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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
三章 竹取物語の時間_2019年1月編
63/118

18 追加講義 「シャーロット E.ウィリアムズ」

 冷めてしまったコーヒーを入れ直して、香りを楽しむ。

 アルコールの買い置きがないのは、幸いだった。


「シャーロット、聞いていいですか」

「はい?」

「鉄治さんから聞きました。あなたの恋は、止まったままになったと」


「……おじさんには、詳しい気持ちは言ってません。だから、私が酷く落ち込んだり、考え方が変わったり……ずいぶん心配かけたと思います」


「もし、あなたが嫌でなければ、その話を聞かせてもらえませんか……時間は、まだあります」


 シャーロットは、ふわりと微笑んだ。窓から差す月光を浴びた彼女は、青く白く輝く。

「こうして、月の光に包まれて話していると……かぐや姫になったようです。何から話しましょう……やはり、生い立ちからでしょうか」


 ◇


「子どもの頃は、どこにでもいるアメリカの田舎娘でした。ブリストルの片田舎に生まれて、元気いっぱいで。勉強も得意で。外を走って、家でご本。活発な子だったと思います」


 父親、ウィリアムズ氏は実業家。母親は円城鉄治の姉。

 そもそもを遡れば、祖父の代からウィリアムズ家と円城家は仕事上の付き合いがあった。

 先々代の息子同士として、父親と鉄治の間に交流が生まれ、いつしか父親と鉄治氏の姉が所帯をもち、シャーロットが生まれた。

 両家は血縁で結ばれ、海を挟んでいても親しい間柄だった。


 アメリカでは多くの教育機関で、優秀な子どもには上級学年の授業を学ぶことが許されている。両親それぞれの優秀さを受け継いだシャーロットは、幼い頃からいくつも上級学年向けの講座をとり、実質的な飛び級状態になっていた。


「そして、15歳のとき、先生に出会ったんです」

 若くして逝ってしまった、シャーロットの恩師にして、恋した人。


「先生は、優しくて、いつも私の話を聞いてくれて――そして、私に期待してくれました」


 シャーロットの優秀さを見いだして、評価してくれた先生。田舎の高校では、シャーロットの能力に適応できるだけの授業がそもそもなかった。先生は、飛び級をして早々に大学で学ぶことを提案し、家族とも話し合った。シャーロットもそれを望んだ。


「先生に期待されることがただ嬉しくて、それに応えたくて……でも、飛び級をして大学へ進む、ということは、地元からも先生からも離れることで……」


 16歳で、ロサンゼルスの大学へ進んだシャーロット。国内とはいえ、距離にすれば4000キロ、3時間の時差……異国といっていいほどの距離がある。


「寂しくなかった、はずがありません。勉強についていくのはなんとかなっても、先生が近くにいない、ということの重みが、初めてわかりました。明日もまた会える……当たり前が消えるのが、あんなに辛いなんて……なくして初めて気付くなんて、本当に、子どもでした」


 まめに地元へ帰り、帰るたびに先生を訪ねた。

 進学先であったことを報告する、という建前で、先生にたくさん話をした。


「頑張ってるね――そう言って、微笑んでくれる先生との時間が、私の本当に欲しいものでした。このままこうしてブリストルにいたい、って何度思ったかわかりません……でも、先生は 『また、頑張るんだよ』 って私を送り出しました」


 3年が経って卒業しても、シリコンバレーで研究職に内定していた彼女は、ゆっくり地元に戻って休んでいるわけにもいかなかった。


 ―――そして、卒業してしばらく経ったある日、彼女は一本の電話を受けた。


「パニックになりました……見た目は、おとなしかったと思います。頭が混乱しすぎて、食事や睡眠まで忘れてしまってたそうですから」


 何週間か経過し、彼の死が、次第に現実として認識されるようになり、シャーロットは気付いたのだという。


「私は、結局何も先生をわかってなかった。恋をしているつもりで、ただ一方的に甘えていただけでした」


 ◇


「先生はいつも私の土産話を聞いてくれて、いつも笑顔で励ましてくれて……でも、本当はその頃からずっとカウントダウンされていたんです。怖くて仕方なかったはずなのに、わたしは何も気づけなくて、自分の話ばかりしていました……」


 死を理解したあとに、シャーロットがもったのは、疑問の感情だった。 


「最後まで、どうして先生は何も言ってくれなかったのか……わからなかった。そんな大切なことを分からない、気付きもしなかった私こそがおかしい、と思うようになりました。甘えるだけ甘えて、相手を何も理解できないなんて、子どもの心のまま成長できてないって……」


