15 心の壁と二人の教師
午後4時過ぎ
飛田先生と学校を出て、結城の自宅へ向かう。タクシー代は出ないので、公共交通機関を乗り継ぐか、自転車でいくか、だ。
飛田先生がせっせと地図アプリで調べてくれた。こういうところ、ちゃっちゃっと手際がいい。私鉄でも行けるが、駅から結構歩く。バスを乗り継ぐのが一番早いらしい。
2ブロックほど離れた広めの道路でバスを降りて、飛田先生と連れだって4分ほど歩いた。集合住宅の並ぶ一角。彼女は母子家庭で、母親との二人暮らし、と生徒資料にあった。
アパートの1Fに結城、と書かれた表札を見つけ、チャイムを押した。
「はい。」
インターフォンから、母親らしい声がした。
「すみません、高校で琴美さんの担任をしております飛田です。怪我の様子など、気になったものですから」
「……わざわざすみません。今、開けますのでお待ちください」
玄関の内側で、鍵を開ける音がする。中年の女性が顔を出した。
「どうも、琴美の母です。このたびは、ご心配をおかけしております」
◇
結城琴美は部屋のベッドから起きてこなかった。
彼女の部屋にそのまま通され、飛田先生と二人、半身を起こした彼女と向き合った。
「……飛田先生、私、美術部やめます」
主に、担任である飛田先生の方へ話している。同学年の担任とはいえ、男の自分が寝室に入ることには抵抗あるだろう、と思ったが、結城は気にする様子もなく、淡々としていた。
「どうして?……あんなに活躍してたのに」
飛田先生がそういうのも当たり前だ。今の美術部に、彼女ほどの能力をもっている部員はいない。
「もう、絵を描くことに飽きたんで。理由はそれじゃダメですか」
「ダメってことはないけど。……それ、本当にあなたの本心なの?」
「はい」
とりつく島もない。完全に、心を閉ざしている。
飛田先生に軽く目くばせして、交代する。
「結城さん、君、スマホを探してたよね。あれ、どうなった?」
一瞬、目に強い動揺が見えた。明らかに反応している。
しかし、それもほんの一瞬で、彼女のポーカーフェイスに上書きされてしまった。
「違うところに置き忘れてただけなのを思い出しました。なので、探すのをやめてもらったんです」
シナリオを読み上げるような、気持ちのない言葉……。
「なあ、先生たちは、君を責めに来たつもりはない。だから、本当のことを話さないか」
「なんで嘘って思うんですか」
厳しい瞳でまっすぐに睨んでくる。
一瞬、はっとした表情になったと思うと、目が据わってさらに険しい顔になった。
「……先生、他の子からなんか聞いたんですか?」
語気を強めて訊いてくる。
これじゃ、いけない。
「誰かがどうした、ってのはやめよう。君がどうしたか、何を知ってるかが聞きたいだけだ。スマホは、階段で転ぶ直前まで、もってたよね?」
沈黙。
結城がつばを飲み込む。
「……覚えてません。私は足を踏み外して、階段から落ちました。それで頭打って……病院行って……それだけです」
「結城さん……」
飛田先生が、つらそうな顔をしている。結城が本当のことを話していないのは、彼女にもわかっている。
「……もう帰ってください。来週になったら学校いきますから。これ、退部届です、神田先生に渡してください」
封筒を飛田先生に押しつけようとする。
飛田先生に向かって突き出されている封筒を、そっと手で押さえた。
「困ったな。その神田先生も、月曜の夕方から学校にいらっしゃってないんだよ」
「どうして……神田先生はお休みされているんですか」
「先生にも、わからない……思うんだけどさ、君も、神田先生も、にらめっこみたいじゃないか。相手が気になってるのに、動くに動けない。違うか?」
うつむいて、結城は黙った。
深く息をする音が聞こえる。
「…………今日は……今日は、帰ってもらえませんか」
絞り出すように言った結城は――泣いていた。
「今日は家庭訪問だから、何かを指導しにきたわけじゃない。これで帰るよ。ただ、心配だから、二つだけ約束してくれないか。」
結城から返事はないが、聞いてくれているようなので、そのまま続ける。
「一つは、また話をしにくるから、そのときも必ず顔を見せてほしい、ということ。もう一つは、次に話をするときまで、絶対に自分を傷つけるような、早まったことはしないこと。約束できる?」
――――こくん。
結城は小さかったが、確かにうなずいた。
今日はここまでだ。