと、賛成してくれると思います」


 全国大会クラスの部活動の実績をもつ生徒に、特待枠や、特別な推薦枠を用意してスカウトにくる大学がある。要は、大学に入ってもその部活動に打ち込む条件と引き換えの優遇枠だ。運動部なら強豪選手を入れてチームの底上げ。文化部なら、活躍させて看板生徒として知名度アップにつなげたい、という狙いがある。


 ごく一部の強豪選手には、一切学力を問わない、という条件で難関大学からオファーがくることもあるという。場合によっては、まるっきり勉強できない生徒が、驚くような一流大学に入れてしまうというケースも……。


 進路担当の飛田先生から、先方との電話で聞いた細かい条件が結城に説明された。といっても、基本的に結城が負う義務は、積極的に創作活動に励み、各種大会などに積極的に参加する、ということだけだ。恵まれた……恵まれすぎとも言える条件。


 飛田先生が一通り説明を終えたところで、担任2人と、結城の面談は終了した。

 結城に続き、3人とも相談室を出る。

 

「辰巳先生、私、今日はこのまま創作部に行きますね。母には、今夜にでも話そうと思います」

 創作部では、既に文化祭の準備が始まっている。毎年恒例の部誌作りに、当日の展示作品……期末テストが終わって、ここから先、9月中旬の文化祭まで慌ただしい。


 ◇


 結城の背中を見送りながら、飛田先生に話しかけた。

「説明、ありがとうございます。それにしても大変な好条件ですね。正直、見たことないです」

「それは……そうだと思いますよ。先方が、結城さんの経済状態についてしっかりわかってくれてますし、彼女の作品や実績についても、本当によく調べてます……遠くの大学からのリサーチだけ、とは思えないくらいに」

「それはつまり……」


 飛田先生が、軽く微笑んだ。

「辰巳先生なら、思い当たる節があるんじゃないですか」


 そういわれて――ああ、と腑に落ちた。

「……神田先生、ですか」

「……たぶん。でも、結城さんには、きっとそれだけ大学も投資する価値を認めているんだと思います」


 母子家庭で経済的に余裕がなく、美大へ進むのはやはり難しいのでは、と思われていた結城にとって、この話は僥倖だ。

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