表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
終章 こころの時間_2020年3月編
106/118

16 テスト返却日

12月13日(金) 2時間目


 期末テストを返却し、解答を配布した。特に採点間違いもなかった、ということで一段落。

「これでテスト返却はおしまい。残った時間で、テスト前に触れられなかった『こころ』の結末部分について話しておこう。Kが自殺したあと、約十年が経過して、先生が自殺を決行するまでの話だ」


 ◇


 Kが自殺したのは正月過ぎ。一月の下旬だった。

 その年の夏に先生は大学を卒業し、さらに半年後、お嬢さんと結婚した。先生は結婚を契機に新しい生活に入れるかもしれない、と考えたが、それは甘い考えだった。


「そもそも、先生と、お嬢さんとの結婚を成立させたのは、間にいたKの存在だった。だから先生はお嬢さんといる限り、Kへの裏切りの記憶が薄れることも消えることもない」


――私はいっそ思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑え付けるのです。

――私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。


 お嬢さんに真相を話せないままの結婚生活。

 そして先生は気付く。隣にいるお嬢さんにさえ、理解してもらえない孤独……もちろん、自身の罪によるものだが……この(さむ)しさこそが、Kを自殺へ導いたものだったのではないかと。自身もKと同じ道を歩んでいるのではないかと。


 そんな折、お嬢さんの母親――奥さんが病気で亡くなってしまい、お嬢さんには先生しか身寄りがなくなってしまう。先生は「死んだつもりで生きていく」ことにした。自分さえ信じられない、という寒々しい人間観を抱えつつも、お嬢さんにできるだけ優しく、愛情を傾けながら生きてきた。


――私の後ろにはいつでも黒い影がくっついていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。


 「生きたい」というよりは「死ねない」という実感で生きた先生。罪を負ったままどう生きていくか試行錯誤もしたが、何をしようとしても「そんな資格のない人間だ」という()(しやく)で心が塞ぎ込んでしまう。自由に歩める道は自殺の方向にしか伸びていない、と感じるようになる。


 明治四十五年七月、明治天皇の(ほう)(ぎよ)と、その後につづいた()()大将の(じゆん)()で、自殺を実行するきっかけが生まれた。


――最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟(ひつきよう)時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。(中略)私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。


 最後に、先生は遺書をこう締めくくる。


――妻がおのれの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。


 この一文で『下 先生と遺書』は終わる。『こころ』は完結し、遺書を読んだ『私』に場面は戻らない。


 でも、きっと『私』はこの遺書を汽車の中で読み終えて、朝には東京に到着したはずだ。いったい、このあとに何が起きた、と見るべきか。



 実はここに『こころ』の書かれていない核心がある。



「……これから冬休みにはいってしまうので、最後の授業は休み明けにさせてもらいます。受験や進路準備で忙しい人も多い冬休みですが、既に進路が決まった余裕ある人向けに、一つ宿題を出しておきます」


 チョークで黒板に書く。



Q 『先生』、『お嬢さん』、『私』について、先生が自殺した時点の年齢を推理せよ。



「忙しい人は、息抜き程度に考えてもらえばいい。でも、これを真剣に考えてみると『書かれていない核心』への道が見えてくる。余裕のある人は休み中に、じっくり考えてごらん」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓いただいたファンアート、サイドストーリーなどを陳列中です。
i360194
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