17 託されたもの
6月15日(金)
変わらず結城琴美は休んでいるし、神田先生も休暇を申請している。
須藤奈々は苛立ったまま校内を歩いている。
放課後、創作部に顔を出した。
休み時間に廊下で会ったとき、円城咲耶から、今日は寄ってほしい、と声をかけられたのだ。
第二特別教室のドアを開けると、おなじみの部員達が、めいめい慣れた席に座り、創作に勤しんでいる。一年生の固まっているゾーンから、2年生ゾーン、3年生ゾーンと、一通りを見て回る……といっても、総勢十数人なので、あっという間だ。
この時期になると、緊張していた1年生もそれなりに上級生と馴染んでくる。
一人一人の作品について小声で「いいところ」を褒める。そして、直すとよりよくなる点も、一点だけ、指摘する。これは、部員それぞれの現在の創作力から考えて、ほんの少し、高いハードルを求める。ほんの一言でも、その作品へのこだわりが認められると、それだけで創作は力が入るものだと思う。
室内をゆっくり、ぐるりと一周。それから円城の席の横にかがむ。
円城の前には、書きかけの漫画原稿があった。鉛筆によるネームの段階らしいが、既に完成品が見える程度に書き込まれている。どう見ても、男性二人が絡み合ってるように見えるのだが……。
「で、今日のコレはなんだ?」
「辰巳センセイが教授してくださった舞姫を、独自に解釈して芸術に昇華しています」
「俺の目には、男性が男性を口説いているように見えるんだが」
痩せ型の男の顎を指先で引き上げ、唇を重ねようとしているがっしりした男。
何をどうしたら舞姫が男性同士の恋愛になる?
「自分のことを決められない豊太郎と、彼を導いて逃げ場をなくしていくドSの相沢――もうカップリングするしかないです」
「いやいやいや。そういう作品じゃないから」
円城の感性に付き合っていると、こちらまで軸がズレそうだ。
「でも、センセイ、いつも想像力が大切だ、とおっしゃってますよね」
「ああ。その世界に入っていかないと、作品の鑑賞は薄くなるものだ」
じゃあ想像してみてください、と円城は前置きした。
「相沢は東京にいながら、ドイツで失脚した豊太郎の面倒をみただけでなく、直接会いにきた。大臣の下で働くようになったあとは、日本に帰ってもこうして一緒に、と言って……最後にはエリスを、精神的に殺して排除した……」
「……その通りだ」
作品理解としては、満点である。
「全ては、豊太郎のため……そこまで深くつながった二人が、二十日以上かけて、船旅で、日本へ戻ってくる。」
円城が、にんまり、と笑う。何を頭の中で想像しているのか。
「しかし、豊太郎の心には、相沢への 『恨み』 が彫り込まれているぞ」
作品の品位を保つため、こちらも応戦する。
「だからこそ、です」
円城はふふん、と笑う。
「豊太郎は相沢に、どうしてあそこまで、エリスを破壊しなきゃいけなかったんだ!、と問い質すでしょう。すると――相沢は涙を浮かべて、どうして、わからないんだ!と。豊太郎のアゴをぐいっと引き上げ……」
――冒涜だぁ……。
「豊太郎、キミをただ救いたかった。キミを救えるなら、僕は憎まれたっていい。悪魔にだってなれる――そしてたくましい腕で豊太郎の……!」
円城の目が爛々と危うい光を放っている――しばらく放置することにした。
……それにしても、一定のつじつまを備えているところが恐ろしい。
森鴎外が聞いたらどう思うことか。
円城の×××な妄想が一段落したところで、切り出す。
「その……カップリング?が適正かどうかはちょっと脇に置いて、だ」
ここから声を潜める。
「……顔を出すように言ったのは、結城の件か?」
円城の目が、前を見据えて、本来の落ち着いた色に戻る。考え深げな、澄んだ色。
「センセイ、琴美のところに家庭訪問、いったそうですね」
「どこから聞いた?」
「……琴美とは、PCでもやりとりできるので」
「そうか」
「また、行くつもりですか」
「学校に来られないままじゃ、よくないからな」
「……」
前を向いたまま、しばらく、円城は考え深げな姿勢になって動かない。
――どうした?
横から、円城の顔の様子を窺おうと距離を詰めた。
―― !
円城が、突然こちらに顔を向け、そのまま急接近してきた。
とっさに全身で後ろにのけぞる。
彼女の唇が、俺の唇に……触れた?いや、かわした、はず……
どんがらがん。
後ろの机を倒しながら、思い切り転んだ。
頭を引き上げると、円城の顔がこっちを覗くように見て、軽く首を傾げた。
「……センセイ、いったいなにしてるんですか?」
「何してるって……おまえ、今……その……」
――キスしようとしただろ!
言葉にするのが怖いのだ、と自覚した。
バレたらクビ、のプレッシャーで「キス」という言葉まで無意識に忌避している。
「キスなんて、私たちにとって、そこまで大事じゃないですよぉ。女の子同士よくしますし。センセイって大人なのに、そんなにウブなんですか?」
女の子同士うんぬん、が一般的かどうかは別にして、円城の言わんとすることはなんとなくわかる。
――キス一つが、大事になってしまっているのは、こっちだ。
「琴美の問題って、神田先生との関係ですよね。」
「……ああ」
もう円城はわかっている。隠す意味はない。
「琴美は知らなくても、神田先生は教師だから知ってるってこと、ないですか?」
「ん?」
「きっと二人の間には、認識の違いがあったんです」
――それだけお伝えしておいた方がいいかと思って、と円城は締めくくった。
部員たちの様子を、もう一周、見て回った。この時期にしては、作品の取り組みペースは早めだ。今年は毎晩延長で地獄の夏休み、とまではならずに済むだろうか……。
そろそろ職員室へ戻ろう、そう思って、第二特別教室のドアへ向かった。
「先生」――呼びかける声がした。
振り向くと、円城が目の前に立っている。
「……くれぐれも、琴美をよろしくお願いします」
俺をまっすぐ見て、頭を下げた――信頼されているのだ、と気付いた。
こっちの問題も、いよいよ大詰めだ。
いよいよ、解決編に入りました。
クライマックスをお楽しみください!