11 お昼休みはひとりで
6月7日(水) 体育祭 前々日
昼休みに3階へのぼった。
最近、こうして生徒の昼食の様子をあまり見られなかったな、と思う。
テスト関連の業務、特に採点やらが忙しかったことに加え、例のネットの問題もあり、何かと時間をとられた。
自分のクラスをのぞく。
春の頃より、机のシマが小さく分裂しているのも、毎年恒例といっていい。
◇
――無理に友達になろうとしなくていい。
一年生に集会の席で日向先生がそう呼びかけた。
「同じクラスになったのだから、袖すり合うも多生の縁。ご近所さんとして、困ってたら助けたり、助けられたりできるようにはなってほしい。そのためにも、普段から挨拶くらいは気持ちよくしよう。
そんなふうに過ごしてれば、話が合うヤツ、一緒にいてほっとするヤツが見えてくるもんさ……人間関係なんて焦らなくても、自然にできる。できなければ、友達なんていなくたって別に困らないよ。友達の数を自慢するヤツなんて、たいていはタダのさみしがり屋だ」
生徒たちは、驚くほど日向先生の話に聞き入っていた。
「現に、俺なんて高校時代友達いなかったもん。それでも先生になれたし、かみさんとも結婚できた。問題ない……ああ、遠足の班分けで、よくまごまごしたけどな」
日向先生の生物準備室には、よく一人でいる生徒がダベりにきている。すました顔で、当たり前のように入り込んで弁当を食べている子もいる。でも、話してみると自分の世界をしっかり持っていて、面白い子が多い、と気づく。
◇
自分のクラス、1年3組の偵察を終え、隣は4組。
円城が自分の机で、一人静かに弁当を食べている。
かなり離れたところで、一ノ瀬と森、あと二、三人の女子が机を寄せ合っている。なんだか、以前より、ずいぶん静かに見える。
尾上の姿がない。
そこで、思い出した。
尾上の件で話をした数人の中に、一ノ瀬が入っていた。ほんの相づち程度だが、彼女はあの、尾上のDVについて交わされた書き込みに参加した。
この、明らかに瓦解した机の並び方……やはり、影響しているのか。
「こんにちは」
一ノ瀬たちのグループに声をかける。もぐもぐと食べながら、返事が返ってくる。
「今日は、尾上、一緒じゃないんだな」
一ノ瀬が、まわりの子の顔を見回した。いいよね?と目で聞いている。
「尾上さんに謝って、また一緒にご飯もって、言ったんです。でも……」
尾上は帰ってこなかった。
「尾上さん、怒ってる感じじゃなかったんですけど、しばらく、一人で食べたい気分なんだ、って言って。だから、気にしないでね、って。それっきり教室でお昼に見かけなくなって……」
「……そうか」
一ノ瀬なりに、胸を痛めもしただろう。でも、傷つける言葉を使う、ということは、こういう結果を招くことだ。
だから、せめて学んで、成長するしかない。
「今は無理に踏み込もうとしない方がいいかも知れない。時間を置くのも、ときには必要だ。でも、自分がしたことは、忘れちゃいけない」
◇
教室を出て、少し歩いて、廊下の角を曲がった。
目の前に、円城がいた。いつのまに先回りされたのだろう。
「先生、私、尾上さんのことで、とても腹が立っています」
優しい目ではない。決然、という言葉が似合う強い目をしている。
「どこかで、ご迷惑をかけたら、すみません」
頭をさげる。
先日のぺこり、としたかわいらしい動きではない。
覚悟を決めた――まるで、一国の姫君のようなお辞儀だった。
◇
尾上を探して校内を歩いてみる。
生徒があまり立ち入らない、4階の理科教室の近くにある階段に、一人で座っているのを見つけた。
「やあ、こんにちは」
「……こんにちは」
食事はもう済んでいるようだ。腰を落とし、目の高さを合わせる。
「ここは、落ち着くいい場所だね」
「そうなんです。なんか、気に入ってて……」
もう少ししたら、暑くていられなくなると思うが、今のこの時期、ちょうどほかほかと居心地よい感じになっている。
「先生、文芸同好会の顧問でしたよね」
「ああ、そうだよ」
在籍はゼロだけどね。
「私、文芸同好会に入ろうと思います。他に部員、いないんですよね」
生徒手帳を出した。防水カバーの内側から、小さく折りたたまれた紙を取り出して、広げる。文芸同好会への入部届けと、バスケ部への退部届けの2枚。
――これを何日も持ち歩いていた……。
「ダメとは言わないけど……今、マネージャーやってるバスケ部は、もう、いいんだね?」
尾上は落ち着いている。
静かに、どこか遠くを見るような目をする――そこにあるのは……諦念、なのか。
「なんか、いろいろ、疲れちゃったな、って思って。どこまでいっても、私は、私から逃げられない……変ですよね。私、何言ってるんですかね……」
「バスケ部で……なんかあった?」
尾上の目が、いきなり潤んで、涙が落ちた。
「もう、いいんです」
声が震えそうになっている。それを、どうにか抑えている。
「これ、受け取ってください。ほんとに、なんでも、ないんです……ほんとに。少し、一人にしてください。すぐ落ち着きます……」
泣き顔にならないよう、彼女は必死だ。
せめて、目をそらす。
「……わかった。授業までに戻らないようなら、また見に来るから、落ち着いたら戻っておいで。この紙は、預かっておくから」
「はい……ありがとうございます……」
語尾は、涙声になってほとんど聞き取れない。
彼女から離れ、廊下の角を曲がったところで物陰に入り、飛田先生に電話した。
3分経ったら、理科教室近くの階段を通りかかってくれるようにお願いした。