20 合格祈願に行きましょう
2020年 1月4日(土) 午後1時40分
玄関チャイムが鳴ったので、出てみると、結城と橘麻衣、芽衣の三人がいた。
笑顔の芽衣と麻衣が言った。
「先生!、まーちゃんと、結城先輩とお年始にいきましょう!」
「これから入試本番ですし、先輩たちの祈願に……いきますよね?」
行かない、と極めて言いにくい誘い文句だった、ということもある。
三人に引きずられるように、神社へ訪れた。
お守りを一つ買い、お賽銭を入れ、3年生の合格を祈った。
小さい社とはいえ、年始参りの人出はそれなりで、出店も並んでいる。
生徒三人が賑やかに歩いて行くのに着いていった。社でお参りをすませると、突然、橘姉妹が、急用ですのでこれで、といなくなってしまった。
結城と二人、参道に残される。
「先生、少し歩きませんか」
結城にそう誘われるまま、神社の中をぶらぶらと歩く。
人気のない境内の一角、木の立ち並ぶところにきたところで、結城がこちらを向いた。
「今日、先生にお願いがあってきたんです。二人には先に帰ってもらいました」
「……なんだい」
「キスしてください」
結城の黒々とした目が、じっとこちらを見ている。
彼女の声は思い詰めた感じでもなく、軽やかだ。
「名目はなんだっていいです。この前、美幸さんのとき、麻衣に部屋を変えさせたことのお礼でも……あれ、私が麻衣にさせたんですよ?……私への愛情でも、ちょっとキスしたくなったでも、なんだって」
目の前にくると、ずいぶん結城の身体は小さかった。
今日も、冬用の分厚いコートの袖先から、白くて細い指が覗いている。
「……このまま、お別れじゃ嫌です」
「……生徒とキスするわけには……」
「……咲耶とはしたのに?生徒間に指導で不公平があるのはいけないと思いませんか?」
言葉に詰まる。
「私が創作部に入った頃、咲耶とキスしましたよね」
「誰から……って訊くまでもないな……」
「はい。先生のことでおしゃべりしてて……冬頃でしたね。咲耶が突然留学行くことになって……行ってる間に、いろいろ変わってるかも、私経験あるし……とかいって咲耶をいじってたとき……大丈夫だもん、先生キスしてくれたもん、って涙目で……そのまま、全部聞き出しました」
くつくつと、結城が思い出し笑いをする。
……。
「……そういういじり方は感心しないな」
「……事実なんですね?」
結城がにこにこと、表沙汰になったら大変ですねー、口止めしないと危険ですねー、と続ける。
「……そんなことしなくても、君はバラしたり、しないだろ」
「……あー。今のかなり傷つきました。ヒドいです。どうせいい子の結城は、そんなことしない、って私ナメられたわけですね?……それなら、私が覚悟したらどうなるか、体験してもらいます」
「待って……ちょっと待って」
「はい」
結城は目をとじ、小さな身体で背伸びした。
大きめの木を背負っているから、彼女の姿は境内を行き来する人々から隠れている。
キスを待つ姿勢の彼女の肩を両手で支えた。このまま、軽いキスを一回だけ……そのつもりなのに、顔をそこから近づけられない。
恐ろしく長く感じたが、きっと十秒ちょっとかそこらの葛藤。
結城が、ぱちりと目を開けた。
黒くて、澄んだ瞳が真っ直ぐにこちらに向いている。
「先生、咲耶には好きだからした。私にはそうじゃないからしない……そういうことなんですよね?先生は咲耶が好き……そうなんですよね?」
下に向けたら、溢れてしまいそうなほど潤んだ瞳のまま、笑顔を見せる。
もう、ごまかしたりできない、と思った。
◇
リンゴ飴が食べたい、と結城は言った。
ベンチに座った彼女から隙間をあけて並んで座った。結城はリンゴ飴をじーっとながめながら、ときおり思い出したようにぺろっとなめる。
「咲耶があのとき、自分の責任で構わないって言って、美幸さんとの間に割り込んだのを見たとき、考えちゃったんです……私、自分の特待生の資格、なくなるって言われても、同じ事できるかなって……」
「それは……条件が違うさ」
結城は軽く首をかしげた。
「これから咲耶は学力で入試を受ける、特待生をもらった私とは条件が違う……わかってます。でも、やっぱりあんなの見たら、考えずにはいられなくて……今の私じゃ叶わない。咲耶は先生のためなら、きっと特待生の枠だって、投げ捨てます」
「君の特待は、そうそうある話じゃない。大変なチャンスだ……投げ捨てる、というなら俺は全力で止める」
結城が、ふぅーっと息を吐く。
「私、咲耶の幼なじみですよ……わかるんです。咲耶には私にはない強さがある。私、4年経ったら、帰ってきますから。そのとき、先生が後悔するように……それくらい、魅力的になってますから。先生、ちょうど咲耶と倦怠期になってるかもしれませんね……そのとき私の魅力にぐらっときた先生を……今度は私が振るんです」
結城が笑顔を向ける。何も言わず、笑顔を作って返した。
◇
ぱき、しゃり、としばらくリンゴ飴を食べる音をただ聞いていた。
しばらくして、リンゴ飴、ごちそうさまでした、と言って結城が立ち上がる。
思い出したように、ちら、と振り返った。
「ねえ先生。咲耶は、私の幼なじみで、親友で……特別な女の子です。だから、きっと……上手く言えないな……とにかく、よろしくお願いします」
結城は、言い終えるや否や、さっと背を向けて足早に立ち去った。
その背中に、すまない、と心で告げた。
君の言うとおりだ。
俺は、円城を好きになった。
でも、だからこそ、俺は自分の軛に円城を付き合わせるわけにはいかない、と思う。絡みついた罪……これは、俺自身のものだ。