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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
三章 竹取物語の時間_2019年1月編
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10 虎のしっぽ

1月18日(金) 午後3時20分


 授業が終わって職員室へ戻ると、職員室入り口で教頭に呼び止められた。

「辰巳先生、ちょっと」

 指先で小さく手招きされて、そのまま校長室へ誘導される。

 

 緊急性がなければ、自席に戻ってからでいい。

 その場で話せる内容なら、わざわざ場所を変えない。

 すぐ解決する内容なら校長室は使わない。


 ――何か、面倒なことが起きた、ということだ。


   ◇


「辰巳先生、これなんだがね……」

 

 応接スペースのソファに腰を下ろして話す。

 目の前に教頭、左斜め前の上座に校長が座っている。


 教頭が渋い顔で、テーブルの上に置いた写真を示した。


 見覚えのある玄関ドアに入ろうとしている男。

 男の左脇を、女性が支えている。

 しばらく、誰の写真かピンとこなかったが、数秒見つめて、気付いた。

 


 俺と、シャーロット――ふたりで俺の部屋に入った晩の写真だ。


   ◇


「……こんな写真が、送られてきてね。これは、辰巳先生と、シャーロット先生、で、間違いありませんか」


 顔が写っていない、とはいえ、しらばっくれるには無理がある。そもそもこの玄関は、俺の家だ。

「……はい。うちの玄関、だと思います」


 教頭も、校長も黙ってしまった。どう話したものか、と困っているのが空気でわかる。校長が教頭に目で促すように合図を送り、教頭が仕方ない、という風で再び話し出した。


「……辰巳先生も、シャーロット先生も、もちろん、もう立派な大人ですからね。本来、どうこう言う話じゃないってことは、わかってるんですよ……ただ、ただですね、シャーロット先生は立場が立場ということもあって……」


「立場……?」

 何の話だ?


「シャーロット先生は、教育委員会の方々とも、大変縁のある先生でしてね。辰巳先生は、ご存じなかったかも知れませんが」

 校長が横から説明に入ってきた。

「……まだ日本に来たばかりで、現場の先生が……その、自室にお連れした、ということで、まあ、そういった行動が、問題になってしまっているというか……」


 校長の歯切れの悪さのせいで、皮肉にも理解できてきた。

 これは、公務員の世界によくある、校長や教頭が 「忖度(そんたく)」 しなきゃならない案件だ。


 英語補助教員のシャーロット先生は、普通に考えれば立派な成人で、恋愛をすることでとやかく言われる筋合いなどない。


 でも、それは表向き、ということだ。


 彼女に対し、現場の教員が軽々しく口説いたり、夜中に自室に連れ込んだり、ということがあると、強力な権限をもっている誰かの機嫌を大きく損ねる……そうすれば、校長や教頭の転勤や、その学校にいる先生方の人事にまで、悪影響が及んでくる、というタイプの厄介ごと。


 すべてをルールで行っているように見えて、こうして裏にもう一段、外部からは窺いしれない暗黙のルールが存在する……外との付き合いが少なく、内部にイエスマンが増えやすい教育界の裏の顔だ。

 部活動における協会の重鎮や、教育委員の実力者など、公私の区別がつかない重要人物はたくさんいる。そうした人間が不快に思うことが起きると、驚くほど、わかりやすい「影響」が出る。


 個人的に気に入らない人間がいれば、現場の幹部に「忖度」させて、業務評価を下げ、人事部を動かして左遷させたり、不便な田舎へ飛ばしたりなんてことも……。人事システム上は、完全に合法的に、粛々と処理されるから、これは問題にもならないし、表面化もしない。


 シャーロットは、そうした連中とつながりがある。そして、俺はそのルールを踏み越えた――つまり、虎の尾を踏んだ。


「もちろん、もちろん辰巳先生が恋愛をされることは自由ですよ。どなたと付き合うかも……あの……でも、ちょっとお聞きしたいのですが……シャーロット先生とは……どういう……?」


 教頭のあまりの低姿勢に、聞いてるこちらが気の毒になる。権力者からは怒られ、部下の俺からは下手な言い方をすればパワハラで訴えられかねない。その板挟みあってこその低姿勢だ。

 

「他の先生方とお酒を飲んだ帰りに、酔った私を介抱してくださっただけです。でも……」

 おそらく、事実関係の確認、だけの指示ではないはずだ。上からどんな話が教頭や校長に降りてきているのか、こちらも知っておきたい。


「ここだけのお話で結構です。上はどんな感じの要求を降ろしてきてるんですか」


 はぁ、と大きく校長がため息をついた。

 筋の通っていない話なのは、わかっているのだ、と暗に示している。


「シャーロット先生の近くに、こうしたことをする先生がいるのは、好ましくないのではないか、と。そう言ってきててね……」

「俺に、異動しろ、ということですか」

「教育者として、そうした軽率な行動はどうか。真剣に結婚を前提とでもいうならまだしも……と」

 校長が、もう一度深く息を吐く。


「なんですか、それは……」

 身体の内側が怒りで熱くなる感覚と、呆れる感覚と……ごちゃまぜになってきた。


「いいがかりだ、ということは、十分、わかってるよ……辰巳先生。でも、何も考慮しないってわけにも……難しいんだ。いろいろな先生に影響が出るし……」


 やるせない気持ちになる。

 自分の人事について嫌がらせされるだけならまだいい。職場の仲間を人質に取られるのは……。


「今、2年生の担任団の一員です。残り1年で突然離れろって、あんまりじゃないですか」

「我々も……そう思ってるよ」


 この手の話が面倒なのは、そもそも筋が通っていない、ただのいちゃもん、であるところだ。

 筋の通ってない話なので、こちらが筋で切り返そうとしても通用しない。ただし逆らえば、怒らせてはいけない人が怒り、いろいろなところに悪影響が出る「だけ」だ。


 校長が、少し疲れた様子で、眼鏡を外した。

「ときに……辰巳先生、立ち入ったことを聞くけど、シャーロット先生と、真剣にお付き合いをされる、という選択は、ないのかな?大変な美人だし……」


 裸眼でこちらをじっと見る校長。

 とんでもない提案に、腰が砕けそうになる。


 ただ、校長や教頭から見れば、決して突拍子がないわけでも、メリットがないわけでもない提案なのだ、と理解した……現実感のない話、と感じているのは、俺だけということなのか。


「辰巳先生……筋の通った話、と思えないことはわかってるんだがね、ちょっとさ、一応、考えてみてもらえないかな」


 そう校長に諭され、校長室を辞去した。


――異動。


 担任をもっている子たちを放っていけなんて……冗談じゃない。

 そう考える反面で、心のどこかで「それも、いいのか」と感じている自分がいた。

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