13 ある日の「羅生門」授業 結
「前回の授業で書いてもらった、羅生門の続き――作文『続・羅生門』だけど、書いてみた感想はどうだった?」
一通り、羅生門の流れを解説し終わったところで、出した課題だ。
条件はタイトルに「続・羅生門」とつけるにふさわしい内容であること。それだけ。
「まだ提出していない人が半分いる。今週中に、自分で先生のところへ提出にくること。遅れた場合は、受け取りません」
既に長いものでは原稿用紙10枚を超えた大作も提出されている。まだ半分ほどしか集まっていないのに、読むのは大変だった。間近に迫ってきている期末テストの頃までには全員分を読み終え、評価をつけ終えないと、成績に反映するのが間に合わなくなる。
作文では多くの生徒が、下人のその後、を描いていた。老婆に謝罪するために門へ戻る下人、悪事を重ねてさらに堕ちていく下人……老婆のその後に焦点を当てた作品もあった。
ただ、全体としては、やったことを悔いて、もう一度真っ当な道に戻ろうとする下人の作品が一番多そうである――明るい気持ちになる反面、飢え死にするほどの困窮、が現代の生徒にはなかなか想像つかないのだろう、とも思う。
「今日は、羅生門、そして芥川龍之介について、少し深い話をしたい。作品の大きなテーマ、エゴイズムについてだ」
エゴイズム……エゴ、自分勝手。自分は自分、相手は相手、というわかり合えない「自己の壁」とでも言おうか。芥川作品では繰り返し出てくるテーマである。
「本編で下人と老婆はたくさん会話したが、お互いへの理解が根本的に行き違ったままなのは、授業で話したね。下人は老婆を理解しないまま怖がるし、その反動だけで怒る。老婆はなぜ怒られてるかわからないまま、的の外れた言い訳をする……哀しく、滑稽なほどに、お互いはすれ違ったままだ」
芥川は、人と人とのわかりあえない部分。それぞれが自分の立場や利得をいつの間にか優先して、自分しか見えなくなるところ……エゴイズムに気付いて、それを描いてしまう。敏感な感受性ゆえに、すれ違う人間の悲しさを知り、それを茶化すことを作品で繰り返した。
「羅生門の世界では人々が追い詰められていて、仏像や仏具を砕いて正体を隠して売る人間や、それを知らない素振りで買っていく話をしたよね。後半では、蛇を魚だと言って売ってる惣菜売りの女の話も出てきた。老婆は、タブーだった死体の毛による鬘作り。これも黙って売り飛ばすわけだ。
誰もが自分のエゴで『バレなければ責められない悪』にコソコソ手を染めてる、という共通点がある」
生徒が、ふむふむ、という顔で聞いている。
「その、コソコソした、消極的な悪の対照的な存在が、下人だ。誰がどう見ても『悪』という、積極的な悪人。コソコソした人間達を、正面から蹴り倒す悪だ」
老婆を襲って強盗する――言い訳のしようもない悪。
「ちょっと裏話をすると、芥川は、羅生門を書いた心情として『スカッとする小説』を書きたかった、と後に語っている。彼は生まれてすぐ母親が精神を病んでしまい、ずっと母の姉……伯母さんに育てられた。
羅生門を書く前、20代前半だった芥川は女性と付き合ってて、結婚するつもりだったのだが、その結婚を家族に反対された。特に彼にとって辛かったのは、伯母さんが強く反対したことだった。悩みに悩んだ芥川は、ついに結婚を諦め、女性と別れた。そんな事件の後に書かれたのが『スカッと』したくて書いたこの羅生門だった」
グチグチ口出しする家族たちと、コソコソ悪事をする平安京の人々。
芥川自身と強盗を為す下人。
それぞれ重ねて考えると、興味深い。
「最後に蹴倒して、着物を奪って酷い目に遭わせたのが『老婆』……芥川は育ててくれた伯母さんを大切にしていた。だから、結婚の反対にも従った。でも……心のどこかで、蹴倒したかったんじゃないか……悪になってでも言いたいこと、やりたいこともあったんじゃないか、と思えてくる」
ここで、用意してきたプリントを配布。プリントには、人それぞれがもつエゴを扱った芥川の代表作「鼻」が印刷してある。
「芥川の繊細な感受性と、人間のエゴを考える上で、とても良い短編なので、もってきた。師匠だった夏目漱石が、絶賛した作品としても有名なので、読んでみてほしい。」
――鼻のストーリーは単純だ。身分は高いが、食事も不自由するほど鼻が長い僧侶がいて、密かにコンプレックスにしていた。ある日、弟子が鼻を短くする方法を聞いてきて、実践する。すると鼻は見事に縮み、普通の人にしては長い鼻、くらいになった。
しかし、鼻が短くなったことで、僧侶は逆に生きにくくなってしまう。周囲の人は短くなった鼻を小馬鹿にして笑うようになり、僧侶を気遣う心をなくしていく。
芥川は作中で語り手となって、そこに「傍観者の利己主義」を指摘する。これは当事者じゃない人間が少しずつもっている、自分に都合のいいエゴだ。
他人の不幸を気遣う心の裏には、必ずいくばくかの、そのまま、不幸でいることを期待するような、裏返しの心がある――僧侶は、そのひそやかな悪意に傷ついたのだ、と。
鼻は結局、突然の発熱で元の長さに戻ってしまう。しかし、僧侶はそれに安らぎを感じた、という皮肉な結末だ。
「親しい友人がひどい成績で、赤点で進級もあぶない、としたら、キミたちはきっと同情して、助けてあげようと思うだろう。でも、その友人がそこから勉強に目覚めて、キミより高い成績をとるようになったら……どう思う?」
答えにくい質問なのは、承知の上で、円城にあてた。
「おめでとう、とは言いますよね。でも、そこから先は……なんか、すっきりしないかも知れません」
「その、すっきりしない、に潜むのが、この『傍観者の利己主義』だな……友人なんだから、おめでとう、良かったね、という気持ちも嘘じゃない。でもその裏で、なんか面白くないな……と思う影が生まれる。芥川は、そこに人間の逃れられないエゴがあると考えた。彼はあまりに……繊細すぎたのかもしれない」
芥川は、若くして心を病み、最後は自殺してしまった。
羅生門の授業も、これで締めくくりである。