17 皆は、その女の写真を三葉、見ることになった
6月23日(金) 朝8時20分 始業前
「先生、大変なんです。円城さんの写真がそこらじゅうに貼られてて……」
職員室に駆け込んできたのは、1年4組の一ノ瀬と森だった。手にスマホをもっている。
山脇先生に、画面を見せようとしているので、一緒に並んで見せてもらう。
生徒にはおなじみのSNSアプリ。
連続した写真投稿がある。
一ノ瀬が見せてくれた一枚目の写真。
――円城咲耶が、デートしていた。
「これも」
一ノ瀬が画面をスワイプさせて、写真を切り替えた。
――違う男子と、円城咲耶がデートしていた。
「これも、です」
――さらに画面をスワイプさせると……さらに違う男子と、円城咲耶がデートしていた。
◇
問題の円城のデート写真がアップされたのは、一ノ瀬と森の話によれば、前日――6月22日の夜だったという。生徒が参加するSNSグループのいくつかに、3枚の写真がセットで貼られたアカウントへのリンクが書き込まれた。
貼ったアカウントの持ち主は分からない。
転載につぐ転載で一晩のうちに写真はばらまかれ、朝には学校中の生徒が知るところになったという。
「なにこの一年。三股とかあり得なくない?」
「騎馬戦で失礼だった子だよね。ビッチすぎ」
「氏ね。まじ氏ね。原先輩にさわんな穢れる」
「こんな性悪にだまされて……先輩かわいそう。純粋だからなー」
携帯からの書き込みは、すぐに身元がばれると生徒たちに話してきた。
しかし、陰口を書き込む流れが加速し、露骨な悪口を書く者が1人、2人、と出たあと、一気に決壊して収拾がつかなくなったという。何カ所からのグループを確認してみたが、それぞれに何件もの批判や悪口が書かれている。
人気の男子を3人まとめてたぶらかした悪女 『円城咲耶』 へのバッシングは、夜の間中、猛烈な勢いで続いていたのがわかる。
この調子では、彼女に直接送りつけられたメッセージも、相当数に上るはずだ。
カギなし設定で見られるものだけで、この状態だ。外からの目がない直接のメッセージでは、はるかに酷い内容が大量に送られている可能性が高い。
学校中で、少なくとも数十人以上の女子が、一夜で円城の敵になった。
悪意の渦に巻き込まれたとき、人の心は想像以上に脆い。これは教師をやって、現実に何度もそうしたケースを見ていなかったら、なかなかわからなかった感覚だと思う。
炎上した書き込みや、メッセージの山を見ただけで、精神的にショックを受けてしまう子は少なくない……というより、ショックは受けて当たり前。大なり小なり心を病むことも普通に起きる。それくらい、数で迫る言葉の暴力は壮絶なプレッシャーになる。
「円城は、学校に来てるか?」
一ノ瀬たちもわからない、というので急ぎ3階に上がった。
1年4組の廊下は、思っていたよりは静かだった。廊下の隅から教室内をちらちらと見ようとする、上級生がちらほら見られる程度だ。
物理的なお祭り状態――さらし上げをしてしまったら、学校も黙ってはいない……そう察することのできる生徒が多かったのは、不幸中の幸いだった。
教室のドアのところから中を見る。
円城は、いつもの自分の席に座っていた。
周囲には誰もいない。
手には文庫本を開いているが、果たして読んでいるのか。
ただならぬ沈黙。
無人の真空地帯のような、異様な場ができている。
席までまっすぐ歩いて近づく。
透明のバリアを踏み越えたような、ぴりぴりした空気を感じる。
手の届く距離まで寄って、円城を見る。
「先生、おはようございます。どうしたんですか」
かろうじて視点を落ち着かせて、平静を保っているような、ぎこちない笑顔。
俺はまだ息が落ち着かない。3階までのダッシュがきつかったのと……この場の異様な緊張感が原因だ。
「円城、正直に答えてくれ。昨日から誰かに危害を加えられたり、してないか」
「先生、朝、最初にするお話がそれですか……?」
無理に作っている、と一目でわかる不自然な笑顔。たしかに朝一番でおはよう、の前にする会話ではないが……こんな状態で普通もあったもんじゃない。
「ああ、あんな騒ぎになってるのを見たら……心配するに決まってる」
息を切らせていたせいか、思いのほか強い口調になってしまった。
円城が黙る。
少し潤んだ目を伏せる。そのまま、動かない。
戸惑い……いや、恐怖だ。
円城は、かすかに震えている。
一呼吸おいてから、こちらを気遣うように、口元だけでうすく笑みを浮かべる。
「……大丈夫、です。先生。何もされてません」
円城をしっかり見て、言い聞かせるように話す。
「何か、あったら、すぐに知らせてくれ。あと、今日は教室の外を、1人でうろつくのはやめてくれ。いいか?」
「……自由に歩くことが許されない校則なんて、ありました?」
「冗談言ってる余裕はないんだ。危険があるから、こうして頼んでるんだ。一日中、君を見てることはできないんだ……わかるな?」
円城は……哀しそうな顔をして、唾を飲み込んだ。
「……はい……ごめんなさい」
肩を落とした円城は、一回り小さくなったように見える。
――こんな華奢な身体だったんだ。
彼女を大きく見せていたのは、その能力とバイタリティだった。
◇
休み時間も、今日については目を離すわけにはいかない。
先生方と手分けをして、各学年の廊下を見回る。
教師の前ではおおっぴらにしないよう、気を付けているのはわかるが、それでもあちこちで円城の噂が流れていた。しばらく歩いてみれば、どれだけの敵意を向けられているのかが伝わってくる。
「信じらんない、なんなのこの1年」
「どんなビッチなの。身体でせまったとかじゃないの」
「帰りちょっと話しにいかない?真面目に気がすまないんだけど」
―――こんな呪詛まじり、嫉妬まみれのコメントがあちこちで漏れ出していた。
◇
同日放課後
円城の身柄をどう守るか。
教員による打ち合わせが昼休みに行われたが、結局、同級生に頼んで、一緒に下校させることになった。
そもそも、目に見えて起きてる現象としては、円城とデート相手の写真がSNSに貼られた、というだけだ。学校としては、どちらかといえば被害者になる円城を叱るわけにもいかない。周囲の悪意あるお祭り状態こそが問題の核ということになる。
放課後、各クラスで、ネットへの書き込みについて全体指導がまた行われた。
尾上の件に続いて、現時点での指導は「学校は見ているぞ」というメッセージを周知することが中心だ。
酷い書き込みをした何人かの生徒は特定できたが、その子たちへの指導も、今回については担任団による口頭指導までに抑える、ということが打ち合わせで決まった。
特定生徒だけを厳しく指導した場合、円城への逆恨みが加速し、余計収拾が付かなくなることがほぼ確実だからだ。
◇
週末は自宅でおとなしくしていること、一切ネットを見ないこと。
なんかあったら、すぐに連絡してくること。
円城と、その三つを「絶対に」と念を押して約束した。
彼女の下校には一ノ瀬たち、何人か方向が同じクラスメイトが同行した。
一団が学校から去って行くのを昇降口で見送ったが、その足取りは重かった。