20 ショー マスト ノット ゴーオン
咲耶の後ろから、校長と教頭も入ってくる。その後ろには、シャーロットまでいる。
咲耶はちらりとそれを確認すると、ぴしゃりと父親に言った。
「人払いを」
「う……」
鉄治氏が返答に詰まる。
鉄治氏の反応が鈍い、と見るや、ずいっと前に出て距離を詰めてくる。父親と、横に並んでいる俺にだけ、はっきり聞こえるくらいの音量で、その先を続ける。
「A かわいい娘がホームシックになって、パパに会いに突然帰国してきました。
B 学校代表が留学先から逃げ出して、教育長の責任も問われる大問題に。
……私はどっちでも構わないんです。お父さんが好きな方を選んでください」
わかりやすい二択だ。
「Aで」
鉄治氏はそう言うと、早速人払いを始めた。さすが、決断と行動が早い。
「校長先生、教頭先生、娘が酷いホームシックで一時帰国をしたようです……少し、娘と話をする時間をいただきたい。辰巳先生とシャーロット先生は同席してください」
どう考えてもホームシックの娘とこのメンバーで話す必然性はないのだが、教育長が指示するとなんとなく通ってしまうから恐ろしい。
◇
俺の隣に円城――咲耶、正面にシャーロット、そして、左斜め前に円城鉄治氏が座った。おそらくドアの外には校長と教頭が貼り付いて聞き耳を立てているだろう。
「お父さん、私になんて約束したか、覚えてる?」
咲耶の声に、氷の刃が混ざっている……というより、99%氷で作りました、と言った方がしっくりくる。隣で聞いている俺も、十分に怖い。
鉄治氏は微妙に目が泳いでいる。真っ正面から斬り込んでくる娘にどう対応していいのか……あきらかに困っている。
「ああ、もちろん。留学から帰ったら……もう咲耶の恋愛に口出ししない、邪魔しない……そう約束した」
「逆に留学に行かなかったら、辰巳先生を異動させるかもしれない……みたいなこと言ったよね。あれ言われなかったら、留学なんて行かなかったのに」
初耳だったが、咲耶が留学「しなければならない理由」と言ったことの合点がいった。鉄治氏は咲耶の譲歩を引き出すために、俺の異動をちらつかせた。
鉄治氏は、バツが悪そうに、下を見ながら話しだす。
「……あれはまあ、咲耶があんまり強情だから。父さんにも意地があるというか……なぁ?」
「なにが、なぁ?なの。意味がわからないんだけど」
ぴしゃり。
冷たい瞳は、不浄なものでも見ているかのようだ。
「で、私ちゃんと留学の約束を守ったよね?……なのに、留守中に辰巳先生にロッテけしかけて、異動させようとした、ってのはどういうこと?わかるように、説明してもらえる?」
「……咲耶、最近家でもセンセイ、センセイって……父さんとしては、ちょっと、心配になるじゃないか。年齢の釣り合いも、ちょっと……ほら、ロッテと辰巳先生なら釣り合いバッチリだし、お義兄さんになるわけだし……」
鉄治氏の不屈さは、それはそれで偉大かもしれない。
咲耶の顔が、思考の理解できない異世界の生物でも見たようになった。
はあぁぁ、と声に出して盛大にため息をついて、俺に向き直った。
「先生、本っ当に馬鹿な……馬鹿父で……申し訳ありませんでした。身内の恥をさらすようですが、うちの親類、こんなタイプばかりで……目的のために手段を選べないというか」
……割と前から知ってた、と思ったが身の安全の為に黙っておく。
「ロッテもロッテだよ。なんでこんな話に加担してるの?」
「咲耶、それは違うよ。私、興味あったから先生やりにきたんだもん。そしたら、辰巳がセクシーだったから……ちょっとお泊まり、しちゃっただけで」
クスっと笑うシャーロットの顔に、咲耶の視線がぶっすりと刺さる。
「……あなた先生と……」
「辰巳のうちで、一晩過ごしたよ」
ぼひゅん。と聞こえた気がした。
咲耶の顔が真っ赤になっている。
鉄治氏も、なぁぬぅ聞いてないぞぉ、と顔をぐりりと回してシャーロットの顔を見た。
「センセイ……」
咲耶の目が半泣きだ。
「……あとで、ちゃんと話聞きますからね」
キッと険しい目に戻して、鉄治氏に向き直る。
「とりあえず、お父さん。事情をちゃんと話して。そして、先生に謝って。異動は撤回。文句ある?」
鉄治氏はむすぅ、と黙り込んだが、少し間をおいて、
「……まあ、仕方ないな」と言った。
粉々になった威厳をかき集めるかのように、重々しく。
◇
「そもそも最初から邪魔しようと思ってたわけじゃないんだ。始まりは、ウェンディ先生のことだった」
