23 あの日のこと
3月――卒業式まで、あと三日。
一年ぶりの、墓地に立つ。
花束と、線香を用意して、一人。
海を見下ろす高台に立つ墓石の前。風はまだ肌寒い。
恵里の眠る墓は、白くてシンプルだ。
まだ新しい。彼女が亡くなったとき、この墓は新たに作られたものだから。
彼女の親族が眠る昔からの墓所は、なくなってしまったから。
線香に火をつけて、手を合わせる。
今日で9年が過ぎた。
◇
あのとき、恵里は大学の卒業式を数日前に終え、実家に戻っていた。
一学年下の俺は、大学の進級の為に必要なあれこれをようやく済ませたところで、恵里と実家の近くで合流する約束をしていた。二人でそのまま小旅行に出よう……ずっと北に上って、岩手まで行ってみようか……そんな計画を話していた。
「なあ、辰巳。お前なにを考えて、俺に美幸を譲るようなマネをしたんだ?」
卒業式の夜、電話をかけてきた佐竹先輩は、ただ淡々と質問してきた。
「この3年間、美幸はずっとお前を忘れてなかった……そんな美幸と、俺はこれ以上、一緒にはいられない。卒業で、俺達は自然に離れ離れになる。ふんぎりを付けて別れるには、今しかないと思う」
もう無理はやめろよ……そう先輩から美幸に切り出したという。
……先輩から、言われるまでもない話だった。
俺も、ずっと美幸が好きだった。何年も。
でも、尊敬していた佐竹先輩だったから、自分の気持ちは表に出さなかった。美幸を取られたくない気持ちと同じくらい、先輩と幸せになってほしかった。
こんな……どこか何かが欠けてる自分より、ちゃんと幸せにしてくれるはずだと、自分を納得させていた。
あの日、旅行支度を済ませたら、夕方前から一人で高速道路を出発して、ゆっくり北に向かう予定だった。夜には恵里の地元に着くつもりで、そろそろ荷造りを終えようとしていた午後……出発直前に美幸が来た。
「……祐司、私はもう素直になりたいの」
美幸は、真っ赤になった目で、まっすぐ俺を見てそう言った。
俺は出発を取りやめて、そのままなし崩しに美幸を部屋に入れた。恵里を酷く裏切っているとはわかっていた。
「祐司、一緒に……いてくれるよね?」
美幸は特別だった……これまで、ずっとこの時間を自分が求めていた、と気付いてしまった。離れられない、と心が答えを出してしまった。
小学生から10年、美幸との記憶は全部大切に胸にしまっていた。罪悪感を感じながら……恵里には心から謝ろう、関係もちゃんと清算しよう……そう思いながら、何度も美幸を抱いた。
翌日――2011年 3月11日。
東北を……恵里の実家を襲った大きな地震、そして津波の報道を、美幸と二人で見た。
恵里に連絡は全く付かなかった。彼女の実家は、集落ごと跡形なく消え去った。ほどなく彼女も、もうこの世にいない、と確認された。
それからのことは、よく覚えていない。美幸と二人で泣いたり、お互いを傷付け合うようなこともした……断片的な記憶ばかりだ。やがて美幸は俺の前からふっと姿を消した。
あの日、俺が約束を守っていれば、恵里にはきっと違う未来があった。
彼女を実家に待たせて、あの運命に導いたのは、俺だ。
◇
目を閉じたまま、しゃがんで手を合わせていると、鼻腔に線香の匂いがひときわ強く入ってきた。火を付けたばかりの新しい香り。
こつ、と革靴が石を打つ音がすぐ後ろに聞こえた。音の大きさから女性だとわかる。
どちらが言い出したわけではない。でも、毎年この3月11日に、俺と美幸は墓参りを続けてきた。今年も、美幸が来たのだと思った。
「……美幸?」
足音に目を明けて、小声で問いかけながら振り返った。
「センセイ、今日ここに美幸さんは来ません」
はためく白いスカートに、花束をもった円城が立っていた。
終章クライマックス、いよいよ突入しました。