19 発火点
6月26日(月)放課後 生徒指導室
目の前の椅子に、円城が座っている。
等間隔で並べた3枚のデート写真。
――制服を着た一枚目のデート写真は、バスケ部の福井真吾と。
――私服で遊園地の二枚目は、軽音部の横山卓也と。
――縁日で撮った三枚目は、サッカー部の原大樹と。
「このデートの写真、3枚とも、君の写真であってるかな」
「……はい」
核心は、ここからだ。
他の先生の目のないところで話をするために、今日を待ってこの場を作った。
「この写真は、君の指示で、福井真吾が撮った。そうだね?」
円城は一回、ゆっくりと目を閉じ、開いた。
長いまばたきのようにも見えた。
「……私が、先輩に写真を撮ってネットに流すようお願いしました。なので、全ての責任は私にあります」
「君が何を考えて、こうしたのかは、ある程度わかってるつもりだ。でも、それでもここまでやる必要があったのか、俺にはどうもわからない」
円城の瞳は、落ち着いた色をしている。その色は、おそらく哀しみだ。
「先生は、廊下を歩いていて、すれ違った子たちの笑顔が怖くなったことがありますか」
「……どういうこと?」
「……自分を噂してるんじゃないか。汚い、とか。可哀想、とか。ひそひそ噂されて、そのうち、すれ違う子がみんなそんな噂してるように見えてくる……そういう経験、したことありますか?」
幸運にも――ない。
「千絵は、そうやって苦しんだんです。優しかった千絵が、すっかり思い詰めて、暗い顔で怯えるようになりました。私にも頼ってくれなかった。千絵は、私を助けてくれたのに……」
「尾上が、君を助けた……」
「先生、私は何も見なくても、入学式で挨拶できるくらい、凄い子だと思ってました?」
円城が、口の端で小さく笑った。
――思っていた。
でも、違ったのだ。
この子は、そう思われてきた子だ。
「入学式前、私たち、教室でずっと入場まで待たされてました。挨拶するの緊張するーって後ろの千絵に言ったら、ここで、二人でこっそり練習しようよって言ってくれたんです。スマホの文面を千絵が見て、私をテストしたり……何度かやって、すっかり文が頭にはいって 『これなら、紙なくてもいけるね』 なんて話して」
円城は微笑んだ。
「まさか本当に印刷してない、なんて思いませんでしたけど……千絵との練習思い出したら、壇上で笑っちゃって……あの練習がなかったら、どうなってたか……」
小さな恩で始まった、友人関係。
「部活紹介で福井先輩を見つけて、千絵は本当に奇跡だ、お願いが叶ったって、大喜びしたんです。千絵、私には家庭であった事情も話してくれました。でも、先輩との再会は怖がってて。大丈夫だからバスケ部いこう、って励まして。やっと千絵もその気になって……」
円城は、腰が引けてしまう尾上の手をとって、バスケ部の扉を押した。彼女がマネージャーになるのを見てからも、自分の部活選びはほったらかして、尾上の様子を見守っていた。
「入部したての頃、千絵は本当に楽しそうでした。福井先輩のそばで、話せる、笑える……それは本当に彼女が願ってたことでしたから……」
でも、そんな時間は長く続かなかった。
「千絵が福井先輩と親しくなった途端、まわりからイヤなものがにじみ出したみたいでした」
マネージャーの菊池をはじめ、何人もの女子が嫉妬をした。
「気持ち悪い、って思いました。いろんな人がコソコソとネットに書き込んだり、噂が流されたり……千絵が追い詰められるまで、あっという間でした。人が幸せになるって、そんなに妬ましいですか」
――多寡の差こそあれ、妬ましかったのだ。だから、悪意を隠しながらも、どこかで千絵が躓くことを期待して行動した。傍観者の利己主義、だ。
「それだけ、千絵に過去は堪えられない、忘れたいものだったんです。他人が踏み込んじゃいけない傷だったんです。それを無神経に踏み荒らした人たちに、責任がないと、先生は思いますか?」
「……もちろん、思わない」
「もういい咲耶、ほっといてって。咲耶にはわかんないって。私は、隠さなきゃいけない傷がいっぱいあって、綺麗じゃないから――そう言われました。そう言って泣く千絵に、私は何もできなかった」
円城の顔は真っ青だ。
彼女はきっと人一倍、優しい――感受性が強い。
だから、気遣ってくれる友人を拒絶するしかなかった千絵の絶望まで感じてしまう。
「おかしいです」
円城の言葉がうわずってくる。
「おかしいです。千絵、なにも悪くないです。どうして千絵が苦しまなきゃいけないんですか?あんなに優しい福井先輩が苦しまなきゃいけないんですか?先生、ちゃんとした答えを……教えてください」
円城の顔がゆがんだ。
「それがわかったら……先生も、もっと上手く、指導できたと思う」
この子に、小細工はしたくない。
「……力不足で、すまなかった」
――そして、円城は復讐を始めた。
尾上を傷付け、追い詰めたもの……周りの悪意に。