咲耶の追及によって、鉄治氏は被告席で自白、という流れである。ドアの外では相変わらず校長たちがやきもきしているだろうが、咲耶が譲る気配が全くない。
そのまま話を聞き続けることになった。
「陽気で頑張ってくれていたウェンディ先生なんだが、親御さんが倒れて、急ぎ帰国しないといけなくなった。ただ、倒れた親御さんの医療費に、帰国の費用、おまけに、年度途中での退職処理……ウェンディ先生もどうしよう、って困っててね。補助教員の採用では、直接生徒と触れあうということで、教育委員会も人材を見ている、だからこちらにも、ウェンディ先生が困っている話が聞こえてきた」
そもそも、咲耶の父親だ。基本的には情に厚い人なのだ。
困っているウェンディ先生に金銭面も含めて援助し、年度途中で退職して国に戻れるように骨を折ってあげた。
「娘がお世話になった先生でもあるしな……」
咲耶の方をちらりと見る。
そしてウェンディ先生の件に前後して、時折連絡を取り合っていたウィリアムズ家から相談された。
「きみのことだよ。ロッテ。お父さんもお母さんも、マイケル先生の件からずっとふらふらしてる君を心配していた。ついに研究所もやめてしまって、あの子、大丈夫かしら、って」
少し気まずそうに、シャーロットが下を向く。
だから、鉄治氏としてはウェンディ先生の後釜に、と考えたのだという。
シャーロット本人が乗り気だったので、急いで試験を受けさせ、いくつか根回しをして補助教員として採用を決めた。仲の良い咲耶の近くでの仕事。そして、国は違えど、シャーロット自身がなくした「高校」という世界……きっと、いい方向にいくはずだ、と思ったという。
「そこまで準備したときに、ふっと思っちゃったんだよ……辰巳先生とやらって、ロッテにこそお似合いなんじゃないかなぁ……って。咲耶があれだけ評価する男だ。きっと、相当な傑物なんだろうとも思ってた。校長会を通じて、お見合いの斡旋もしてもらってたのに、辰巳先生は一向になびかないって聞いたから――じゃあ、ロッテほどの美人、好条件ならって」
ほぼ組み上がったパズルに、最後のピース――俺のことだ――がぴったりはまったような気がした、という。
成績は一番なのに、学校を離れたがらない咲耶を、俺の異動までちらつかせて留学に送り出す。その後は二校の間に入って、留学期間を最初から3ヶ月だったように見せかけた。
姉妹校のオールドブリストル校は、シャーロットの母校であり、ウィリアムズ家と長年の付き合いがある。そもそも、この両家の関係があって始まった留学制度だから、期間の工作など円城家がその気になれば容易かった。
「お見合いの斡旋って……そんなことまでしてたの?お父さん、身内に言いたくないけど……どれだけ気持ち悪い計算してんの?ちょっとおかしい人になってるよ……」
咲耶が、痛ましいものを見る目になっている。
「だって……仕方ないじゃないか……条件が揃ってしまったんだ。ウィリアムズも父さんも、ロッテのことは心配だったんだ」
鉄治氏なりの主張はある。
「どれだけ良い理屈つけても、娘の恋を邪魔するために、って根本がおかしいって気付いてよ。父親なら、娘が望んでる幸せを応援してよ」
だんだん、ただの親子喧嘩になってきた気がする。
――咲耶の言葉に、ぎらり、と鉄治氏の目が光ったように見えた。
「じゃあ、咲耶は、この辰巳先生が誰とも結婚する気がないって知ってたか?」
「え」――咲耶が止まる。
「辰巳先生は、女性とちゃんと付き合う気も、結婚する気もないそうだ。父さんには、はっきりそう言った。おまえにそれを言ってないのも、教師と生徒で、話すようなことでもないから……だそうだ」
咲耶が黙った。唾を飲みこむ音が聞こえた。
「……本当ですか」
咲耶の目が、こちらを向く。
喉の奥から押し出すように、それだけ言う。
嘘をつくことは……できない。
「……ああ……」
俺は今、咲耶にどんな顔を見せているのか。
にわか自白会は、咲耶が黙ってしまったことで唐突に終わった。
彼女はふっつりと黙りこくって、誰とも目を合わせない。
◇
鉄治氏は約束どおり、簡単ながら俺に謝罪し、校長と教頭同席の上で、異動の話も撤回した。便宜上、俺がシャーロットへ既に謝罪していて、当人たちの和解が済んでいた、という理由をでっちあげたら、話は意外なほどスムーズに片付いた。
結局のところ、筋の通らない「忖度」など、誰も本音のところではやりたくなかったのだ、と気付いた。