2 入学式を統べる者
2017年 4月6日(木)
「これより、新入生が入場いたします。拍手でお迎えください」
体育館のスピーカーから、教務担当の佐々木先生のアナウンスに続いて『威風堂々』が流れる。
廊下に並ぶ、緊張した面持ちの一年生たち。6クラスで240名の生徒がクラスごとに2列縦隊をつくり、長い列を幾重にも折りたたんで待機している。曲のイントロの区切りがいいところまで待って、一組の担任が一礼。入場を開始した。
1組の40人が全員体育館に入ったあと、20秒ほど開けて2組が続く。
次は我らが3組。体育館の中にずらりとならぶ保護者や来賓の顔、そこから一点に注がれる視線。なかなか緊張する。
一礼して、背筋を伸ばす。
体育館へ足を踏み入れる。
規定のルートを通り、全員が各自の席の前に立った。
あとは、担任が手を上げて、下ろす、ことで一斉に着席を……しなかった。
4組の入場が始まっている。
あろうことか、保護者だけでなく、3組の生徒まで、そっちを見ている。つまり、担任の手を見ていない。このままでは一斉に着席はできない。
――勘弁してくれ。
かといって、1、2組が座ったというのに、3組以降だけ立ったまま、というわけにもいかない。仕方ないので、両手を挙げ、その途中で軽く打ち鳴らして音を立てた。
ほぼ全員の生徒の視線が集まった瞬間を狙って、ぶんっとオーバーアクション気味に手を下ろして見せる――それでもボケてるバカモノはいたが、おおむね揃って座ってくれた。
続いて入ってきた4組の山脇先生も、微妙に困った顔をしている。行進してきたまではいいが、席の前まで来ても、全員の視線が担任の方を向いていない。
山脇先生も、両手打ち鳴らし作戦&オーバーアクション手振りで、苦戦しながら座らせた。
なぜ、こんなことになっているのか。
一人の生徒が、周囲の視線を集めてしまったからだった。
一年四組 円城咲耶。
彼女は、何をしたわけでもない。
ただ、近くにいると、なんとなく見蕩れてしまう。それだけで、入学式の入場の段取りがすっかりグダグダである。
◇
かわいさと美しさを両立させた全国区アイドル並の造形――入試の時点で職員室、および受験会場で有名人になっていたのだから恐ろしい。
先生方だって、人の子。美しいもの、を見てしまったら、心が動いてしまうのだ。
大きな声では言えないが、入試採点中、教員の間で「ヒロシ」という符丁が使われていた。
「ヒロシ、国語は、どうだった?」
「ああ、9割以上得点で間違いなく合格圏…大丈夫です」
164 ……円城の受験番号である。
◇
入場がグダった以外は、順調に入学式は進んだ。呼名の際に、周囲の生徒がまた円城の方を見てしまい、危なっかしい雰囲気もあったが、まあ許容範囲だろう。
いくつかの次第を済ませ、次は問題の――――――
「新入生代表、挨拶」
なぜ、問題か。
言うまでもない。
「新入生代表、1年4組、円城咲耶」
別に、外見で代表を選んだわけではない。入学試験の成績で、最も高い成績だっただけだ。
うおおおおお、という歓声の空耳が聞こえた気がした。
彼女がすっと立ち上がり、演壇に向かう間、彼女を注視しなかったものは、おそらく会場内に皆無だったろう。
さっきの威風堂々が、まだ鳴り続けているように思えるほど、堂々とした歩み。今日、この場に来ている来賓にも、まったく負けていない。
演壇の上で、ぴしっと礼をして、左胸の内ポケットから、鞘に入った式辞用紙を取り出す。「代表の言葉」を記した式辞用紙は屏風型に畳まれている。
彼女は鞘を外し、紙を広げて、中身を一瞥すると、元通り折りたたんで、胸にしまった。
すうっと、息を吸う。
よく通る声が、マイクを通し、スピーカーから響く。
「皆様、本日はこのように立派な入学式を挙行いただき、誠にありがとうございます――――――」
◇
職員室に、弛緩した空気が流れている。
とりあえず、入学式は無事終わった。円城の挨拶も、想定していたより短めではあったが、逆に間延びしなくてよかった、と来賓も言っていたという。
教務担当の国語科、松橋先生が、一人でベッコリ凹んでいる。
「ああもう初日から……何やってるんだ私……」
式辞用紙は、松橋先生が用意したものだった。挨拶の文言は、入学前に円城が考えたものがベースだ。
春休みの間に、松橋先生が円城と面談し、本番用の文面に仕上げた。松橋先生が言うところには「一回目の原稿でほぼ完璧でした。円城さんの文章力はたいしたものです」と。
おかげで、松崎先生の円城との面接は一回で終了。そのあとは円城が文面をメールで松橋先生に送り、先生が当日までに式辞用紙にプリントアウト…という段取りだった。
式辞用紙は、2枚セットの製品を通販で購入した。開封すると、外側の鞘になる紙に、式辞用紙が包まれた状態で2セット入っている。
つまり、松橋先生は、2枚セットの片方に印刷をし、印刷していない方を間違えて円城に渡した――ということになる。円城は壇上でそれに気付き、白紙の用紙をしまい、にこやかに挨拶を済ませた。
「円城さんに……あらためてちゃんと謝まらないと……」
すっかり松橋先生は落ち込んでいるが、まあ、それほど責任を重く感じる必要もないだろう、と思った。
なぜなら、あの紙を一瞥したとき、円城は口元に笑みを浮かべて、白紙の用紙を胸にしまったのだから。