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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
二章 羅生門の時間_2017年4月編
42/118

20 追加講義 「円城咲耶」

 円城はまず、体育祭で3年生を狙い撃ちにした。実力と傲慢さを示して、わざと目立った。自身こそが憎むべきターゲットである、と広く知らしめた。


 並行して、校内で人気の男子生徒三人とたて続けにデートし、その親しげな写真を自分からばらまいて、悪意や嫉妬を盛大にかき立てた。

 これをずば抜けた美貌の、1年生にやられたのだ。写真に写った3人の男子には、それぞれ結構な数のファンもいた。ファンの多くは上級生だったが、その女子たちに円城は「先輩たちの憧れの彼など、私なら、3人まとめて落とせる」という痛烈なメッセージを叩きつけたことになる。


 しかも、これはただの自爆的な報復ではない。


 尾上を苦しめた者たちに嫉妬させるのは、円城自身、怒りにかられての意趣返し、という面もあったろう。だが、そこにはしたたかな計算も含まれていた。

 彼女の本当の目的の一つは、学校中の女子からの悪意を自分に集め、結果として尾上の話題から目をそらすこと。

 次に、『被害者』としてデート相手に福井真吾を巻き込むことで、尾上千絵との関係を周囲から覆い隠すこと――福井が面談で言ったとおり、円城は「福井と尾上が話をできるように、力になった」のだ。


 消極的な悪で人の心をえぐった、姑息な者たちへ。

 全てを焼き尽くす円城――炎上姫による渾身の放火テロ。


 それは、円城の並外れた器量も手伝って、驚くほど成功した。

 だが、引き換えに、必然的に、円城に降りかかった悪意の濁流は、計算外の勢いになってしまった――円城本人が慄き、怯えるほどの勢いに。


「もう、ここが潮時だろう。円城、君がやったことの良し悪しは、あえて問わない。他の先生方にも黙っておく。でも、もう十分だ。ここで謝って、ぜんぶ終わりにしよう」


 教員として、マニュアルに沿った仕事……というなら、円城の真意を聞いて共有した上で、考えを改めさせる指導を学校として実施……となるだろう。でも、今回それをしたら……からくりが公になったら、このテロの効果は大きく減じる。

 ここまでの覚悟で、友人のためを思って行動できる生徒に、効果的な「指導」のできる大人なぞ、どれだけいるものか……マニュアルなど放置でいい。


 円城の瞳は揺れている。

 だが、まだ険しい。

「終わりになんて、できません。私は人から恨まれるために、やったんです……これは、私が進んで招いたことです……」


――本当に、この子は……人の気持ちばかり。


「いい加減にするんだ。誰でもない、君自身が、こんなに苦しんで、怯えてるのにか?」


 円城をまっすぐに見て、続ける。

「人一倍優しい君が、自分から人を傷付けて、恨まれながら超然と振る舞って……他人の話は後でいい。どれだけ自分を追い詰めた?……まわりじゅうに火をつけた先に、何があった?」


 円城は視線を下に落とした。顎のラインにあったかすかな震えを、ぐっと噛みしめた。

「――全部、自業自得です」


「そうはいかない。君は、尾上の過去が蒸し返されたとき、俺に()()()()()。君が書いた、続・羅生門……やるせなさをぶつけて書いたあれの意味も……もっと早く読んで、すぐ、気付かなきゃいけなかった。君が出していたサインを見逃した俺にも責任はある」


――授業の続きだ。

「授業で話したろ。羅生門で、下人は悪を為した。でも、リアルでは、芥川は伯母さんを傷付けられずに、代わりに羅生門を書いた。物語で堕ちるならいい。でも、現実では芥川自身さえ、下人とは反対側――悪を為せなかった」


――問題は、下人側……悪を為してしまった人間の、その後。


「……悪を為して闇に堕ちた人間がどうなるか。羅生門には続編ともいわれる 『偸盗(ちゅうとう)』 という作品がある。完全に崩壊した平安京で、殺人も当たり前になった盗賊団がお互いを裏切る……闇の底の物語だ。芥川は、闇であがき、何かを見いだそうとする人間を描こうとした……といわれている」


