4 美術部のエース
午後5時 第二校舎 西階段
結城の血まみれの顔は動く様子がない。
まぶたも閉じられたままだ。
一応もう一度、脈拍と呼吸が安定していることを確認する。
異常がないことを確認したので、少し落ち着いて周囲を見回してみる。
階段で転んで……何段か落ちたのか?
彼女の足は3階方向、頭は踊り場の壁に向かっている。階上から走ってきて、階段を踏み外した、と考えるのが自然な体勢か。右の上履きが脱げているのも、そのときの衝撃のせいか。
周囲の床、壁に他になにか……。
きょろきょろしてみると、彼女の身体から30センチほど離れた場所に、指先大のうっすらと黒っぽいものが見えた。顔を近づけてよく見ると、硬質な光沢がある。
何かの破片?
指でつまみあげるには薄すぎるようなので、懐からビニールの小袋を出し、爪先でずらすように中へ入れた。ピアスなど、生徒が禁止されたものを校内で身に着けていた場合に、没収して預かるための袋だ。各先生が持ち歩いている。
袋を天井の蛍光灯にすかすように観察すると、どうやらガラスの小片らしい。
……なんだ?
関係あるとも、無関係ともわからないが、学校の階段にガラスの欠片がそうそう落ちているというものでもない。まわりの窓を見上げてみても、ヒビや割れのある窓はない。
ジャケットのポケットに小袋をしまった。
ようやく、階下からバタバタと多人数の足音が聞こえてきた。
結局、会議に遅刻した件はうやむやになった。
◇
結城琴美は、二年生ながら、美術部で最も多く賞を取っているエースだ。
色白の肌に、セミロングの黒髪。澄みとおる、事物の奥底まで射るような瞳。ほっそりとしなやかな、小柄な身体付きで、大きな賞状をかかえた写真。すっかり校内では生徒からも教師からも知られた存在だ。
昨年度、入学してから彼女が頭角を現すまで、あっという間だった。
小説や漫画を作るうちの創作部と、純粋に画力を磨く美術部は、不思議な協調体制、兼ライバル関係といえるつながりがある。何人かは、両方を兼部してもいる。文化祭になれば、お互いの集客と展示のクオリティを気にして微妙な緊張も生まれる。
創作部顧問として、美術部の彼女の作品は一通り見てきたが、彼女は作品を仕上げる度にメキメキと腕を上げていった。
美術部副顧問の神田先生によれば、高校生には、器用なばかりで小さくまとまりがちな、テクニック先行の「上手い子」が結構いる、という。
でも、結城の凄さは、細かいテクニックではない、のだそうだ。本質を捉えるセンスと、その情熱をたたきつけるような作品の描き方――これは美術の神田先生の受け売りだ――つまり、美術の専門家から見ると、つい育てたくなるポテンシャルを秘めた生徒、なのだという。
◇
結城はあのあと、校内では意識が戻らなかった。
保健の石崎先生の見立てでも、頭を打ったことで意識を失った可能性が高いとのことで、できるだけ動かさないよう、救急隊員の方に運び出してもらった。
そのまま市内の病院に搬送され、二時間ほど経ってようやく目覚めた。最初に救急通報した者として同行したので、医者からある程度の所見を聞くこともできた。
頭を打ったときに側頭部に裂傷ができ、顔を赤く染めていた出血はそこからのものだった。出血量はそれなりにあったものの、幸い、意識や記憶に障害は見受けられない、とのことだった。目覚めた後、少しぼーっとしている様子はあったそうだが、これは時間で回復していくだろう、と言われた。
他に傷として、左手首外側に小さな打ち身、右手手首に軽い内出血が見つかったが、転落と関連しているのかは本人に聞いても、はっきりしないという。
ただ、学校に帰ってきた後、病院からの問い合わせで一つ気になることがあった。
結城が、スマートフォンが見当たらない、とひどく気にしているという。
「俺が見たときにも、まわりに落ちてる様子はなかったんですがね」
そう石崎先生と話した。