17 今夜も月が綺麗です
2月1日(金) 午後10時
自宅のドアが開いていた。
警戒しながら開けると、奥から「おかえりなさい」と声がした。
◇
明かりを落としたままのリビングに、自分の家のような体でシャーロットが座っている。
もうすぐ新月……細い月だが、冬の澄んだ空にはそれなりに明るい。大きな窓から、青白い光が室内に降り注ぎ、彼女を浮かび上がらせていた。
「辰巳先生、こんばんは」
「何しに来たんです」
どうやって入ったんです、と聞くのが普通なのだろうが、聞くだけ無駄だ、と思えたので、とりあえず状況を受け入れてみた。
シャーロットの「アナログ錠は、下手な電子ロックより難しいですね」という不穏なセリフは無視する。
「月が綺麗だったので……少し、おしゃべりにきました」
悪びれる様子もない。
なるほど、この女性にとっては、入りたい、と思った場所に入っただけで。そこに自分以外の判断は要らないのだろう。おそらく俺が在宅していたなら、チャイムを鳴らして入ってきたのだろうが……外で待つには寒かった、ということか。
「男の一人暮らしの部屋になんて、入るもんじゃありません」
「なぜです?」
「間違いが起こるかもしれない。あなたはか弱い女性でしょう」
一応、諫めてみる。
「抱きたくなったら、抱いていいんです。だから、問題ありません。私にも、辰巳先生にも」
そう言って、シャーロットはニットを脱ぎ、身体にぴったり張り付いたシャツ姿になった。身体の線を見せたのは、わざとなのか、暑くなったからなのか。
実際、部屋の中はすっかり暖まっている。
座る前に二人分のお湯をわかそうと鍋を火にかけた――一人だと、ケトルより便利だ――が、しばらく時間がかかりそうなので、話を始めることにする。
「シャーロット、それで、何のお話です」
「辰巳先生に、謝ろうと思って」
◇
インスタントコーヒーを口に運びつつ、シャーロットが話す。
「こんな風に、辰巳先生を異動させるまでやるなんて、思いませんでした。鉄おじさんが本気でそこまで考えてるとは……私までそれに利用して……ちょっと怒ってます」
「この前の夜は、うちに入るところまでシナリオ通り、でしたね?」
「……ごめんなさい。おじさんが言い出したことですけど、なんだか……楽しそうだったので」
シャーロットが、申し訳ない、という顔をしているが、心底反省している様子、ではない。きっと本人の言葉どおり、楽しかったのだろう……。
あんな深夜に、ばっちりのタイミングで、自室への連れ込みシーンをスクープしていたのだ。鉄治氏が関係していないわけがない。
「私自身は、補助教員なので……おじさんを止めるほどの権限がありません。おじさん、すごく優しいおじさんなんですけど、咲耶がからむと人が変わるというか……咲耶と仲良くする男は排除、みたいに考えちゃうところがあって……」
「今回の出来事は、全部、咲耶のため……?」
「ついでかも知れませんけど、私を元気づけたいというのも、きっとあったと思います。私、大学出てからいろいろプロジェクトに参加して、お金も儲かりましたけど、何のために研究続けているかわからなくなってて……研究所やめて、アメリカでぶらぶらしてたんです」
優秀な研究者だった、と鉄治氏も言っていた。
「日本で、咲耶の近くで仕事しない?って鉄おじさんが誘ってくれました。お金はそこそこでも、これまで稼いだ分があるから困らないし。気分転換をさせてくれようとしたのかな。あれで、優しいおじさんなんです」
鉄治氏の一番の狙いがどこにあったかはわからないが、とりあえず、シャーロットのことをただ利用するつもりだった、というわけでもないらしい。
「そのときに鉄おじさん、咲耶が先生との禁じられた恋にはまりかけて困ってるって。暗に、邪魔して欲しい、みたいなことも言ってきて……私も昔、先生が好きでしたから。本気で邪魔しようなんて思いませんでした。応援してあげたいって思ったくらいです」
応援してあげたい……といいつつ、凄いことをされた気がする。
「その割には、私に大胆なことしましたね……」
「うーん。そのあたりは、咲耶と感覚が違うんです……私は、スキンシップに……前向きというか……咲耶には賛成してもらえませんけど。
お互いがセクシーと思うってことは、深いところで惹かれ合ってるってことで――もしかしたら、心とかよりも深いところで。だったら、あとは抱き合うだけでも素敵って思いませんか。温め合って、心臓の音を聴いて……お互いが生きてるって確かめるんです」
これも鉄治氏の言う、シャーロットの止まった心のせいなのか……しかしこの一族は、どいつもこいつも……。
「なんか、あなたの一族の特徴が見えてきた気がします」
「ん?」
「何事も自分基準で遠慮なしで、欲求に正直」
シャーロットはくすくすくす、と蠱惑的な目で笑みを漏らし――
「よくできました」と褒めてくれた。