「……闇の底で……何か見つかるんですか」


「何も……『偸盗』は書き上がったものの、芥川自身が、酷い失敗作、読み返したくない、と言っている……確かに、読むほどに闇の重さばかりが増す作品だ。結局、芥川は堕ちた底に光を見いだせなかったんだと思う。君は続・羅生門でも、リアルでも、周りを火の海にした。その怒りはよくわかる……でも、本当に大切なのは、燃やしたあと……今、ここから先だ」


 円城は黙ったままだ。

 でも彼女は賢い。とっくにわかっている。


「一人で闇に堕ちるなんて、もうやめろ。そこには何もない。痛みや後悔しか残らない。だから、もう――戻ってくるんだ」


 円城の両手が自然に上がってきて、そのまま顔にあてられた。

 ふるっと背中が震え、円城は嗚咽を始めた。

 身体を震わせて「なんで、なんで」と繰り返す。


 小さな背中に、手をそっとあてた。

「納得いかないのは、君だけじゃない。俺だって、なんでって――思う。少しの悪意、少しの嫉妬……そんな小さな後ろ向きでも、たくさん集まれば人の心をえぐるんだ。だから――」


――辛くても、心はちゃんと前に向けるんだ。


「君は優しい。だから傷つけ返すんじゃなくて、癒せるように。ここでやりなおして……ちゃんと、謝るんだ」


 円城が泣き止むまでには、しばらく時間がかかった。


 ◇


「……ほんとは……怖かった。すごく、怖かった」

「ああ……人から恨まれるって、本当に怖い。でも、実際にそうなってみるまで、わからない。円城、スマホで、君に届いたメッセージを、見せてくれないか」

 スマホ、メッセージ、という言葉に円城が小さく、びくりと震えた。


 スカートのポケットに入れたスマホをとりだし、ゆっくりした動きでSNSのアプリを開く。そのまま素直に差し出してきた。


 ――一瞥して、目を瞠る。300件以上のメッセージ……円城に寄せられた悪意と敵意。


 何も言わず、片っ端から削除していく。

 一瞬、円城がぴくりと手を動かしたが、そのまま俺が操作させるに任せている。


「……私、たくさん、人を傷付けました。だから、そのメッセージもちゃんと読まなきゃ、と思って……でも、胸が苦しくて……」


「読む必要はない。一時の感情で送ってしまった暴言なんて、読まれず消えた方が、送り手にだって救いだ」

 メッセージが円城の手元に残っていたところで、彼女を再び追い詰めるか、送り手の責任が問われるきっかけになるか……くらいしか意味をなさない。


 削除を終えた。


「先輩たちにも、その先輩たちを好きな子たちにも……みんなに嫌な思いをさせました。きっと、怒ってます」

「そりゃそうだ……だから、間違えたことはちゃんと謝ろう。せめて、デートした先輩たちには」


 円城は小さくなる。幼子のように。

「……怖いです」

 目からぽろぽろ涙が落ちてくる。まるで、だだっ子だ。


「福井と尾上は、君がしてくれたこと、そこに込めた気持ちも理解してる」

 そうでなくては、福井は協力しない。

「それに……君の優しさをわかっている人間なら――ここにも一人いる」


 円城の顎が、少しだけ上を向いた。


「センセイも……わかって、くれてる……」

「……味方がゼロってわけじゃないんだ。こんなときくらい、頼れ」


 円城が右手の指先で、俺の袖口をきゅっとつまんだ。


「それでも怖いなら、一緒に行ってやる……でも、謝るのは、自分でするんだ」


――円城はゆっくり、でも、しっかりと頷いた。

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i360194
― 新着の感想 ―
[良い点] そういうことだったんですね! 円城さん……! なんて良い子なんでしょうか……! 悪を憎む、その憎む心をも憎み、自分自身を燃やしてしまおうとする……すごいピュアですね。 胸が痛みます。
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