 かぐや姫――人の世でたくさん愛情をもらって、10年かけて心を得たあの物語に、シャーロットは強く共感していた。

 哀しそうに、うっすらと笑みを浮かべる。

「……罪悪感なのでしょうか、重いものが胸にずっと残って……早いものです。先生と高校で過ごした頃から……もう10年経つのに」


 ……なるほど、可哀想な話だ。


 だから、素直に言った。

「むくわれない……気の毒な話です」

「そうです。私が……こんなだから」


 シャーロット、おそらくそこが思い違いなんだ。


「そうじゃなくて……報われないのは、彼の思いです」

  彼女が頸をかしげて、こちらを見る。


「聞いた話からです。想像の域は出ませんけど」


 少しだけ想像で補完して、月夜の話をしよう。


 ◇


「……彼は、あなたに話す気が最初からなかったのでは、ないでしょうか?」

 シャーロットはリラックスした表情で、マグカップをいじっている。窓からの月光が青白い光で部屋のなかのものを染めている。


「彼は、あなたに病気のことをバレないようにしたかった。シャーロット、あなたの前提が違っていたんです。あなたに話せなかった、ではなくて、とことん黙っていようと、彼自身が固く決意していたんです」


 シャーロットは少しすねた顔をする。

「それなら、なおさらどうしてって……信用されてない、子どもだったから?」

「それこそ誤解だったのだと思います。10年経つ今なら、冷静に振り返ることもできるはずです。10年あれば、心が備わる……それくらいの時間だそうですし」


 ――シャーロットが授業を思い出したのだろう。軽く微笑む……が、ちょっと哀しげだ。


「彼が話さなかった理由は、他に比べるものがないくらい、あなたが……あなたの未来が大切だったからです。彼はシャーロット、あなたの土産話を、いつも笑顔で、しっかり聞いてくれたでしょう?」


「ええ……すごく楽しそうに聞いてくれました。こんな勉強したんだよ。こんな研究してるんだよ、発表が認められそうなんだよ……いっつも先生はにこにこして、凄いね、頑張ったね、って……本当に楽しそうに」


 シャーロットの瞳から、静かに涙が流れる。きっと、たくさんの積み重ねがある。


「答え、とっくに出てたじゃないですか――飛び級までさせて、あなたを明るい未来に送り出したことこそ、彼のやり遂げたことだった。鉄治さんから聞いたところでは、彼は相当な長患いだったそうです。だとしたら、彼があなたの伸びやかな成長を見ようと思ったら……一刻も早く、大学へ、その先へ進んでほしいと思ったのも、不思議ではありません」


 シャーロットは、目を少し、見開いた。

「私を……送り出す、ところから……先生の願い、だった……?」


「あなたが前向きに生きて、たくさん成果を上げること……彼はその姿を見たかった。

 だから、あなたが早く可能性を伸ばせるように飛び級を勧めた。里帰りしたあなたの成長を喜びながら……これから消える自分に、あなたが目をむけてしまわないよう、自分の事情は隠し通した。毎日顔を合わせる関係では難しかったでしょう。そしてぎりぎりまで入院せず、病状を隠して勤務を続けたのも、あなたの足を止めさせないため、限界まであなたを見守るため……そう考えれば腑に落ちます」


 とても先生らしい愛の形。

 最後までシャーロットを見守って、背中を押すことだけを考えた。


「愛するというのは、その人の幸せのために、心を傾けることです。あなたにとって、一番良い形を、先生なりに考えてくれた――愛してくれた結果が、この形だった。

 あなたが10年前に忘れてきたのは、確かに愛されていた、という自信です……あなたは、先生に、ちゃんと、愛された。闘病の苦しみ、死の恐怖、全て隠した彼の愛は、きっとあなたへの渾身のメッセージでもあった――」


 ――私に構わず、人生をただ前に歩みなさい、と。


 シャーロットは目をつむり、身体の力を抜いた。

 しばらく黙ったあと、彼女は自分の肩を抱いて、

「Michael……」

 彼の名を、一度だけ呼んだ。



 彼女が寝息を立て始めたタイミングで、そっと毛布をかけた。


 ……月の光を浴びて、かぐや姫は眠る。


 

 ◇



 目覚めると、一人になっていた。

 小さなメモが残されている。

 会話は完全にネイティブだが、書き文字は……なかなか大変そうだ。



 たつみ先生、ありがとう。

 先生のお話、きっと、そうだったんだって思えました。

 お礼、しようと思います。

 楽しみにしてください。


 Charrotte

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